2707号(2010年2月1日) 観光商工課 山本 茂之
観光客であふれかえる吉野山(花供会式の風景)
古の時代から桜の吉野で知られている吉野町(よしのちょう)は、奈良県のほぼ中央部に位置し、町の中心を東西に日本有数の多雨地帯で知られる大台ケ原を源とする清流吉野川が流れている。
そして北には竜門山地、南に吉野山を中心にして紀伊山地が広がっている、深いみどりと蒼い水に恵まれた自然豊かなまちであり町域の一部は吉野熊野国立公園、県立吉野川津風呂自然公園に指定されている。また、南北の吉野山間地域と大和平野地域、東西の和歌山と伊勢を結ぶ伊勢街道などの交通の要所としても古くから栄えてきた地でもある。
その中でも、吉野山は桜と南朝哀史、修験道の聖地として知られ、金峯山寺(きんぶせんじ)、吉水(よしみず)神社など古社寺が多く、地域全域が史跡、名勝に指定され、2004年7月には、霊場「吉野・大峯」が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された。
午前中で早くも満車となった駐車場
吉野山の桜は、今から1300年前、山岳宗教「修験道」のご本尊、蔵王権現のご神木となり、役行者(えんのぎょうじゃ)の神秘的な伝承と修験道が盛んになるにつれて、蔵王権現を祀る金峯山寺への参詣に多くの人々が訪れ、ご神木の「献木」として植え続けられてきた。その後も江戸時代の中期には大阪の豪商が1万本の桜を寄進したという記録も残っている。また、文禄3年(1594年)には、豊臣秀吉が総勢5、000人の供と花の宴を開いたのをはじめとして、吉野山には西行や芭蕉、良寛、本居宣長など多くの文人墨客が来山し、観桜を行っている。
吉野山の桜の数は、全山で約3万本、そのほとんどが日本古来の桜、シロヤマザクラである。桜は麓の下千本から中、上、奥千本へと数週間かけて咲き上っていくが、花矢倉から上・中千本、吉水神社からの中千本の谷を眺める景色は見ごたえがある。
吉野山への、年間観光客数は80~100万人、観桜期にはその年間観光客数の半数近い30~40万人の観光客が全国各地から訪れる。そして、ピーク時にはどこの観光地でも起こりうる交通渋滞、ゴミ対策が毎年悩みの種であった。
など様々な問題が生じていた。これに対し平成6年から交通渋滞の打開策として、観光協会、駐車場管理委員会などの地元組織や吉野町が中心となって、シャトルバスの運行を始め、交通渋滞解消対策、ゴミ収集・分別などを実施し、桜の維持・管理に取り組んできたが、毎年、経費の負担が町や地元に重くのしかかり、地元組織による対応に限界が生じていた。
さらに、平成16年には「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録され、これを契機とした観光客の増加が見込まれることから、より一層問題の深刻化が懸念されるようになり、総合的・一体的な対策の実施の必要性に迫られた。
この問題解決のための取り組みとして、平成16年12月、国土交通省の「公共交通活性化総合プログラム」への応募を行った。
取り組みとしては、
渋滞解消を目指して、交通規制のチラシを配布
を重点に対策を講じることとし、平成17年の観桜シーズンに吉野山に訪れた観桜客から地域・交通手段・シャトルバス・協力金などについてアンケート調査を実施して、実態の把握を行い、その解析を通じて平成18年度以降の対策を行うために、関係者の意見調整や役割分担、合意形成を図ることを目的に、国土交通省・環境省・奈良県・吉野町や地元観光関係団体・交通機関などで組織する「吉野山の観光交通対策協議会」を設置し、検討を行うこととした。
対策協議会で数回の会議を重ね、策定した実施計画をもとに、次の交通対策を実施することとなった。
平成6年より継続実施してきたパーク&バスライドを開花のピーク時の週末4日間実施する。
いつまでも咲き誇れ、吉野の桜
この対策については、吉野町、吉野山自治会、(財)吉野山保勝会、吉野山観光協会、吉野山駐車場管理委員会が主体となって組織する「吉野山交通・環境対策協議会」が中心となって実施することとなった。
この事業を実施して今年で4年目を迎えたが、観光バスの予約制、協力金の徴収については当初、地元も、旅行業者、観光客も戸惑いもあったが、関係機関の理解を得ることができ、この制度は定着してきた。また、満開の週末を除き、円滑な交通の流れも確保できるようになった。
しかし、問題点もないわけでもない。特に満開を迎え週末で天気がよいなど好条件が重なった場合は、広域的な渋滞が発生したり、吉野山内における著しい人の集中、交通対策運営上の円滑な情報伝達が不十分になるなどの問題が発生している。
今後は、ピーク日における対応として、広域的な渋滞に対しては、吉野山だけでなく、途中の国道169号線も飽和状態となることから、吉野山に向かうマイカーの数自体を減らすことが必要である。また、吉野山内の雑踏を緩和するためには、来訪者数を抑制することが最も重要であると認識されるため、広報媒体を十分活用して知らしめることが必要であるという結論に達したが、観桜客が安心して楽しく鑑賞できる環境の整備には、まだまだ不十分で改善に努めていく必要がある。
もうひとつ、吉野の桜で心配なことがある。平成元年ごろから、吉野山の桜が往年に比べ、花の量、その艶も目に見えて衰退してきたのである。当時の奈良県林業試験場の樹木医に調査してもらった結果、①寿命、②病害虫の発生、③環境の変化、④管理不足が原因としてあげられた。
満開を迎えた下千本の桜
そこで、奈良県、吉野町、主に桜の管理をしている(財)吉野山保勝会が中心となって、平成5年に「吉野山さくら検討委員会」を設置し、桜の再生を図りながら、通常の管理体制の強化に努めてきた。その努力が実り、徐々にではあるものの桜の回復傾向が現われてきた。しかし、ここ2~3年前からまたテングス病やヤドリギに侵されるようになり、そして以前にもあまり見られなかったナラタケ類の発生が顕著に見られるようになるとともに、若木でも急速に衰えたり、立ち枯れするケースが目立って増えてきた。
吉野山の住民で組織する(財)吉野山保勝会が中心となり、毎年、吉野山の人々によって下草刈り、幹の苔落とし、追肥、ヤドリギの除去を実施しているが、近年の日本の人口減少の例外に漏れず、吉野山の人口も減少する中、人口700人で3万本の桜を維持管理していくことが大きな負担となってきた。この管理不足の状態が続くようであれば、後10数年で吉野山の桜が絶えるといわれており、地元では早急な対応に迫られることとなった。
1300年前から守り伝えられてきた吉野の桜は、人々の心に敏感に反応する花で多くの人々の目を楽しませ、心を癒してきたと思われる。いわば悠久の歴史に彩られた日本人の心のふるさとでもある。そのため、桜は人々の信じる心によって育まれ、これからも様々な人々の手によって守り続けなければならない宝物である。
桜の衰退の原因は何なのか。(財)吉野山保勝会では平成20年から京都大学大学院教授の森本幸裕教授を団長とする「吉野山さくら調査チーム」を結成し、桜の個体が衰退するメカニズムを解明するとともに、美しい桜山の景観を保全するための地理情報システムを使った分析調査などを行い、総合的な管理計画の作成を行っている。
桜の衰退の原因の一つ、ナラタキモドキ
また、地元の吉野山小学校(現在は統合され、吉野小学校)では、昭和23年から「ふるさとの桜を大切にすることを通して子供を育てよう」と児童が桜への関心を深くするためにサクランボ拾い、種まきからはじめ、桜を育て吉野の山々に植樹を行っている。
平成20年秋には、奈良県、吉野町、地元団体で構成するさくらAID実行委員会、読売新聞大阪本社で組織した「吉野の桜を守る会」が立ち上がり、吉野の桜の現状を広く知ってもらい、保護、育成の大切さを訴えるフォーラムの開催や桜樹林の保護育成のための運用資金の募金活動、桜の保全運動を盛り上げる「吉野さくら応援団」の結成ための運動が展開され、全国の多くの人々から協力をいただいている。
このように、地元住民の桜を大切に守り伝えていかなければならないとの思いだけでなく、全国各地から暖かい手が差し伸べられことはうれしいことである。これも吉野山の桜は、日本人の心の深いところに根ざしているからだといえるのではないか。
世界遺産に登録され、国内でも貴重な群生地と知られる吉野山の桜は、1300年の長きにわたって、先人たちが残してきた財産。親から子へ、子から孫へと受け継がれてきた「吉野の系譜」を絶やすことなく、これからも保護、育成及び環境整備につとめ、日本の代表的な花「サクラ」を地域で守り、育てていかなければならないことを痛切に感じている。