食の文化祭の様子。地域の食卓から1,300もの家庭料理が集まった。
宮城県加美町
2715号(2010年4月5日) 加美町長 佐藤 澄男
加美町が誕生したのは、今から7年前の平成15年4月。旧中新田町、旧小野田町、旧宮崎町の3つの町が一つになり、県内ではトップを切っての合併でした。
加美町は、宮城県の北西部にあり東西約32㎞、南北に約28㎞、面積は約461平方kmと、県内でも有数の面積を有しています。町の西部や北部が山岳、丘陵地となっており、ブナなど豊かな原生林が残る東北百名山・船形山(標高1,500m)や、加美富士で親しまれ加美町のシンボルである薬莱山(標高553m)が聳えています。丘陵地から一級河川・鳴瀬川、田川が町を貫流し、その流域は肥沃な田園地帯が広がりをみせ、四季折々の自然の変化が満喫できます。希少な動植物が生息し、ミズバショウの群生地である荒沢地区、天然記念物「鉄魚」(てつぎょ)の生息する魚取沼(ゆとりぬま)は宮城県の自然環境保全地域に指定されています。
古い町並みが残る旧中新田町は、秋田へ通じる羽後街道と山形県尾花沢へ抜ける中羽前街道が交差する交通の要衝として古くから栄えた歴史のある町であり、また、旧小野田町は薬莱山を背景に温泉保養施設を抱える県下でも有数の一大リゾート地として、年間100万人ほどの観光客が訪れています。雄大な自然環境に恵まれ山紫水明の加美町では、古くから農業が盛んであり、なかでも「農」に焦点を当て、地域の食を掘り起こすイベントである食の文化祭が旧宮崎町で行われてきました。そして現在も「加美町食の文化祭」として、スローフードの取り組みを全国へ発信しております。
町内荒沢地区にはミズバショウの群生地がある
鳴瀬川、田川の流域には肥沃な田園地帯が広がる
旧宮崎町は農業が基幹産業であり、地域の商店街は農業とともに発展してきました。しかしながら、ライフスタイルの変化や近隣市町への大型店の進出等で、平成4年には消費流出割合が7割を超え、地元で買物する人は3割と落ち込んでいました。
消費の流出をくい止めるために打つ手はないか、危機感を持った旧宮崎町商工会は平成8年に村おこし事業を立ち上げ、翌平成9年から10年度にかけて地域資源のとらえ直しによる新たな地域特産品の開発に取り組み始めたのです。
旧宮崎町は仙台から北西50キロメートルにある中山間地であり、人口は7,000人ほどで、世帯数は1,500余の小さな町。袋小路的な地理状況にあり、流行のコンビニもなく、若者の流出や少子高齢化による人口減少等、過疎化が深刻な問題を抱えており、毎年100人ほどの人口が減少していました。
そのような状況の下で取り組んだ地域特産品開発は当初、地域にある資源の中で生産性が高く安定供給できるものを選び、消費者が好むものを商品化するという月並みなものでした。しかし、村おこし事業にアドバイザーとして参加していた著名な民俗研究家から「コンビニのない町はコンビニ不要な町ではないか。一軒一軒の家に畑があって、近くの山からは春には山菜、秋にはキノコや木の実が採れ、町を流れる川からはカジカ・ヤマメ・イワナやアユもとれる。それら旬の食材が、家々で料理され食卓に並んでいる。また、収穫の余剰分は加工や保存の知恵、技術とともに貯えられ、また食卓に並ぶ。この、当たり前の食事の中にこそ、宮崎町らしい豊かな食文化が隠れているのではないか」との後押しを受け、性急な商品開発を図るのではなく、その前にみんなが宮崎町の豊かな食を確かめよう、大量消費地に向けて持ち出せる特産品ではなく、ここにしかない持ち出せない資源、すなわち、ありのままの食、地域の特産品こそ地域の活力になる、という結論に達し、「宮崎町のおもてなしの心」をコンセプトに、「食の文化祭」と言う名称で開催が決定したのです。
川魚も町の食文化のひとつ
これまでの経過を紹介しますと、平成12年に開催された「第1回食の文化祭」では、1,500世帯から、850品の家庭料理が集まりました。しかし、最初から850品集まった訳ではありません。まず、町内28行政区、婦人会など各集落を回り説明会をしましたが、「ほったなふだんのものを人様の前さ出すのは恥ずかしくてやんだ」などと言った抵抗や遠慮があり、開催日2週間前までの申し込み件数は、50品程度でした。そこで、実行委員約50名が手分けして町内を一軒一軒お願いして回ったのです。祭り当日、持ってきた料理がずらりと並ぶと「おらほの町には何にもねぇ」と自分の町をののしっていた人々も「おらほの女子衆もたいしたもんだ」「おらほの町もたいしたもんだ」と称賛の声が上がり、少しずつ意識の変化が見られました。
翌年の「第2回食の文化祭」でも同じようなことが起こりました。開催日5日前になっても集まった料理の品数は200品程度でしたが、開催日当日には1,300品もの料理が集まり、会場となった体育館は圧巻ともいえる迫力で家庭料理が並びました。
なぜ、直前にならないと集まらないのか、という謎はすぐに解けました。それは、スーパー等の大型店舗でいつでも調達できる食材を使用しているのではなく、自家の畑から取れた食材を使って、一番美味しい食べ頃を判断し、見た目も味も最高の状態で出品する料理を作っていること。「第3回食の文化祭」ではさらにバージョンアップし、ただ見るだけではなく、味わってこそ食文化、宮崎町の味を食べてみたいという期待に応え、展示とは別に11,000食の試食コーナーを用意しました。
平成14年から食の文化祭は「食の博物館」として生まれ変わりました。料理の展示会場の他、宮崎町の自然、文化、そして食の生産過程をまるごと味わえる企画とし、交流の常態化を図るイベントへと発展しました。町内28行政区にある農家の庭先や畑を会場に春編・夏編・秋編・冬編と年4回実施し、宮崎町の食と農のガイド役である「食の学芸員」も50名誕生しました。まず春編では、山菜取り、川魚の炭火焼き、しいたけの菌打ち、春の行事食である「植え上げ膳」を茅葺き民家で食べるなどの企画をし、夏編では野菜のもぎ取り体験、秋野菜の種まき体験、秋編では新米・秋野菜の収穫を中心とした企画を実施し、新米や秋野菜を使った料理の試食を通して、他の地域の人々との交流を深めました。冬編では温泉等交流施設・陶芸の里ゆ~らんどにおいて、「この冬、宮崎町のとりまわし料理でのんびり雪見酒」と題し、この年の「地域に根ざした食生活推進コンクール2002」において農林水産大臣賞受賞記念として開催した交流会や、冬期間の保存の知恵や技を中心とした保存食の展示や試食を実施したところ、大変好評でした。
合併して加美町が誕生した平成15年、食の博物館は「第8回宮崎食の博物館」として開催されました。この年は地元の小学生も積極的に参加するようになり、自分たちで育てたハーブや手づくりシュウマイの出品も。このように地域の食を見直し、掘り起こし、そして、その土地のありのままの食文化を育て、地域活性化の中核に据えている取組みは年を追うごと、回を重ねるごとに住民一丸の意識や地域の一大イベントへと成長していったのです。地元のありのままの食生活の魅力を再発見し、誇りを持てるようになった住民が工夫を重ね、毎回趣向を変えたイベントとして企画することで、地域のリピーター創出に繋がり、そのことが高く評価され、全国過疎地域自立促進連盟会長賞を受賞することができました。
「おらほの女子衆もたいしたもんだ」と称賛の声を集めた地域の女性たち
郷土色豊かな料理の数々と興味津々の参加者
春の行楽食「植え上げ膳」
加工、保存の智恵も貴重な食文化
さて、食の文化祭の中心的な役割を担っていた宮崎町商工会も、平成15年8月に加美商工会へと広域合併したことにより、事務の引き継ぎが困難となる中で、食の文化祭を続けてほしい、との声が上がり、結果的には町の商工観光課が担当することに。以降、食の文化祭事業は加美町全体で取り組む事業の一つとして開催に向けて検討し始め、平成17年3月に「第1回加美町食の文化祭」を実施することとなりました。
しかしながら、加美町全体での事業として展開するには大きな弊害がありました。第一に事務局としてどのように全町へ声がけして良いのか分からなかったこと、第二に各種団体の世代交代が合併と同時に進み、今まで各団体で舵を取っていた人がいなくなったこと、第三に旧中新田町、旧小野田町の住民も、旧宮崎町で最初に見られた抵抗、遠慮が大きかったことが挙げられます。そのため、第1回加美町食の文化祭では100品程度の展示に留まりましたが、加美町らしさを出すために用意した地元の合鴨やキノコ、山菜をふんだんに使った加美町パエリアの試食は大変な好評だったほか、食の文化祭を通じて交流できた大分県中津江村をはじめとした九州地方の漬物や保存食も展示・試食しました。
第2回目以降、地元JA女性部や小中学校の協力を得て着々と出品数は伸びてきており、平成21年度に開催した第6回加美町食の文化祭では300品の協力があり、県内外から大勢の見学者が訪れました。
従来の食の文化祭と比較すると、展示料理では見劣りするばかりですが、内容は年々変化に富み、最近では小学生や親子を対象とした調理体験や竹炭のオブジェを設置するなど加美町で育まれてきた自然と調和する技も披露しております。
どこの地域にも先祖から受け継がれた田畑があり、その土から風土に合った作物が育ちます。そしてその作物を使った家庭料理が食卓に並んでいるはずです。旧宮崎町で育まれた食の文化祭では、スローフード・スローライフは人間のスタイルに合わせたものだけではなく、野菜や川魚など自然の流れに逆らわず、そこにある食材と向かい合い、作物たちの都合と寄り添いながら生きているということを再確認させてくれます。「旧宮崎町で掘り起こされた食の文化を加美町全域で継承し、地域の子どもたちに伝えていく」-このことは、学校では教えてくれない、食の地元学と言えるでしょう。
コンビニや大型店舗にいけば何でも揃い、食の企業から食卓の侵略支配を受けつつある今こそが、自分の子に孫に、食の安全安心を受け継いでもらうため、家庭の食卓や地域の食文化、食の地元学を掘り起こす絶好の機会と思われます。