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新潟県出雲崎町/どらまちっく日本海、良寛さんの心の町

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年4月16日
新潟県出雲崎町の写真

新潟県出雲崎町

2797号(2012年4月16日)  出雲崎町総務課企画係


はじめに

出雲崎町は、新潟県のほぼ中央に位置し、南東部を長岡市、南西部を柏崎市に接し、北西部は約9㎞におよぶ 海岸線を有し、佐渡と相対しています。 

町の面積は、44.38k㎡で、このうち約7割を山林面積が占めています。また、人口は平成24年3月末で5030人と なっています。 

出雲崎は日本海に面した海岸地区と内陸部の駅前地区に大別でき、海岸地区は、江戸時代に佐渡からの金銀荷揚げの 地として栄え、越後では最初の「天領」となりました。このことから越後経済の中心地として栄え、今でもその名残りとして 「妻入りの街並み」が連なっています。また、生涯において寺を構えず無一物に徹し、清貧の思想を貫いた聖僧「良寛」もこの地で 生まれました。一方、駅前地区は、南北朝時代の古戦場や戦国時代の城址などの史跡が残されており、戦前は教育の村として 先人の功績も大きく受け継がれています。 

町の産業構造は、第1次産業では、農業と漁業が中心で、農業では、稲作と酪農が主体となっており、第2種兼業農家が そのほとんどを占めています。また、漁業は過去5年間の平均で年間2億2000万円程の漁獲高をあげており、県の中核漁業基地となって います。第2次産業では、就業者30人以下の製造業が多く、第3次産業は一部を除いて事業規模は小さいものばかりです。産業別就業者の 割合は、現在では、5割以上が第3次産業への就業者となっています。 

当町は、昭和32年に内陸部の西越村と海岸地区の出雲崎町が合併し、新生出雲崎町として誕生しました。その後、 平成15 年7月に合併協議会(法定)を立上げ、合併の道を模索しましたが、翌年11月に協議を終了し、当面は、自立の道を歩むことに なり、現在に至っております。 

しかしながら、人口減少は深刻な課題であり、昭和の合併当時は12000人だった人口が、現在では5、000人ほどとなり、 高齢化率は、36.2%となっている過疎地域です。 

魅力あふれる出雲崎の歴史を後世に伝えるために

かつて越後の海岸線に沿って東西に伸び、佐渡から江戸へと金銀が運ばれた「北国(ほっこく)街道」は、 江戸時代、東海道や中山道に次ぐ重要な街道として宿場町が多数点在していました。とりわけ江戸幕府の直轄地「天領」であった 出雲崎はその要所として大変なにぎわいをみせました。この当時の税金は間口の広さで取っていたため、間口が狭く奥行きの長い 「妻入り」の街並みが日本一の長さに渡って形成されました。 

町では、この妻入りの街並みを保存するため、妻入りの形状の建築物の増改築や新築に助成金を出すなどしています。 

また、昭和62年から東京藝術大学日本画科の大学院生・院卒業生から毎年出雲崎町に来ていただき「街並みをスケッチ する合宿活動」として、街並みのスケッチ画を描いていただいています。このスケッチ画は昨年までで346点を数え、町の宝となっています。 

妻入りの街並みの写真

妻入りの街並み

街並みスケッチ画の画像

街並みスケッチ画

観光資源を活用して全国に向けて情報発信

出雲崎は平成16年の新潟・福島豪雨、中越大震災、平成19年の中越沖地震と立て続けに災害に見舞われました。 これらの災害からの復旧・復興に奮闘するなか、演歌歌手ジェロさんのデビュー曲「海雪」が大ヒットし、出雲崎の名が全国的に広まり、 出雲崎を元気づけてくれました。このことが縁で、平成21 年にジェロさんから町の観光大使に就任していただき、現在も出雲崎を 全国にPRしていただいています。 

また、「おけさ」源流の地と言われている出雲崎で古くから唄われている民謡「出雲崎おけさ」を全国に広めるため、 民謡歌手剣持雄介さんから「出雲崎おけさ大使」に就任していただいています。 

ジェロさんや剣持雄介さんからは町で開催するイベントに出演していただいており、多くの観光客などから楽しんでいただいています。 

そして、町の各種イベント会場となる道の駅「越後出雲崎天領の里」にある「夕凪の橋」からは、世界一大きい といわれる夕日を見ることができ、この橋の欄干に鎖を結び鍵をかけると恋が成就するといわれ、いつしか「恋人たちの橋」と呼ばれるようになりました。

「出雲崎おけさ」の全国大会の写真

毎年開催される「出雲崎おけさ」の全国大会

「夕凪の橋」の写真

イベントでライトアップされた「夕凪の橋」

人口減少に歯止めを―定住促進に向けての施策

町では人口増加・定住促進のため、昨年、若者向けの町営住宅を建築しました。 

この町営住宅は、新築の3LDK一戸建て3棟で、入居条件を「定住する意思を持って転入する者」で「申込者が40歳 未満かつ40歳未満の配偶者が同居する者」または「配偶者と中学生以下の子が同居すること」などとしました。家賃は月額4万円に抑え、 さらに扶養する子が1人いると5千円、2人では1万円、3人以上では1万5千円を減額することで、子どものいる世帯が入居しやすい設定に しました。また、将来この住宅を購入することもでき、定住していただくための支援として、入居から10年以内に購入される場合には、 それまで納めた家賃の一部を購入費に充てるものとして、最高150万円の支援金を支給することとしています。この住宅の募集には周辺 市町村や、県外からも応募があり、申込者が募集数を大きく上回ったため、応募者のなかから3世帯を決定しました。 

町では、今回の町営住宅の評判・効果等を検証しながら今後の町営住宅の建設を行いたいと考えております。 

若者向け町営住宅の見学会の写真

若者向け町営住宅の見学会

おわりに

ここまで町の取組みを紹介しましたが、おぼろげながらも、出雲崎町のイメージを想像できたでしょうか。

町では、人口減の歯止め、定住人口の増加を目標とし、町民の方からは、町の文化や歴史を理解し関心を持ってもらう とともに、地域文化の振興を通じて町の良さを理解していただき、町外の方に対しては、まずは、町の名前を覚えていただき、次に訪れ、 感じてもらい、最終的には住んでもらうという施策を展開し、恵まれた自然と歴史の中で「安全・安心に暮らせるまちづくり」を進めたいと思います。