第1回観光甲子園で、『ヒトツナギの旅』プランが、見事グランプリ受賞
島根県海士町
2723号(2010年6月14日) 海士町長 山内 道雄
隠岐諸島は島根半島の・沖合60キロほどの日本海に浮かび、本土に近い3つの有人離島で、西ノ島(西ノ島町)、中ノ島(海士町)、知夫里島(知夫村)、島前地域を構成する。平成の大合併の折りにも、島前の3町村が互いに海を隔て独立した離島であるという地理的特殊性から、住民視点での合併のメリットが見出せず、3町村ともに極端な過疎・少子高齢化、産業の空洞化に苦しみながらも、「合併しない」という決断をした。その直後、三位一体の改革で地方交付税が町税額に匹敵する規模で大幅に削減され、島の経済、雇用、生活基盤が根底から脅かされる危機的状況に直面。3町村それぞれ独自の地域活性の取り組みを始めた。
本町では、「先憂後楽」の精神で、自主的な給与の大幅カットを伴う行財政改革を断行。「まちづくりの原点は人づくりにあり」という信念から、少子化対策や次世代の人材育成などへ投資。そして、官民一体となり、地域資源を活かした産業創出に加え、充実した子育て支援と地域の未来を担う人づくりの施策を積極的に展開してきた。
本町には、島前3町村で唯一の高校である島根県立隠岐島前高等学校(以下、「島前高校」)があるが、急激な少子化の進行を受けて、この10年間で生徒数が半分以下に激減。全校生徒90人程度(全学年1クラス)となり、このままでは高校の存続が危ぶまれる状態となった。
島前高校を失うことは島前3町村にとって文化的・経済的に計り知れない損失となる。高校がなくなれば、島の子どもたちは中学卒業とともに島を離れなければならなくなる。仕送り等(3年間一人の子どもを本土の高校に通わせると450万円程度)で家計にかかる負担は一気に跳ね上がり、子どもを持つ家庭の島外流出が進行する。また、子どもを持つ若年世帯層の島へのUIターンの激減や、教育費の負担増による出生率も低下する。
新たな雇用創出と教育・子育て支援の充実により、若者のUIターンや出生数を増やし、持続可能なまちづくりを進めるという挑戦は、島から高校がなくなることで水泡に帰すことになる。更に超少子高齢化が急速に進み、人口構成が一層偏り、島の活力が急激に低下してしまうことも容易に想定される。高校の存続は島の存続と直結する問題なのである。
こうした潜在的な危機に対して、「ピンチは、変革と飛躍へのチャンス」という発想のもと、平成20年3月、島前高校と島前3町村による一大連携組織「隠岐島前高等学校の魅力化と永遠の発展の会(以下「魅力化の会」:三町村長・三町村議長・三教育長・三中学校長・高校校長・PTA会長・OBOG会会長等で構成)」を発足し、高校改革の母体とした。
まず、高校と島前にある全中学校の生徒・保護者・教員へのヒアリングやアンケート、各町村をまわっての住民、議会との意見交換会や、県・国との協議を何度も重ね、一年かけて島前高校の今後のビジョンと戦略を策定。その構想を島前三町村長と高校校長が合同で、県知事と県教育長に提言した。現在は、その構想実現に向け、高校の教職員と島前地域の有志による「魅力化推進協議会」も発足し、実質的な取り組みが開始されている。以下に3つの主な指針と2つの課題について述べる。
今までは、「島では、学力が伸びず大学進学に不利」という“常識”が根深くあり、大学進学を希望する多くの生徒は、中学卒業時に島を離れ「本土」の高校へと流出していた。こうした状況を打破し、離島であっても学力が伸び、希望の進路を実現できる教育環境づくりを進めている。
一つは、今まで弱みだと見られてきた「小規模校」ということを、『一人ひとりに手厚い指導が可能な少人数制』という強みと捉え、超少人数指導と充実した個別指導で一人ひとりの個性と学力を徹底的に伸ばし、国公立大学などへの進学希望も実現する「特別進学コース」を設置する。
昨年度は高校教員の努力により、難関国立大学への進学者も出るようになった。
また、今年度から高校と連携した公営塾「隠お きのくに岐國学習センター」を設立した。大手予備校やハーバード大学進学塾などでの指導歴を持つ経験豊富な講師や、生きる力や起業家教育に関する特別授業を全国で展開してきた指導者に加え、ICT(情報通信技術)や最先端の教育メソッドなども活用していく。
島前3町村で、唯一の島根県立隠岐島前高等学校である。
昭和48年創設 県内最強のレスリング部 もちろん目指すは全国制覇!
従来、高校卒業とともに9割以上の子どもが島外に出て行き、いつか島に帰ってくる割合(Uターン率)は2~3割であった。地域が自立し持続していくためには、このUターン率を上げていくことが重要である。そのためには雇用の場づくりや定住促進の施策の充実に加え、教育においては、「田舎には何もない」「都会が良い」という偏った価値観を払拭し、「いつか島に戻り、地元を元気にしたい」という愛郷心や「地域を活性化させる仕事・産業をつくりに帰りたい」という地域起業家精神を育成する必要がある。
そこで、次世代の地域リーダーを育てる「地域創造コース」を高校に新設。島の豊富な地域資源や人材を活用し、生徒たちが実際のまちづくりや商品開発などを行うことで地域の未来を切り拓く人材の育成を目指す。
その先駆けとして、昨年度は全国観光プランコンテスト「観光甲子園」に出場した。島前の一番の魅力は“人”であると見抜いた生徒たちが、“人”を観光資源と捉え、観光名所に行かせず、「人と出逢い、自然体験ならぬ“人間体験”を楽しみ、人とのつながりをお土産に持って帰る」という新たな観光プランを提案し、グランプリ(文部科学大臣賞)を受賞した。またその後、生徒たちが主体となり、住民を巻き込みながら、全国から参加者を集め、その観光プランを実現化させている。
今後はグローバルな視点で、地域ビジネスやまちづくりを行える人材を育てるための、高校生の観光大使派遣や海外研修、留学制度づくりなど国際交流も検討していきたい。
島内の中学生を島前高校に囲い込む「守り」の戦略だけでは、少子化の地域において中長期的な存続は難しい。島前地域外からも生徒が集まるような「攻め」の戦略が必要になってくる。また56人定員の寮が常時4~6名しか入寮生がおらず、赤字で苦しんでいたこともあり、県と協議し、県外からも生徒の受け容れを可能にし、全国からの生徒募集を開始。全国からの意欲の高い生徒の確保により、地元生徒への刺激と高校の活性化を目的とした、寮費全額、食費毎月8、000円、里帰り交通費等を補助する「島留学制度」も新設し、その財源は町職員や町議員の給与カット分を充てた。
今年度の新入生の約4分の1は島外からの生徒だった。今後は、都市部の大規模校や進学校で物足りなさを感じている「もっと自分らしさを発揮したい」「学力だけでなく人間力も身につけたい」という生徒に加え、自分の町や村が大好きで「将来は地元に帰りたい」「家業を継ぐ」「まちを元気にする仕事がしたい」という地域リーダーの卵を各町村から受け容れ、地域起業家的な資質をしっかり鍛えた上で、将来地元に戻って活躍できるように送り出していきたい。
全国から志ある生徒募集 寮費全額、食費毎月8,000円、里帰り交通費補助の「島留学制度」
大阪の進学校からきた生徒
教員数は、「公立高等学校の適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律」(以下標準法)により、各学校の収容定員(学級数・生徒数)に応じて全国一律の基準で算定される。この法律は昭和36年に学校の適正規模化を目的に制定された当時のままで、島前高校のような小規模校であれば教員数は8名と算定される。当然8名では高等学校の運営はできないので、県からの加配と、町からの4人(社会教育主事、魅力化事務局、図書館スタッフ、事務スタッフ)の派遣を行い、それでも非常に多忙な状況である。今後は、中山間僻地や離島の小規模校における教育の機会均等の実現に向け、他の町村とともに国の法改正と教員数の確保を強く要望していきたい。
島前高校の管理職は2、3年おきに変わっていく。島に単身赴任し、少し慣れたと思ったらすぐに「本土」へ戻されるような状況では、どうしても中長期的な視点にたった改革はやりにくい。教育は2年や3年で形になるものではなく、ましてや地域と連携した学校経営を行うには、継続性が重要になってくる。そこで、地域が学校経営にかかわり継続性を担保できる、持続可能な仕組みづくりを進めていきたい。
これまで過疎地には、「産業さえあれば人は離れない」「雇用の場さえ作れれば若者も戻ってくる」という幻想があった。しかし、今の子どもを持つ20代後半から30代の感覚は違う。特に高学歴層ほど、「子どもにより良い教育を受けさせることが出来るならば、多少の犠牲や負担も厭わない」という意識が高まっており、雇用の場だけでは優秀な人材は定着しない。これからは教育を含めた総合的な取り組みが、子育て世代の若者の流出を食い止め、逆に子連れ家族のUIターンを呼び込むための鍵になるであろう。豊かな自然と文化に囲まれ、人のつながりが深く、安心安全な地域であるとともに、学力も人間力も伸びる教育環境を整えることで、「子育て島」としての教育ブランドを築いていきたい。
資源の乏しい島国においては、ヒト・ワザ・チエこそが最大の資源であり、人づくりに投資しない限りは、生き残っていけない。これは島前をはじめとする多くの町村が直面している状況であると同時に、これからの日本が直面する状況でもある。ここでの試行錯誤が、同じような課題を抱える他の町村にとって、少しでも参考になるのであれば本望である。また、逆に何か情報があれば、是非ご教授いただければ幸いである。
1人1人が主役!島前高校の生徒はみんな輝いています。