東川町を舞台に全国の頂点を目指す高校生たちの熱い闘いが繰り広げられた写真甲子園2011。
北海道東川町
2807号(2012年7月16日) 「写真の町」東川町長 松岡 市郎
3つの道「国道、鉄道、上水道」がないが、他の都府県には絶対にない大きな道「北海道」があると自慢しているのが、 「写真の町」東川町である。中心市街地から車で旭川空港へ10分、旭山動物園へ15分、北海道と東北地域で第3の人口を抱える旭川市へ30分、 北海道最高峰大雪山旭岳(2291m)へは40分、と北海道の中でも最も条件の良いところに位置していると考えている。 北海道で3つの道がないと聞くと、馬と鹿ぐらいしかいないのでは(これでは本当に馬鹿しかいない)と想像する人もいるようだが、 ここ10年間で350人程度増え、現在は人口約7,900人である。(別表1 人口の推移参照)
1985年、元町長中川音冶と議会は「写真の町」条例を制定し、写真文化と国際交流を通じて、世界に開かれた 自然と文化が調和し、潤いと活力に満ちた町づくりを目指して「写真の町」を宣言したのである。以来、 写真の町の証として国際写真フェスティバルを、また1994年からは全国の高校生を対象とした写真甲子園を実施してきている。この間、 写真文化に関わる企業関係者や写真関係者との人脈形成が図られてきている。
国際写真フェスティバル授賞式
平成14年から16年頃にかけて合併の議論が広く展開されていたが、東川町は平成15年に単独自立の道を選択し、 「受身姿勢」から「積極姿勢」に意識を変え、町の素晴らしい条件を生かした取り組みがスタートしたのである。公務員は評論家ではなく、 住民福祉向上を実現する立場で何をするかとう自覚が必要と、自らの意識を変え(Change)、目標に向かって挑戦する (Challenge) 積極的姿勢をもち、好機(Chance)を逃がすことなく施策の実現に当たる、という3つのCha「Change、Challenge、Chance」の 「動く」精神で頑張っている。このような動きの中で、君の椅子プロジェクト、ユニークな婚姻届(後述)、中学校の木製の椅子と机、 子育て支援環境の充実、地域コミュニティー活動の支援、Montbellの誘致などが具現化している。また次代を担う子供たちが 郷土愛を育む教育環境の整備を図る計画である。
(詳しくは「写真の町北海道上川郡東川町ホームページ『ひがしかわ株主』」をご参照)
当時、市町村合併議論は人口規模の多寡によるものである。少子高齢化により日本全体の人口減少が進行する中で、 農村地域での人口減少は一層の加速化が進み、農村の発展・成長は否定的であり、人口10,000人未満の町は合併しなければ地方交付税が 大幅に減額され財政破綻すると捉えられていた。「大変だ、大変だ」と叫ぶだけで、問題解決に向けた動きが止まっていたのである。
町の歴史は1895年に始まり、高々120年ほどで、先人開拓者は私たちの想像を遥かに超えた厳しい過酷な労働環境の中、 不撓不屈の精神で頑張り今日の礎を築いたのである。単に人口が少ない、地方交付税が減額されるだけの事由によって合併することが、 本当に住民福祉向上に貢献することかと、疑問を多くの町民が持っていた。このような中で、単独自立の人口限界が10,000人、 この人口未満であれば強制的な合併となるとか、特例的な町村となり相当の権限はなくなるなどの情報が入ってきていたのである。
町づくりの中での人口とは一体何であろうか。
「写真の町」事業を担当していた職員は異口同音に「『写真の町』宣言20年で築いてきた人脈がある」と常に言っていたのである。 もし町の規模が人口10,000人を基準として示されるのであれば、人口の定義の中に交流人口を加えて抗弁することはできないだろうか。 この交流人口を町民としてどのように定義するのか、かつ一定の町づくりを担う負担の証ができる仕組み作りを税務職員などへ指示していたのである。
町の人口目標を定住人口8,000人、今までの人脈などを生かした交流人口2,000人、合わせて10,000人となるように 考えていた。仮に「東川町さん、人口は10,000人未満ですよね」と問われた時、「いやいや、私たちには応援してくれる町民もいて 10,000人です」と主張しようと…。しかし、ありがたいことにこのような機会は来ていない。
職員からはなかなか提案に至らなかった。それは交流人口の負担をどのような形にするのが良いのか、新税的なものか、協力金か、 …などである。私も総務省税務当局に「新税の可能性について訪問して直接教示を願いたい」と電話でお願いしたところ、 「北海道庁へ行って相談してくれ、全国に3,000以上の市町村があり、いちいち相談に付きあえない」という返事が返ってきたが、 当局は実に冷たいところだと感じた。数年の検討を経て、2009年に「ふるさと納税」制度がスタートし、若手職員の中に プロジェクトチームを編成させ、一気に実現化に向かうことになった。
町長就任時(2005年)、職員から東京の民間会社へ研修に派遣してほしいと申し出があり、3か月間派遣したことがあった。 様々な刺激を受けてきたようである。
研修後、東京での深夜TV見て2006年には全国初となる婚姻届や出生届について本人の控えを家族の宝物として 保管できる仕組みを実行した。デザイナーの藤本やすし氏と提携して実現したものである。話が外れたが、 研修中に民間会社の株主優待なるものを学び、行政などの中にも応用できないか考えているようであった。若手職員と議論の結果、 「ふるさと納税」を「ひがしかわ株主」と呼び、展開することに決定したものである。「税」という言葉は一般の人々にとって 強制力のようなものをイメージし、自主性を感じないが、「株」は投資によって投資先の成長や発展が楽しみになり、 参加している意識も高まるという発想で、遊び心がありユニークである。
大雪山の主峰「旭岳」
田園風景
君の椅子プロジェクト(椅子は2012モデル)
今年4月にオープンした「Montbellショップ」
本人の控えを家族の宝として保管できる、出生届(左)婚姻届(右)
投資いただいたものを何に充当するかが議論となったが、最終的に直接町民の福祉向上に寄与するものではなく、 株主や国民の便益を向上されるものを優先し、その結果として町民の福祉向上に寄与するものとした。 「ひがしかわ株主条例」を平成20年6月議会で議決し、特別町民の登録と投資による事業区分を次の通り定めている。
具体的には(1)関連では「写真アーカイブス事業」と「オーナーズハウス建設事業」で、オーナーハウスは株主などが 東川町に家族や友人などと滞在できるハウスの整備である。(2)では大雪山でクロスカントリースキーや複合競技に頑張っている 「オリンピック選手育成事業」である。(3)と(4)ではEcoプロジェクトとして「水と環境を守る森づくり事業」では株主との交流を 図りながら大切な水資源を保護するための植林活動を展開し、また「自然散策路整備事業」として国立公園内の散策路の整備を行っている。 また昨年からは2014年に東川町が開拓120年を迎えることから記念事業を追加し、北海道が生んだ世界的な彫刻家安田侃作品の展示実現に 向けての整備を図ることにしている。さらに株主と地元農業者を結ぶオーナーズファームも始まっている。
水資源を確保するための植林活動。
株主と地元農業者を結ぶオーナーズファーム。
現在、株主と投資額は別表2の通りであるが、2,000人の目標達成と合わせて海外の人々も特別町民とするような 取組みも検討が始まり、既に数名は株主となっている。
本町では専門学校などと提携してアジア地域の人々を対象とした「日本語と日本文化体験学校」を開設しており、 当該学生などとも連携したネットワーク化による観光振興を目指している。ローカルな人々との交流を重視したユニークな 国際観光田園づくりを目指したいものである。
別表1 人口の推移(住民基本台帳 各年5月末登録者数)
年度 | 人口 |
---|---|
1972年 | 7,875人 |
1982年 | 7,813人 |
1992年 | 7,192人 |
2002年 | 7,558人 |
2012年 | 7,898人 |
別表2 ひがしかわ株主登録者数
年度 | 登録者数 | 投資額累計 | |
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2009年 | 415件 | 11,651,000円 | 3月末 |
2010年 | 881件 | 22,645,000円 | 3月末 |
2011年 | 1,276件 | 29,867,000円 | 3月末 |
2012年 | 1,867件 | 45,126,000円 | 5月末 |