大蛇パレード
新潟県関川村
2837号(2013年4月15日)
県都新潟市の北東約60㎞に位置し、村の中央を流れる荒川が日本海へと注いでいます。村の面積は東京23区の半分以上にあたる299.61k㎡という広い 面積ですが、荒川流域の一部を除き起伏が激しく、約88%は山林原野。緑美しい農山村です。
荒川沿線には高瀬・鷹の巣・雲母・湯沢・桂の関の5つの温泉が湧き出て、えちごせきかわ温泉郷を形成しています。村の中央には国重文・渡辺邸や 佐藤邸など18世紀の街並みが残っており、古くから交通の要所として栄えた米沢街道を今に伝えています。
村の主幹産業は農業とサービス業。稲作を中心とした兼業農家が多く、農業と観光の村です。
自然豊かな環境を守り育てながら5つの温泉資源の活用を図り、歴史、伝統を次代に継承し香り高い文化を育みうるおいに満ちた美しい村づくりを 目指しています。
長さ82.8m、重さ2トンの大蛇が、村内を練り歩きます。「世界一長い手作り蛇」としてギネスにも認定されたユニークで豪快な大蛇のパレードが、まつりの主役です。
500人もの村民が、交代しながら村内を担ぎ上げ、村内をパレード。見物していても十分楽しめますが、飛び入りも大歓迎。長さ25mの子ども用小大蛇も 一緒に練り歩きます。
大蛇は、頭部のほか胴体は54のパーツに分かれます。胴体は、竹とワラを材料にして村の54の全集落が分担して制作しています。竹は約200本、約30アール分のワラを 使用。竹で骨組みを作り、そこにワラをロープでつけていきます。ロープの編み方によって蛇のウロコを表現しています。集落の皆さんが幾日も集落センターなどに 集まって制作したものを、まつり当日につなぎ合わせます。大蛇は傷み具合をみながら3~4年ごとに制作。これまでに8体の大蛇をつくっています。
大したもん蛇の制作風景
むらづくりは人づくりから――。人材発掘(育成)を目的に村が開塾した「せきかわふるさと塾」の塾生の発案で、1988年にまつりが始まりました。
村にはこれまで、村民全員が参加して楽しむ村全体のまつりがありませんでした。情報化社会の波に押され、田舎のもつ良さである地域の連帯感が 薄れつつあるため、村民一丸となって取り組めるまつりを考案。都会にはない村の良さを引き起こし、それを肌で感じ、村に生きることの喜びと自信をもってもらうことが ねらいでした。
村は、1967年(昭和42年)8月28日、羽越大水害に見舞われ、多くの犠牲者を出しました。その水害を風化させることなく、水害で得た教訓を後世に伝える契機にしようと、まつり創設にあたり考えられました。
羽越大水害に見舞われた村の中心部(下関)
また、村には「大里峠」という伝説があります。この伝説は、禁断の蛇の味噌漬けを食べた若い人妻が、蛇に化身され、やがて大蛇に成長し、自分の すむ場所をつくるため、荒川をせき止めて関川村を大湖にするというもの。この伝説は、見方によっては大水害を物語にしたものとも言われています。
このようなことから、「大里峠」と「水害供養」の2つをテーマとし、水害発生日前後にまつりを開催。また、大蛇の長さもこれにちなんで、82.8mとしています。竹とワラを材料にして制作しようと考案したのは、せきかわふるさと塾生の畳職人のアイディアによるものです。
「大里峠」紙芝居の上演風景
大したもん蛇まつり発足から25周年目を迎えた巳年の今年、10月6日に関川村で、まつりサミットin関川村を開催することとなりました。これは、全国各地から知名度の高いまつり団体が一堂に会し、交流を深めようというもの。近隣市をはじめ20程度のまつり団体を招致する計画です。
まつり開催にあたっては、若者たちがプロジェクトチームを組織して、その内容を検討。村には人材発掘の場にしようという狙いがあります。まつり当日の成功だけではなく、その過程を重視し、産業振興と人材発掘に力を注ぎます。
大したもん蛇まつりは、年1回の開催ですが、そのほかにも県内外のまつりに参加し、大したもん蛇パレードを行っています。とくに、政令指定都市・さいたま市で開催されるイベントには何度か参加し、交流を深めており、まつりサミット開催はこれの縁によるものです。
また、昨年6月には、ふくしまフェスティバルにも参加しています。これは、東日本大震災による原発事故の風評被害を払拭しようと、全国からまつり団体が終結したもの。会津若松市の市街を大したもん蛇が練り歩き、沿道に集まった福島市民と一体となって、大蛇パフォーマンスを披露しました。
会津若松市街での大蛇パレードの様子
国際ボランティア学生協会(ⅠⅤUSA)との大したもん蛇まつりを通じた交流も10年が経過しました。この協会は、国内外で社会貢献活動をしている 大学生のNPO法人。1200名の学生が登録していて、毎年8月になると100人から150人の学生が村を訪れ、まつりの準備や当日の運営に携わっています。
また、大したもん蛇まつりだけではなく、冬のまつりや体育協会行事、お年寄りの地域の茶の間などにも顔を出し、年間を通じて学生の視点での交流が続けられており、村に対するビジネスプランの提案なども――。民家や公共施設の雪処理ボランティアも検討されています。
学生と交流を深めた雪ほたる祭
関川村を元気にするには、コミュニティ組織の母体である54の集落が、それぞれ持っている有形無形の資源を自らの発想と実施に向けた努力で前進させることが必要であるという考えから、「むらづくり54作戦」と称した集落の計画づくりを行っています。計画書の成果品よりも、策定までのプロセスや計画づくりに関わった 住民同士のつながりを重視しています。
そして、54の集落を9地区に括った地域コミュニティを、昭和50年代後半以降平成10年までに組織化させ、「地域力」の維持・向上を図る母体としての 役割を担っています。
地域コミュニティには、ひとつの集落ではできないこと、行政では実施できない事業等に取り組んでいくことが求められています。
また、地域コミュニティには自主防災組織の役割も担っていただく必要があることから、消防団組織の見直しを行い、7つの分団を3分団にしたうえで9つの「地域隊」を設け、コミュニティ組織と連動した活動ができるように再編成しています。
村では、地域づくりを推進するため補助率3/10~7/10の「むらづくり総合推進事業補助金」を用意しています。人材育成事業や地域連帯事業、施設整備事業、環境改善事業、むらおこし実践活動事業、自主防災組織支援事業など、あらゆる活動を支援。通年の活動費もこの補助金によって交付しています。
さらに地域活性化の機運を高めようと村税の約1%にあたる700万円を予算化し、補助率100%も認める特別事業を平成22年度から実施。応募のあった事業提案は、公開審査によってその可否や補助額を決定するしくみで、住民代表等がその審査にあたります。
地域のすべての問題について行政が細かく対応するには限界があり、村と地域コミュニティ・集落などとの協働という考え方を推進しています。
地域活性化事業申請の公開審査会
昭和29年8月、関谷村と女川村が合併、新しく関川村が誕生しました。関谷・女川両村は、自然や歴史、産業、経済、文化、民俗などあらゆる面において共通点をもち、一つとなって自治体の強化を期そうとする合併は、極めて自然の成り行きでした。
以来60年、豪雪、大地震、大洪水など未曾有の大災害に襲われ甚大な被害を被りましたが、村民のたゆみない努力によって困難を克服。緑に囲まれた美しい郷土は立派に再生しました。
村の中央を東西に横断する国道113号線を中心とした交通網も整備され、村営温泉も加わって形成したえちごせきかわ温泉郷などの観光資源も豊富であり、山と川といで湯の里として、発展しています。
21世紀に入り、にわかに吹き荒れた国主導による市町村合併の嵐は、全国の自治体をその渦中に巻き込みました。しかし、関川村はこの奔流に流されることなく、自立の道を歩むことにしました。国の構造改革と地方分権の推進によって、地方財政は極めて厳しい状況に置かれていますが、これをひとつのチャンスととらえ、小さくてもキラリと光る村にするために、村民と行政がともに手を携え、一丸となってむらづくりに取り組んでいます。
村の中央を荒川が流れ日本海へと注ぐ