100万人で賑わう有田陶器市
佐賀県有田町
2747号(2011年1月31日) 商工観光課 主査 森田剛史
有田町は、平成18年3月に「やきものの里」有田町と「農業の里」西有田町が合併し、誕生しました。町の位置は、佐賀県の西部で、北に伊万里市、東に武雄市、県境を挟み西は長崎県佐世保市、南は長崎県波佐見町と接しています。これら周辺都市部とは直線距離にして、伊万里市8㎞、佐世保市15㎞、佐賀市40㎞のところにあり、町の東西を、JR佐世保線が横断し、佐賀まで40分、博多までは80分で行くことができます。
道路交通では県内主要幹線である国道35号線が東西に横断し、伊万里、唐津、福岡都市圏へ伸びる国道202号線が南北に縦断しているほか、北西部に国道498号線が通っています。波佐見町との境に西九州自動車道・波佐見有田ICがあるので、長崎自動車道、九州自動車道を利用すれば福岡までは80分で行くことができます。また、福岡空港・佐賀空港までは車で70分、長崎空港までは40分と、主要都市・施設からも利便性の高い交通環境にあります。
有田町は、面積65.8平方kmうち、約6割を山林・山岳が占め、農地は1割強という全国に点在している中山間地域のどこにでもある普通の田舎町ですが、美しい景観を誇る田園地帯や黒髪連山など豊かな自然に恵まれ、観光資源は豊富に揃っています。
町には、有田の歴史を語る上で外すことができない国指定史跡である「泉山磁石場」や高さが40mもある樹齢千年の国指定天然記念物の大公孫樹(おおいちょう)、登り窯の廃材などを利用(現代風に言い換えればリサイクル)して作られた塀「トンバイ塀」、磁器製の鳥居と狛犬がある陶山神社などがあり、「やきものの町」ならではの風情に触れることが出来ます。さらには、日本の棚田百選に選ばれた「岳地区の棚田」や日本名水百選の「竜門峡」など緑と名水の名所も多数あり、ここでは語りきれないほど多くの観光スポットがあります。
しかし、その一方で有田町を支える、400年の歴史を持つ「やきもの」と稲作・畜産を中心とした「農業」の二つの産業が、今、危機的な現状に至っています。
棚田の風景
樹齢千年の大公孫樹(おおいちょう)
有田町は、1616年、朝鮮人陶工李参平らにより、有田泉山で陶磁器の原料となる陶石が発見され、日本で初めて磁器が作られました。以来、陶石の調達が良かったことはもちろん、燃料となる松の木が豊富であったことや地形的な条件の良さなどから急速に発展を遂げました。1650年頃にはヨーロッパに輸出するまでに至り、マイセンやセーブル等の世界の陶磁器産業に大きな影響を与えました。
国内への流通も、18世紀頃には全国各地に出回るようになり、需要が高まるにつれ、有田焼の知名度も高めていきました。
こうした背景をもとに大規模な企業が生まれ、中小規模の業者らも分野・目的別に組合を設立するなど、製造から販売に至る分業体制を確立し、91年のピーク時には250億円を売り上げるまでの地場産業として発展しました。
しかし、その後のバブル崩壊の波が、例外なく産地にも大きく及び、旅館・飲食店関係との大規模取引の減少、安価な輸入品の流入やライフスタイルの変化などにより、売上はピーク時の4分の1まで落ち込みました。現在では、窯元の従業員も半減するなど、有田焼を取り巻く環境は伝統産業存続に危機的な状況にあります。
磁器製の鳥居と狛犬がある陶山神社
有田町の農業は、水稲が主要な産物ですが、肉用牛やブロイラーの飼育も盛んで、特に肉用牛は「佐賀牛」として関西や関東方面に出荷され、好評を得ています。また、山の地形を利用したぶどう(巨峰)やみかん・茶の葉、平野部では玉葱や大豆が昔から栽培されてきました。最近ではアスパラや金柑などのハウス栽培も盛んになっており、多様な生産が行われています。
しかし、やはり他の中山間地域同様、農業従事者の高齢化と農産物の価格低迷などによる後継者の減少、農業のグローバル化により、有田町の農業を取り巻く環境も大変厳しい状況に置かれています。
トンバイ塀のある裏道
二つの産業が危機的状況であることから、各々だけで再生を図るのではなく、互いの相乗効果による地域活性化策として、【「食」と「器」の地域づくり】をテーマにし、有田町に多数の人々が集う交流観光の場を形成することを考えました。そこでのこだわりの食と器の販売を、陶磁器と農業生産額の確保につなげ、さらに後継者育成という流れを生みだし、有田町の再生を図っていくというものです。
平成20・21年度と国からの「地方の元気再生事業」の補助を受け、有田町地域活性化協議会を事業主体に九州農政局と連携を取りながら、この事業の実施にあたりました。
これまでの有田町は窯業・農業ともに生産が中心であったため、町を訪れる人への対応が十分ではなく、各種の地域資源・観光資源は数多くあるにも関わらず、4月29日から5月5日の有田陶器市以外の観光客は少ない状況でした。しかし、有田を訪れる人に、窯元めぐりや棚田の風景、産物などの提供方法を工夫すれば、四季を通じた交流人口・観光客増大の可能性を有していました。
そこで、有田を訪れる観光客などに対し、有田の窯元や農家が有田の特色である食と高感度の高い食器を用いて町屋でもてなす事業を展開していくと同時に、ICT等を活用し、情報の発信をすることとしました。その波及効果として、有田陶器市以外の期間で観光客を集客し、
プレハブの販売所「あじさい村」を設置して、こだわりの食材を利用した加工食品の試食・販売。また、ピザやそば打ち研修などの人材育成。
特に加工品の開発では、佐賀大学の指導により有田産鶏の燻製、金柑ゼリー、金柑もちなどをつくり、生産から販売までのシステムを確立。
加工食品などを販売実験している「あじさい村」
町屋を利用した通年レストランの営業に向けた人材育成。11 月は「おくんちご膳」、12月は「窯場の夜食」、3月は「雛ご膳」といった地場農産物を利用した季節ごとのご膳料理メニューを作り上げ、「伝統行事と行事食を楽しむ会」での観光客へのおもてなし。
またイベント時の空き店舗などの活用により、有田ならではの立ち寄り拠点を増やし、街中の回遊性をアップ。
11月のおくんちご膳(小路庵)
江戸・明治・大正・昭和の各時代を代表する町屋が連なっている地区(1991年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定)を中心に、観光客への滞在時間の拡大を図ると共に、街中の散策を楽しんでもらうための「裏路地ルートマップ」の作成。
また、有田町内の各種催事のポスター・チラシの作成、旅行雑誌への掲載、首都圏での記者発表など集客のための情報発信のほか、やきもの体験と近辺宿泊施設を組み合わせた旅行商品の開発。
「重要伝統的建造物群保存地区」(1991年国選定)
町屋を改修したおもてなしの場
観光振興事業推進拠点である有田観光情報センターによる観光情報の収集・発信の一元化管理。
また新「有田ブランド」の確立と認知度アップを図るため、有田町の観光、地域と人々の魅力を紹介するホームページ「ありたさんぽ」を開設。日本語および英語・韓国語での、国内外へ向けての情報発信。( ありたさんぽのアドレスはhttp://www.arita.jp)
平成19年度に策定した地域活性化プラン「食と器」の策定委員会のメンバーを主体に、有田の魅力発信のために東京で活動するメンバー(情報技術活用、町屋等の不動産再生、映像技術等)を加え、地元大学や高校、各種研究機関などの協力も得て「有田地域活性化協議会」を組織し、事業実施体制を整備しました。
このことにより有田町内の窯業関連の商工業、農業、まちづくり団体、女性団体等のほとんどを網羅した実施体制で取り組みました。なお、有田町は有田町地域活性化協議会の事務局として、会議の調整、連絡会計業務等を担当し、実施しました。
「食」と「器」のまちづくりを継続的に実施するための人材育成や組織の設立ができ、交流型観光を核とした地域づくりの推進体制が整備できました。今後は現在の活動を継続し、更なるステップ(体験・民泊を取り入れた有田型ツーリズムの構築)を目指しています。
また平成22年度からは官民協働で地元経済の立て直しを図る「総合経済対策会議」を発足しました。これまでは行政主導による対策が実施されてきましたが、今回は窯業、農業、観光といった業界からの声をより反映できる民間主導の体制、トップダウンからボトムアップ方式による政策の構築を図る組織運営になっています。
各業界から選ばれた委員の方々で、「どうにかして有田を元気のある活気づいた町にしたい」と会議を重ね、様々な意見・要望が出されています。
即座に取り掛かれる事業については23年度から実施し、地元経済の再生に取り組んでいきます。
最後に、2016年は有田焼創業400年を迎えます。これから実行委員会の設立など準備に取り掛かっていきますが、様々な記念事業が単なるイベントで終わるのではなく、窯業再生への起爆剤となればと考えています。