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徳島県神山町/Art. Business. Creative.~神山町と特定非営利活動法人グリーンバレーの歩み~

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年5月27日更新

徳島県神山町

2841号(2013年5月27日)  全国町村会 前田 夏樹


はじめに

神山町は、徳島県東部の名西郡に属し、県都徳島市に隣接した、人口6,355人※1の町である。面積は173.31k㎡※2で、徳島県内24自治体のうち、9番目に大きい。町を東西に流れる鮎喰川のほとりに農地と集落が点在し、その周囲を町域の約83%を占める300~1,500m級の山々が囲む。山林では、植林されたスギ・ヒノキのほか、ミツバツツジやシャクナゲも見られる。

鮎喰川のほとりに広がるのどかな町。民家に里山といった、典型的な農山村の風景を有する神山町が、今アツい。NPOを中心とした斬新な町おこしが功を奏し、全国から注目を集めているのだ。さらに2011年度の人口動態調査では、転入者数が転出者数を超えた。昭和30年代をピークに人口減少が進み、高齢化率は46%。少子高齢化がすすむ神山町において、1955年の町誕生以来の快挙であった。

※1 平成24年3月31日 住民基本台帳より
※2 平成23年10月1日 国土交通省国土地理院 より

グリーンバレーとは

そんな神山町の町おこしを牽引してきたのが、特定非営利活動法人グリーンバレーである。神山の町おこしの発起人といっても過言ではない。 団体として掲げるミッションは、「日本の田舎をステキに変える!」。ビジョンは、「創造的過疎による持続可能な地域づくり」である。「創造的過疎」とは、将来的に人口が減ることは不可避とし、過疎化を受け入れたうえで、人口構成を持続可能な形に変えていく計画的な過疎対策のことである。

理事長の大南信也氏のもと、アーティスト招致・企業誘致を通じた産業活性化や、空き家活用による移住定住促進を図り、「クリエイティブな田舎づくり」を実践してきた。大南氏の持つ前向きなビジョンと、既成概念にとらわれないアイディアに、県や国を超え、世界中の多くの人が 共鳴している。

特定非営利活動法人グリーンバレー 理事長 大南信也氏の写真

特定非営利活動法人グリーンバレー 理事長 大南信也氏

グリーンバレーの歴史

グリーンバレーの発祥は、1991年の「青い目の人形」の里帰り運動にさかのぼる。戦前にアメリカから贈られた「青い目の人形」を故郷に里帰りさせる運動に、当時PTA役員であった大南氏が携わり、1992年に神山町国際交流協会を設立。単発で国際交流イベントを行った。

1997年には神山町国際交流協会の会員らが集まり、国際文化村委員会を設立。単発のイベント開催から長期持続的な地域経営に転換していった。2004年に現在のNPO法人となり、さらに活動を広げてきた。

今回は数多くの事業を手掛けるグリーンバレーの3大事業ともいえる3つのプロジェクトを紹介していきたい。

アーティスト招致事業:アーティスト・イン・レジデンス

神山アーティスト・イン・レジデンス(以下KAIR)は、毎年日本人1名、外国人2名のアーティストに町へ滞在してもらい、アート制作を支援する事業である。1999年に開始し、グリーンバレーのルーツともいえる歴史の長い事業だ。アーティスト招致を行っている自治体は他にもあるが、KAIRは、作品見学に訪れる観光客を誘致するためではなく、町と住民でアーティストを支援することで、アート制作の場としての価値を高めることを目的としている。

作品を見に来る観光客を集め、町を活性化させるといったモデルで行うと、評価の定まった有名なアーティストを呼ばなくてはならない。しかし、民間企業のようにコストをかけ、アトラクションを作り、数年ごとに作品を入れ替えるなどといったことは、小さな自治体の経済力ではできない。また、アートを評価する人材・場・システムがなく、アートに精通した人物もいないので、一般的に評価の高いアートを集めることも難しい。

そこで大南氏は、観光客を集めるのではなく、制作にやってくるアーティストを集めることで、アーティストが作品を作る場としての価値を生み出そうと 考えた。発想の転換を図り、お金をかけずに価値を創造するグリーンバレー。「海外のアーティストが『日本で制作をするなら神山だよね』と言ってくれるような 場にしたい」と大南氏は語る。

また従来、お遍路さんをもてなしてきた歴史から徳島に息づく「おもてなし文化・お接待文化」による、住民の手厚いサポートもKAIRの魅力である。制作に必要な道具は住民が持ち寄り、学校の空き教室や遊休施設をアトリエとして活用する。このような住民主導の支援には、アーティスト側からも「神山ほど親身に サポートしてくれる町はない」という声があがっている。

独自のアイディアで、神山町にあるものを存分に活かすKAIR。その発祥の経緯は1997年までさかのぼる。同年、徳島県が新長期計画の中で「とくしま国際文化村プロジェクト」の構想を発表。大南氏を中心に集まったメンバーは、このプロジェクトを県に任せるのではなく、自分たちでアイディアを出し、 それらを住民の思いとして徳島県へ提案した。その流れの中、「アーティストが入ってくる町は面白い」という思いから、大南氏を中心に国際文化村委員会を立ち上げ、目玉事業としてKAIRを開始。グリーンバレーのすべての事業に共通している「独自のアイディアで工夫を凝らす」、「困難であっても可能性を探る」といった姿勢は、このように当初から一貫していたのだ。

移住定住促進事業

2つ目に紹介する事業は「移住定住促進事業」である。全国各地、移住定住促進を図っている自治体は数多いが、グリーンバレーの事業は、ひときわユニークである。

創造的過疎

まず、グリーンバレーの展開する移住定住促進事業には2つの発想が根底にある。そのひとつが「創造的過疎」である。

「過疎」というとマイナスのイメージしか湧かないが、それを数値化し、計画的に過疎化をすすめることで、持続可能にできる。例えば移住定住者には、人口維持のために若者や子連れの方、また産業活性化のために仕事を持っている方を優先する。「過疎」をコントロールする。その考え方こそが「創造的過疎」である。

ワーク・イン・レジデンス

移住定住事業の発想の2つ目は、ワーク・イン・レジデンスである。ワーク・イン・レジデンスとは、将来町にとって必要な働き手や起業家を、受け入れ側から逆指名するというシステムだ。アーティスト・イン・レジデンスに呼応した名称で、パン屋やウェブ屋等、職種を最初から指定している。

受け入れ側から移住定住者を選定するという点が特徴であるが、これは、地域のことを自分たちで決めることでより責任が持てるという大南氏の考えによるものである。

「地域にとって、移住定住者は嫁いでくる嫁のような存在。それならば母体である地域のことを地域で決めるのは、ごく普通のことだ。もし行政だけが選んでいたら、何かあったときに行政の責任にしてしまいかねない」と同氏は語る。このような民間的でシビアな視点は、NPOならではである。

これら2つの発想のもと、2007年には神山町移住交流支援センターの運営を開始。同様のセンターは県内13か所にあるが、神山町のみ行政でなく、民間団体であるグリーンバレーが受託している。これはグリーンバレーに、独自の移住定住のノウハウがあったからに他ならない。

サテライトオフィス事業

人が人を呼び、循環していく。アーティスト・イン・レジデンス、ワーク・イン・レジデンス等を通じて構築された、人が人を誘発する仕組みを活かした事業が、このサテライトオフィス事業である。

サテライトオフィスとは、都市部にある本社とデジタル通信によって情報交換を行う、都市周辺部の小規模オフィスのことであり、近年、神山町にサテライトオフィスを開設する企業が相次いでいる。

このサテライトオフィス事業のきっかけとなったのが、「空屋町屋」というプロジェクトだ。「空屋町屋」プロジェクトとは、町内の空き店舗をグリーンバレーが借り受け、改修し、移住者に貸すという事業である。グリーンバレーのウェブサイト「イン神山」の制作を通じ大南氏とつながりのあったイギリス人のクリエイター、トム・ヴィンセント氏からの提案を受け、空き店舗はクリエイターが循環する場「ブルーベアオフィス神山」として整備されることになった。

この改修工事に関わっていた友人の建築家からSansan株式会社(本社:東京都千代田区)社長の寺田親弘氏がこの情報を聞きつける。神山町の自然環境やグリーンバレーの働き方に感銘を受けた寺田氏は、即決でサテライトオフィスを設置。神山町のサテライトオフィス第1号となった。

古民家を活用したサテライトオフィスの写真

古民家を活用したサテライトオフィス Sansan株式会社

社内の様子の写真

Sansan株式会社 社内の様子

このサテライトオフィスは決して本業の負担になっておらず、むしろ業績に好影響を与えており、テレビで見た人や、サテライトオフィスのライフスタイルに興味を持った人たちが売上に貢献している。また近年では、単身者にとどまらず、家族連れの社員も神山町への移住を開始しているという。

このような盛り上がりを見せる中、サテライトオフィスは、旧来の古民家一家に一社というスタイルから、ひとつの建物に複数の会社が集合する新たなスタイルへと発展している。「サテライトオフィス・コンプレックス」と呼ばれるこのスタイルは、古民家ではなく、元縫製工場をサテライトオフィスとして改修するもので、県と町がそれぞれ300万円ずつ補助金を出している。

元縫製工場を改修したサテライトオフィスの外観写真

「サテライトオフィス・コンプレックス」元縫製工場をサテライトオフィスとして改修

元縫製工場を改修したコワーキングスペースの写真

「サテライトオフィス・コンプレックス」元縫製工場を改修したコワーキングスペース

大南氏は、特段サテライトオフィスの誘致活動はしていないという。人が人を呼び、神山町、そしてサテライトオフィスに魅せられた人たちが、すすんでやってくるのだ。企業誘致ならぬ人材誘致である。

「周りから見たら無意味に見えても、10年、15年やっているとそれが地域の魅力になる。都市部の感度のいい若者が最初に気づき、人が人を呼んでいくのだ」

大南氏の言葉に力がこもる。

「サテライトオフィス・コンプレックス」の社員と大南氏の写真

「サテライトオフィス・コンプレックス」の社員と大南氏

行政のかかわり

ここまで、グリーンバレーが行う様々な町づくりについて述べてきたが、行政はどのような立ち位置でこの町づくりに関わっているか、ここで説明したい。

神山町の町づくりにおけるひとつの特徴は、行政とNPOが上手に役割分担をしながら活動をすすめている点にある。行政側は、行政では出来ないこと、そして民間だからこそできることを理解し、うまくすみ分けをしている。神山町農村環境改善センターのNPOへの指定管理や、神山町移住交流支援センターの委託、NPO事務局サポートのための地域おこし協力隊の募集など、行政はNPOの活動をバックアップしているが、個々の活動やアイディアに干渉することはない。それが故にグリーンバレーは自由に活動することができ、町全体の活性化につながっているのだ。お互いの信頼関係のもと、NPOに活動を一任し、行政による補助金も わずかである。

町づくり活動において、行政とNPOの関係が障害となることもあるが、神山町においては行政とNPOがお互いを尊重し、程よい距離感を保つことで、町づくりを成功に導いてきた。

せかいのかみやま

グリーンバレー主導の町おこしをしてきた神山町。NPOがその回転軸となり、行政はバックアップという形で携わることで、ユニークかつ斬新な 事業を行ってきた。

「地域づくりで一番大切なのは、地域に何があるかではなく、地域にどんな人がいるか。どんな人を地域に呼ぶかを主眼に置いて、そこを育てれば、集まった人の中から地域の財産が生まれてくる」

大南氏がこう語るように、神山町の財産はなんといっても「人」である。

「地縁・血縁だけでの人の循環はもうない。だからこそクリエイティブで多様な人々が行き交い、循環する場を作ることで、町を活性化させたい」と同氏。

起業家、クリエイター、アーティストたちといった多様な人たちが、神山町に魅せられ、集まり、アイディアが花開く。さらに、移住者と旧来からの住民の知恵と経験が融合し、ひとつの流れとなる。そこには、国籍も、年齢も関係ない。世界各地から人が集まる町、そんな「せかいのかみやま」に向かって、神山町は日々進化している。