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広島県世羅町/小さくてもキラリと光るまち世羅町―6次産業が突破口「世羅高原」の活性化に向けて―

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年12月14日更新
広島県世羅町の写真

広島県世羅町

2702号(2009年12月14日)  町長 山口 寛明


世羅町の概要

世羅町(せらちょう)は、広島県の中東部に位置し、平成16年10月に世羅郡3町(甲山町(こうざんちょう)、世羅町、世羅西町(せらにしちょう)が合併して誕生した面積278.29平方km、人口は約1万9千人の小さな町です。

通称「世羅台地」とよばれる標高300m~500mのなだらかな山が連なる台地状の地形(世羅高原)にある町で、東は府中市(ふちゅうし)、南は尾道市(おのみちし)、三原市(みはらし)、北は三次市(みよしし)と接し、これらの都市とは20~30㎞圏内にあり、広島空港へも約36㎞と比較的近い位置にあります。また、交通網は、国道・県道など基幹道路が町内に放射線状に走り、周辺地域と連絡しています。町の中心部から、広島空港まで約30分、山陽自動車道三原・久井インターまで約20分、また尾道と松江を結ぶ高速道路が現在建設中で、近々、尾道-世羅(甲山IC仮称)間の供用開始が予定されるなど、交通の利便性に富んだ町です。

JICA視察の様子の写真
6次産業ネットワークでJICA視察も受け入れ

産業は、中世から紀州高野山領荘園「大田荘(おおたのしょう)」として発展した穀倉地帯で、古くから農業を中心に栄えてきました。また、昭和30年代後半からは県営による農地開発事業が行われ、更に、これを契機として、生産性の高い土地利用型農業ができる大規模な農地開発事業を行う国営農地開発事業が昭和52年から着手されました。21年間にわたって357haの農地を開拓。その開拓団地では、現在、地元や県外から38農園が入植し、果樹を中心に野菜、花き・畜産などが生産されるなど、広島県内の主要農業地域として位置づけられています。また、新たな農業として観光農業(果樹観光・花観光)も展開され、産直市場も急速に成長しています。基幹産業が農業であり、「農業の振興なくして地域の活性化はない」世羅町として「全町農村公園化」をめざした農業振興を展開しているところです。

平成9年当時、世羅町農業は多くの課題を抱えていた

しかし平成9年ごろの世羅町(その当時の世羅郡3町<甲山町・世羅町・世羅西町>)は、多くの共通課題を抱えていました。

  • 農業で経営安定ができない。(農業粗生産額は下降傾向にある)
  • 農業者は高齢化し担い手は減少している。
  • 耕作放棄地は増加している。
  • 観光農園は一般のレクリエーション施設のようにグレード感に乏しく、リピーターが少ない(入込客は減少)。
  • 加工グループは商品の売り場がない。
  • 一方で、直売所では、商品が不足している。

このような多くの課題を抱え、地域農業は停滞していました。

6次産業が突破口「世羅高原」の活性化の取り組み

それを打開する大きな農業振興の柱として、農業の6次産業化に取り組むこととしました。6次産業とは、1次産業に2次産業・3次産業を掛け合わせて6次になるという造語で、農業のトータル産業化を図る取り組みです。その取り組みによって、所得の拡大と就業機会の増大を図っていこうとするものです。

その取り組みの大きな特徴は、「個々で取り組むのではなく、個々の農業者・団体がネットワークを構築し、連携し、足りないものは補完しあう。そして世羅郡3町が広域的に連携し取り組んで行こう」とするものです。

グリーンツーリズム大賞2007授賞式の様子の写真
グリーンツーリズム大賞受賞2007

それは、ネットワークを構築し世羅郡3町が広域的に取り組むことによって、

  • 他町の施設が利用できる。
  • より高度な研修が合同で受けられる。
  • 地域内だけでなく、他町でも販売できる。
  • 連携して商品を増やすことができる。
  • 客を共有できる。
  • ブランド化しやすい。
  • 世羅高原のイメージを描き共有できる。
  • 協力し合える(イベント・販売・労働補完等)。
  • 買い物袋やのぼりなどを共同で作ったり共有できる。
  • マスコミが取り上げやすい。
  • 農業者に地域の情報を伝えやすい。
  • 消費者にとっては、町の区分はない。
  • 世羅郡全体を広域農村公園と考えれば魅力が増大する。
  • 観光・直売・加工に取り組む農業者は3町全域にある。
  • 複数の農業者が協力して6次産業は成立可能である。
  • 協力・連携すればグレード感や消費者の満足度はアップする。
  • PRは、世羅郡一本で実施することがより効果的になる。
  • 観光農園の売場に地元産を取り入れる体制づくりができる。
  • 連携することにより、人材・資源・環境・施設等が有効活用できる。

以上のメリット等から取り組んで行こうとしたものです。

高原夢まつりの様子の写真
フルーツ王国せら高原夢まつり

その推進にあたっては、まず、平成10年1月、世羅郡3町を構成員として「世羅高原6次産業推進協議会」を設立し消費者の意識調査を行い、ビジョンの策定を行いました。そして、研修会や検討会を重ね、平成11年7月、郡内の農園・産直市場・女性起業者等を構成員とした32団体による「世羅高原6次産業ネットワーク」を結成しました。6次産業ネットワークでは国・県補助事業等も活用しながら、地域のイメージインパクトを「フルーツとフラワー」として地域全体が豊かでゆとりと夢のある一つの農村公園となるよう様々な活動に取り組みました。

その結果、農業の6次産業化の取り組みは拡大し、大きな成果をもたらしました。世羅高原6次産業ネットワーク会員は、当初32団体であったものが現在57団体に増加し、延べ会員も1,200人となりました。直売所、加工場、レストラン等の6次産業化施設も増加し、また、町農産物を活用した加工品も多く開発されました。6次産業ネットワーク会員施設に訪れる町外からのお客様(入込客)も、10年間で約2倍の137万人と増加し、それに伴って、町全体の入込客も約1.7倍の174万人となりました。このことは、6次産業の取り組みが町全体の活性化にもつながっていることを意味しています。また、会員の全体売上高においても当初約8億円であったものが10年間で約2倍の16億円に拡大していきました。

そしてなりより、世羅高原6次産業ネットワークが本町の農産物・施設・豊かな自然環境等を活用した様々な都市・農村交流の展開とPRによって「世羅高原」というイメージが広く周知され、また定着・強化され、世羅町に親しんでいただく多くの世羅町ファンができたことです。

世羅町は、平成18年4月、6次産業ネットワークの拠点施設として「夢高原市場」を地域活性化の拠点施設として整備した「せら夢公園」内に開設いたしました。そして、拠点性を図るため「夢高原市場」は協同組合として法人化も行いました。世羅町は、この市場を拠点とする6次産業ネットワークと連携し、世羅町農村公園化のさらなる推進、こだわり農産物(農産物・加工品等)の量産化、グリーンツーリズムの推進(ファームステイ・農泊の体制づくり)等、さらなる取り組みを通して地域活性化を現在取り組んでいます。また、6次産業の取り組みが10年を経過するにあたり「日本一大きくて美しく豊かな農村公園にしよう」をスローガンとして、今後の取り組みの指針となる新たなビジョンづくりにも着手しているところです。

※全町農村公園化構想の概念:世羅町の大切な資源・財産である農地、森林、文化等を継承・活用し、住民総意の取り組みの中で、多様かつ効率的な農業生産活動を展開し、更に都市住民との交流の拡大を図りながら、雇用の創出と所得の拡大等の地域活性化を目指す住民総意の取り組み。

「小さくてもキラリと光るまち・世羅町」をめざして

合併後の世羅町では、現在、「6次産業の振興」はもとより、「経営感覚に優れた担い手の確保・育成(集落営農の法人化・農外企業の誘致・認定農業者の育成・新規就農者の確保)、「所得が得られる米に替わる農産物の推進」を農業振興の大きな柱として取り組んでいます。その取り組みにおいて、我が世羅町の農業は、平成17年には農業粗生産額が100億円を突破し、平成18年には平成16年対比21%増の105億円(県内第4位・シェア10%)までに増加する結果となりました。広島県の農業粗生産額がほぼ横ばい状況にあるなかで突出した状況にあり、その取り組みは県内外から大きな評価を受けているところです。

地産地消のつどいの様子の写真
地産地消のつどい

農業を取り巻く環境は、依然厳しい状況にあることに変わりはありません。しかし、我が世羅町の基幹産業は農業であり、「農業振興なくして地域の活性化はない」町なのです。私は、このことを強く認識し、全町農村公園化による10年後の世羅町の姿を、

  • 小さくても、県内一の農業生産額・農業所得を誇る世羅町。
  • 全国でも注目される、多様で経営感覚に優れた担い手が多く存在する世羅町。
  • 全国でも注目される、多様な農業を展開する世羅町。
  • 全国でも注目される、美しい農村風景を誇る世羅町。
  • 全国でも高い交流人口を誇る世羅町。
  • 全国でも農業振興のモデルとなる世羅町。

と見据え、今後とも農業振興による「小さくてもキラリと光るまち・世羅町」を目指します。