「水源地は、上下流域住民が協働で保全すべき」 現代版「ゆい」の提唱
愛知県東栄町
2722号(2010年6月7日) 特定非営利法人ななさとぐるーぷ 専務理事 伊藤 俊弼
愛知県の北部に位置する東栄町は、いわゆる水源地としての役割を担う山間地域であるが、近年、過疎や高齢化に伴って発生する農林業の衰退によりその多面的機能さえも失ってしまう危険性をはらんできた。このことに危機感を覚えた住民の有志が一同に会して得た結論は「上流域水源地は、そこに暮らす住民だけのものではなかろう」である。
つまり水源地とは、下流域の住民にとっても暮らしの上で欠くことのできない重要な存在なのではないか。それならば水源地の環境は「上下流が協働で保全すべき」と結論付けたのが現代版「ゆい」の提唱である。その昔、集落内の協働作業システムとして発祥したこの制度を、上流域と下流域の関係に置き換えて再構築しようとする試みである。名付けて「ゆいのまちづくり戦略会議」。
基本的なコンセプトを「水源地の保全は農林業の再生から始まる」とし、水源地の自然を上下流の共有資源と位置づけた。さらにその先に望まれるものは上下流相互の理解と合意である。それゆえに我々はこのプロジェクトの到達点が、遠い先であることを予感した。過去の活動から、山村と都市の価値観の差を痛感してきた経緯があり、両者の間に合意をとりつけるには膨大な時間とエネルギーが必要なことを熟知していたからである。しかし今、それを乗り越えて一歩を踏み出さなくてはならない窮地にあることも紛れのない事実である。
都市の住民に山間地の現状を知ってもらうための手段として、食への関心に着目した。山間地域の自家消費食材を持ち込み、名古屋市内で「地産地消の料理教室」を開催し、その中で山間地(水源地)の現状と衰退する農林業の窮状を報告した。そこから、農業体験講座を通しての遊休農地の利用拡大や耕作放棄地の再生ボランティアへの参加者を募る試みである。約80名の教室参加者中12名が農業体験講座へと移行し、まずまずの結果を残した。しかし、その大半は料理教室が目的であり水源地への関心の低さが改めて浮き彫りになる結果でもあった。そこで情報発信の対象を拡大し、地域新聞に募集記事をリリースしたところわずか1週間で定員に達し、改めてメディアの威力を痛感した。ちなみに募集定員は農業体験講座を述べ80名、耕作放棄地再生ボランティアを述べ35名と設定した。
食への関心に注目!「「地産地消の料理教室」から再生ボランティアへ
農業体験講座:耕運機の取り扱い講習
目的は山間地の現状を知ること。都会の人々が普段消費している農産物などが、どのような場所で、どのような人により、どのような経過で生産されているのかを知ることにより、食の安全性のみならず生産地の実情を目の当たりにして、感動や感謝を喚起し、やがて水源地保全への協働意識を引き出すのが狙い。従ってプログラムは栽培技術よりも農家(指導員)との会話や交流を重視した。
約1,000平方メートルの遊休農地を借り上げ、8月半ばから始まった農作業は隔週の土・日を利用して行なわれた。
猛暑の中での草刈りに始まり、土つくり、種まき、除草作業など、都会の人が慣れない手つきで作業を進める。地域の指導員は必要最小限のアドバイスを行ないながら、後方支援に回って見守る。作業の後には、様々な質問が飛び交う交流の時間が設けられ、山間地農業の衰退状況から水源地における重要性へと話題を誘導していく。体験のプログラムは6回にわたり、最終日の収穫作業では満足そうな参加者の笑顔が印象的であった。この日の収穫野菜は、秋作ジャガイモ、大根など5種類で、参加者は延べ74名となった。
農業体験講座:種まき風景
いま、地域における耕作放棄地面積は、加速しながら急増を続け、減速点が見えない状況にある。しかも遊休農地に比べて耕作放棄地の場合、水源地機能に与える影響は格段に大きい。そこで田舎暮らしに関心のある都会のひとびとをボランティアとして募集し、耕作放棄地の再生実験に取り組みながら水源地への理解を深めてもらい、農地保全のためのシステムづくりを進めたいと考えた。従来から地域づくりに関わる地元のスタッフと都会からのボランティアが協働で耕作放棄地を再生し、その後はボランティア自身の手で自主的に農地の管理運営をしてもらう実証実験である。その内容は再生された農地を利用してブルーベリーの栽培を行ない、ボランティア参加者がその収穫権を保有することにより農地の管理を継続していく。
ボランティア作業は、8月1日から毎週、土日の1泊2日で行なわれた。1回目の伐開作業は雨の中でスタートしたが20年以上放棄された農地は雑木が林立しほとんどジャングル状態。チェンソーや刈り払い機による作業も一時間で数平方メートルがやっとで、予定の面積600平方メートルを目指すスタッフの間には大きな不安が先行した。そこで2回目以降は3倍の機材を投入することにより作業の進捗を図ることとし、ボランティア作業の間にもスタッフによる継続作業が連日行なわれた。その結果予定通り3回目までの間に伐開作業は無事終了し、次の抜根作業に着手できることとなった。放棄地内に群生していた雑木は大きなものでは直径30センチメートルを超えるものもあるなど抜根作業も困難を極めたが、資格を有するNPOのスタッフが大型の建設機械を操縦し、手作業の必要な部分をボランティアが担当するなど、息のあった連携プレーで予定通りの作業工程をクリアーしていった。その後、地表保湿材として木材チップが敷き詰められ、土壌改良剤を散布し予定通り600平方メートルの再生地に60本のブルーベリーが植栽された。また伐採された雑木は保湿用木材チップとして再生利用され、循環型農業の一端を担うことができたことも書き加えておきたい。
ボランティア作業は9月の上旬まで10回に渡って実施された。当初の募集定員は盛夏の過酷な作業を考慮して1回5名とし、7回で35名を見込んでいたが、参加者が次々と友人知人を誘い込み、終ってみれば延べ参加者数は158名にのぼった。都市部における水源地への関心は決して高くはないと判断しているが、ボランティア作業という達成感を伴う行動と、ブルーベリーのオーナーという魅力が相乗効果をもたらしたものと思われる。
その後、植栽された苗木は順調に成育を続け、参加者たちは管理組織を設立して継続的な活動を展開している。再生された耕作放棄地は、今回の実験では約600平方メートルと小さな面積であったが、山村と都市の協働による「水源地保全」のシステムづくりの基礎としては大きな一歩であったと考えている。
再生前の耕作放棄地
ボランティアによる伐開作業
NPOによる抜根作業
いよいよ再生へ!60本のブルーベリー苗木を植栽
かつて長期間にわたりこの種の活動に参加してきた山村側のメンバーにとって、山村と都市の価値観(暮らし方)の相違は容易に解決できない難問としていまだに残されている。今回のプロジェクトでも随所にそのトラブルは発生した。山村側の思惑(協働体制づくり)と都市側の要求(山村への理想)が衝突する。プロジェクトの流れが、経過とともに訪問者と接待者の関係になってしまう。そこから要求と拒絶が始まって捩れが発生する。山村側と都市側が対等に協働体制を築くことは、想像以上に困難な作業である。
このプロジェクトでは、これらの摩擦を最小限とするために徹底した議論の場を設定した。それぞれ作業の後に設けたこの時間は、結果として一定の効果をもたらしたように思える。時には夕食を共にしながら、それぞれの想いをさらけ出すことで徐々に理解が生まれた。山村と都市の交流といいながら、実は人と人との交流であることも双方が納得した。都市側が山村の資源を求めてくることが、実は山村で暮らす「人」に逢いにくることであることも理解できた。これらの経過から得た結論は「立場を変えた協働」である。都市の人々がいま山村に暮らし、山村の人々がいま都市に移り住んだとしたら、それぞれ相手方になにを望むか。そう考えると、理解ある協働が生まれてくるように思える。最後にこれこそが我々の提唱する「現代ゆい」の精神であることを述べておきたい。
最後は笑顔で! 達成感が人をつなぐ