ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村の取組 > 山形県朝日町/りんごにこだわった町づくり~小さな町の大きな挑戦~

山形県朝日町/りんごにこだわった町づくり~小さな町の大きな挑戦~

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年5月13日
りんご農園の様子の写真

町内のりんご農園。国内外で高い評価を得ている「無袋ふじ」


山形県朝日町

2839号(2013年5月13日)  朝日町長 鈴木 浩幸


朝日町は山形県の中央部に位置し、磐梯朝日国立公園の主峰・大朝日岳の東縁山麓地域にあります。町の面積は196.73k㎡で最上川が町域の南北を約21㎞にわたって蛇行北流し、国立公園をはじめとする原生林野が町土の76%ほどを占め、豊かな自然環境と澄みきった空気に包まれ、世界で唯一の「空気神社」のある町です。

最上川の両岸に沿った河岸段丘は、特産のりんごなどの果樹をはじめ農産物の栽培に適した肥沃な土地です。

町の産業構造は第1次産業就業比率の減少、第2次・3次産業就業者の漸増で推移していますが、りんごを中心とする農業を基幹産業として位置づけ、りんごにこだわった町づくりを進めています。

朝日町りんごの歴史

りんご栽培の歴史は古く明治20年にさかのぼりますが、朝日町りんごの銘柄が確立されたのは、昭和46年に全国に先駆けて「無袋ふじ※」の栽培技術を確立し、中央市場で品質日本一の評価を得たことです。このことがはずみとなり、米の生産調整対策としてりんごを奨励すると共に、農業構造改善事業等で大規模な樹園地造成を全町的に展開し、朝日町農業の基幹作物として様々な振興方策が展開されてきました。

また、りんごにこだわった町づくりを進め、平成元年には「日本一りんごの町宣言」、平成16年には町条例で「朝日町りんごの日」を定めるなど、町民一丸となってりんご振興に力を注いでおります。

※ 無袋ふじ・・・りんごは病害虫防除や着色管理の点から、袋をかけて栽培していたが、袋をかけなくても着色や味の優れたりんごを栽培する技術。ふじの品種でその技術を全国に先駆けて確立した。

りんごは町経済のバロメーター

農業が基幹産業の朝日町にとって、りんごの売り上げは町経済を大きく左右するといっても過言ではありません。かつては品質が良ければいくらでも高い価格での販売が可能な時代がありましたが、バブル崩壊後の平成9年にりんごの価格は全国的に大暴落の危機を迎えました。町ではりんご価格の暴落が様々な方面に影響がでることを懸念し、この危機を乗り切るために品種構成の見直しなどのりんご振興策に大規模な予算を投入しました。

特に中生種(9月下旬~10月収穫)は数多くの品種が農家にばらばらに導入され品種ごとの量は少なく、栽培技術の統一もないため品質は不揃いで、安定した価格での販売は難しい状況でした。このような状況をふまえ、品種構成の適正化について農家の方と真剣に検討を行い、シナノスイートをはじめとする新品種の導入方針を決定し、町の財政状況が厳しい中、約3千万円がりんご振興に支出されました。苗木の導入、栽培技術の確立と普及、消費宣伝など農家・農協・行政が一体となってアクションを起こした結果、シナノスイートは路頭に迷うりんご農家の救世主となり、今では中生種の核として農家所得の向上に大きな役割を果たしています。

攻めの農業戦略!

次なる挑戦は、沈滞するムードを払拭し生産者に元気を出してもらうため、輸出による所得向上をめざすという攻めの農業展開を目指しました。田舎の小さな町が単独で輸出を行うことなど夢のような話で、最初は各大使館に手紙を書いたり、フランス大使館に直接りんごを持ち込み輸出をお願いしたりと今となっては笑い話のようなこともありましたが、自分たちの足で行動しながら情報収集し、平成16年にジェトロの指導をいただき国内の商社を通じ台湾に「ふじ」を輸出し、夢の第一歩を踏み出しました。

国内で高い評価を得ている当町のりんごは海外でも高い評価を得られるだろうと思っておりましたが、台湾の中では、りんごといえば絶対的に青森県がブランドになっており、当町のりんごは品質的には優れていても価格では買いたたかれ、改めて海外でのブランド戦略の必要性を認識しました。

平成17年には台湾でのブランド確立を前提に輸出を検討していたところ、前年の状況を把握していた山形県経済国際化推進協議会(現山形県国際経済振興機構)から高級百貨店での贈答品の販売を紹介され試験的に輸出を行いました。その結果、朝日町りんごの品質、食味、特に「蜜入り」が非常に高い評価を得ました。

りんごの時期には、朝日町りんごを紹介する中国語版のDVDの映像が売り場で放映され、生産者が自ら店頭に立ってのプロモーションや町長によるトップセールスを継続した結果、その品質が高く評価され、当町のりんごは台湾で消費者や流通関係者の間でトップブランドとして認知されるようになりました。

この台湾でのブランド確立を契機に、タイ、シンガポール、香港、フィリピンなど輸出国も拡大され、品種もふじだけでなく、シナノスイート、王林、シナノゴールドさらにはラフランスまで輸出できるようになりました。

小さな町の大きな挑戦は、マスコミの目にも留まり、毎年現地でのプロモーションの様子が新聞等で大きく紹介されるようになりました。

台湾での町長によるトップセールスの様子の写真

台湾での町長によるトップセールスの様子

りんごキャンペーンの様子の写真

山形市で行われるりんごキャンペーン

輸出の波及効果

朝日町りんごは、無袋ふじ栽培技術の確立により市場で日本一の評価をいただき、生産者や市場関係者の間では銘柄産地としてのブランドが構築されてきました。しかし、このブランドもなかなか消費者まで浸透するものではありませんでした。朝日町ではりんごの素晴らしさを直接消費者に伝えるため仙台市や山形市で長年にわたり「りんごキャンペーン」を行ってきました。また、町内にも直売施設ができ、お客様が産地で直接りんごを買い求めることができるようにもなりました。

さらに朝日町りんごの輸出の話題は、毎年マスコミで大きく取り上げられ消費者の目に留まる機会が非常に増えたこともあり、秋になるとりんご購入のため 朝日町を訪れる方が急激に増加し、最盛期には交通渋滞が発生するほど膨れ上がりました。流通関係者だけでなく消費者にも朝日町りんごのブランドは浸透したのです。

町では農業、商業、工業、観光の産業が一体となり朝日町をPRする「産業まつり」を11月の「朝日町りんごの日」に開催しています。かつては町内のお客様が中心の2日間で2,000人程度の入込のイベントでした。

輸出が始まりマスコミで取り上げられるようになったころからお客様の数は増えはじめ、平成24年度は12,000人を超え、しかも町外、県外のお客様が中心の活気あふれるイベントに大きく様変わりしてきました。お客様はりんごだけでなく朝日町の様々な産物や商品を買い求め、さらに町内の飲食店等を訪れるようになり、町全体に 大きな経済効果を生み出すようになってきました。

生産者がおいしいりんごづくりのために続けてきた地道な努力と、町民一人一人の朝日町りんごに対する誇りと自信が、交流人口の増加という大きな実を結んだのです。

朝日町産業まつりの様子の写真

にぎわう朝日町産業まつり

りんご釣りの様子の写真

産業まつりで行われるりんご釣り

りんご品評会の様子の写真

「りんご品評会」町内のりんご農家が育てた「ふじ」を対象に毎年産業まつりと同時に開催される

強みを活かした町づくり

朝日町の最大の強みである農業を活かした町づくりの次なる挑戦は、付加価値をつけた農産物の販売や交流人口の増加による町の活性化です。

町では、国内経済が低迷し現実的に企業誘致も難しい状況をふまえ、雇用の創出を目的に朝日町産業創造推進機構を立ち上げ、農家の起業支援等の対策に取り組み始めました。農産物の加工や、新たな農業展開を模索している農家を集め、マーケットや商品開発、衛生管理まで座学や実践研修を行いました。

その結果、特産のりんごを活用したジャムやスイーツ、味噌などの発酵食品、食肉加工、無農薬野菜の栽培そして肉質のよい放牧豚の飼育など多岐にわたる9つの小さな企業がたちあがり、地元での販売はもとより仙台圏を中心とした販促活動を行っています。

こうした活動は、りんごを中心とした農産物や加工品の有利販売だけでなく、町の資源を活かした観光と一体になり、交流人口の増加による町の活性化をめざすという発想に発展し、現在総合交流拠点施設整備をめざし、町民による活発な意見交換が行われています。

また、農業後継者の確保は全国的な課題ですが、日本一のりんごを守りたいという農家が農業研修生を積極的に引き受ける組織を立ち上げました。このことにより日本一のりんごづくりをめざす若者が町外からも集まり、新たな農業後継者として大きな期待を背負ってりんごづくりに奮闘しています。

朝日町の最大の強みであるりんごを活かした「小さな町の大きな挑戦」はこれからも続いていきます。

新商品発表会の様子の写真

朝日町産業創造推進機構による新商品発表会の様子

りんごを餌に放牧している「あっぷるニュー豚」の写真

りんごを餌に放牧している「あっぷるニュー豚」