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徳島県美波町/孤立的小規模集落の再生物語~最大の資源は立ち上がった住民たち~

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年11月16日
徳島県美波町の写真

徳島県美波町

2699号(2009年11月16日)  伊座利の未来を考える推進協議会 草野 裕作


小さな漁村の奇跡の復活

歴史や文化、風土などがそれぞれに異なる幾つかの集落や地域の集合体として、平成18年3月に誕生した美波町(みなみちょう)。徳島県の南部に位置し、農業と漁業を主産業とする過疎・高齢化が止まらない人口8,000人ほどの小さな町である。

伊座利の風景の写真
三方を山に囲まれ、かつては陸の孤島と呼ばれていた伊座利

厄除け寺として年間を通して参拝者が絶えない四国八十八カ所二十三番札所の薬王寺がある町、アカウミガメの上陸地として紹介される町の東端に、特別な観光地も有名な料理もない、伊座利(いざり)という人口120人ほどの小さな漁村集落がある。

徳島市内から車で1時間半ほどの距離にあるが、入り組んだ海岸線と三方を山に囲まれ、かつては陸の孤島と呼ばれていた。豊かな自然に恵まれているとはいえ、生活の利便性とはほど遠く、漁業以外に働く場のない地区に、全国各地から家族ぐるみの移住者が相次いでいる。また、地区で生まれ育った若者の定着化や13年ぶりに誕生した赤ちゃんなどにより人口が増加。高齢化率も25パーセント台まで低下した。子どもが打ち手のかき太鼓や関船の復活、ジャズが流れる漁村カフェのオープンなど、小さな漁村の奇跡の復活と称されることもある。

行政支援を諦めることができた住民たち

 

地区には、住民が愛着を込めて伊座利校(通称)と呼ぶ辺地二級の町立の伊座利小学校と由岐中学校伊座利分校がある。子どもたちが同じ校舎で学ぶ小中併設校の伊座利校には、最盛期には87人の児童生徒がいたが、過疎化の進行により僅か数人にまで減少し、廃校の危機に直面した。

伊座利校の写真
住民が愛着を込めて呼ぶ「伊座利校」

何とかできないかと知恵を絞った住民たちは、都市部の子どもを受け入れる留学制度の提案や、学校存続を陳情・要望した。しかし、時が過ぎても反応は鈍く、「行政が頼れないなら自分たちが」と、行政からの支援を諦めることができた住民たちは、「学校の灯火を消すな!」を合言葉に立ち上がった。

平成12年4月、全住民で構成する地域づくり活動団体「伊座利の未来を考える推進協議会」(以下「協議会」という)を結成し、「なにもないけど、なにかある!」をキャッチフレーズに、本格的に漁村留学などの草の根的な地区活性化活動を開始した。

人口が少なく、小さな地区ではあるが、その大小にかかわらず、十人十色、百人百様の考え方を持った住たちが、それぞれの違いを認め合い、活動を義務づけず、無理をせず、グチを言わずをモットーとしている。

伊座利流の漁村留学制度

公的な補助や支援を受けず、企画から運営にいたるまで、全て住民の手づくりで始めた活動が、県内外の親子連れを対象に、伊座利校への転校を呼びかける漁村体験イベント「おいでよ海の学校へ」である。定置網漁や漁船クルージング、磯遊びや川遊びなどを通して、住民とふれあい、地区を体感してもらう海の学校一日留学体験でもある。これまでに15回開催してきたが、毎回定数を超える大勢の参加がある。

ひじき刈り体験の様子の写真
子どもたちが愛称で呼ぶおっちゃんたちが先生となるひじき刈り体験

このような活動などを通して、伊座利校に地区外の子どもたちを受け入れる漁村留学は、子どもだけを受け入れるのではなく、親も一緒に転入してもらうのが伊座利流である。基本的に来るものは拒まずだが、転校を希望する子どもは学校で体験入学をした後、家族は協議会と伊座利校の代表との三者面談に臨む。本当に住みたいのか、住民になる覚悟があるのかといった、親の本気度を確かめる。とことん意見をぶつけ合うときもある。

「おいでよ海の学校へ」漁船クルージング体験の様子の写真
「おいでよ海の学校へ」漁船クルージング体験では子どもたちも大興奮

漁村留学家族には、協議会が都市部に住む地区出身者から借り受け改修した空家などを住宅として用意するが、住民とは対等の関係にあり、仕事などの生活面は全て自己責任である。こうした厳しい条件にもかかわらず、これまでに1~2年の短期を含め、全国各地から70人を超える子どもたちが漁村留学生として転校してきた。

受け入れた子どもたちを大人たちは呼び捨てで呼ぶ。子どもたちも大人たちを、クロ兄ちゃん、なおちゃん、きよしのおっちゃん、ゆりこおばちゃん、と愛称で呼ぶ。そんな大人たちが先生となって、年間を通して様々な漁業や漁村での生活を体験する。春には、磯で刈り取ってきたヒジキを一晩かけて炊き、天日干し後、袋詰めにし、徳島市内の産直市会場で販売も体験する。初夏には、大敷網という定置網漁を体験する。獲ってきた魚は、大人たちと一緒になって販売もする。秋には伊勢エビ漁を体験する。子どもたちが体験で獲ってきた伊勢エビは豪華な給食となる。

つながりを深める交流

漁村留学を通じて、定住を希望する家族も増えているが、孤立的な小規模集落が将来にわたって存続していくためには、広く地区外の志や共感を共有するよそ者、すなわち都市住民等とのつながりを深めることが不可欠なことから、地区内外で多彩な活動を行ってきた。

美波町祭り風景の写真
集落復活の過程で、子どもが打ち手のかき太鼓も甦った

協議会発足直後には、関西在住の地区出身者などを対象に、大阪市内で関西伊座利応援団発足会を行った。住民の約半数が出向き、約300人の参加者に、「今、伊座利の存続が危ぶまれている。活性化策をともに考え、伊座利を未来に残したい」と、地区への理解と協力を求め、親交を深めた活動であるが、この活動によって、地区への愛着心がさらに醸成され、住民の士気が高まるとともに、以後の活動の自信へとつながった。その後も、東京、徳島市内で地区の情報発信活動を行ってきた。

「おいでよ海の学校へ」開会式の様子の写真
「おいでよ海の学校へ」開会式

交流とは、人・もの・情報が往来することであると、積極的に都市部へ出向いていく一方で、地区内においても、クリーンアップ活動、産直市、魚介類の料理や漁船クルージングなどの体験活動を行っている。

シーカヤック体験の様子の写真
シーカヤック体験

こうした多彩な活動の積み重ねにより、関西、首都圏、徳島市内などを中心に、約1,000名の「伊座利の未来を考える応援団員」を有するようになった。移住者のためにと空家を提供する団員、町営住宅用に宅地を無償で提供する団員もいれば、「えらい辺ぴなところなのに、何十回、何百回も通っているのは、大人の心意気みたいなのがあって、そういうおっちゃんやおばちゃんたちとつながっていくということに誇りを感じて、ここが大好きなんです」と地区をモデルにした物語を出版した絵本作家など、応援の形態は様々である。

新たなコミュニティの道-漁村カフェ-

地区内外での活動は、地区の知名度を高め、県内をはじめ、全国各地から訪れてくれるようになったが、伊座利には食事をするところがなかった。そこで、新たな交流の場として、漁師のおばちゃんたちが運営する漁村カフェ「イザリCafe」を平成19年8月にオープンした。

漁村カフェ外観の写真
ジャズが流れる漁村カフェ外観

住民全員がオーナーの店内に流れる音楽はジャズ。人気メニューはその日の朝に獲れた魚の刺身定食や天ぷら定食。挽きたてのコーヒーも評判である。遠来の人たちとの非日常的な会話の場、地区の食材を知ってもらえる場、住民が気軽に食事をできる場、食事の支度がおっくうなお年寄りにも利用してもらえるようにカレーやうどんもあるコミュニティカフェでもある。

交通不便な辺ぴなところだが、開店から順調に客足を伸ばし、年間1万人近くの人が訪れる。2階は、バス、トイレ、キッチン付の洋間2部屋のコンドミニアム。短期から長期の滞在ができるようになっている。

全国伊座利化プロジェクト

人口減少時代の中にあって、田舎(農山漁村地域)の人口が増加することはある意味非現実的なことではある。今の伊座利とて将来にわたって存続していくという保証もない。しかし、そこに人が住み続ける限り、コミュニティのある地域でありたい。そう願うのは伊座利に限らずどの地域でも同じではないだろうか。慣例や前例のみの地域運営・行政運営では、ただひたすら衰退の道を歩むのみである。

そこで、伊座利ではコミュニティの新たな仕組みとして、出身者やその2世・3世たち、縁のある人たち、伊座利を訪れたり、伊座利に関心を持ち、伊座利を未来に残していきたいという“心”(愛着心、志、関心)を寄せる伊座利外に住む人たちを「伊座利人」として受け入れ、伊座利外に住みながらも伊座利の新たな担い手となる「ふるさと住民制度」を創出し、全国に伊座利人を増殖できればと考えている。