2697号(2009年10月26日) 農林水産課 松浦 光洋
川南町(かわみなみちょう)は、宮崎県のほぼ中央、宮崎市の約35㎞北に位置し、東は日向灘に面し、西は尾鈴山地を望み、それ以外 は河岸段丘が広がっている町です。全国各地から農業を志す人々が集まって拓いたことから、「川南合衆国」と呼ばれ、畜産を中心に施設野菜、露地野 菜、果樹、茶など全国でも有数の農業生産量を誇っています。一方、漁業も明治時代から漁業者の移住を受入れ、現在では近海マグロ延縄漁・延縄漁・ 底曳き網漁・一本釣漁などによる県内有数の漁獲高を誇っています。また、商店街が位置する地名は「トロントロン」という一風変わった名前で知られ ています。
川南町には全国から農業を志す人びとが集まったことから「川南合衆国」の呼び名も
その由来の一説には「川南には尾鈴山系などによる豊かな湧き水が至る所にあり、この地にも小さな流れや滝もあって、水音が木霊していた。 現在の道路は日向の主要道路であり、この地はダラダラ坂を上りつめた道の交わる所にあった。人々は畑仕事や神参りの途中ここに憩い、荷車も、馬の 憩いの場としたと考えられ、大木が風を受ける音や水音に癒された。人々は待ち合いの場所を水音のある所として指定し合ったのだと考えられる。トロ ントロンの文字表記の始まりは定かではないが、数百年をかけて人々の豊かな感性により水音が慣用音として認知されトロントロンの地名として今日に 至ったものと考えられる。」(川南町商工会の説より抜粋)とあります。
豊かな自然、人情味あふれる町民性のもと、昔ながらの癒しの土地柄や先 人たちのたくましい開拓者精神を思い起こし、さらに発展するため「ニューフロンティア精神の町づくり」を目指しています。
平成16年11月、本町の認定農業者の有志で構成される「川南町認定農業者協議会」(以下、協議会)の研修会で、地元学(ないものねだりをやめ、地域にある文化や資源=「あるもの」を見直し、個性のある地域づくりを持続的に取り組んでいくこと。)を取り上げた折、「①どこにあるのか外からはよくわからない、②何が売りなのかよくわからない、③町のイメージが弱い。問題は川南町のイメージをつくることだ」とのコメントがありました。これを聞いた当時の協議会役員が、この問題を解決するために動き出したことが始まりでした。
まず、川南にあるものを見直したとき、着目したのが、川南町の基幹産業である一次産業、とりわけ、共に「食」に携わる農業者と漁業者の存在でした。前述したように川南町認定農業者協議会は本町の農業者で構成されていましたが、その会員のほとんどが漁業者の生活や文化について知らず、また、共に協働して何かを行うということもまずありませんでした。
そこで、協議会は「農家と漁師の共通する「食」を核に、川南のイメージづくり(地域づくり)ができないものだろうか」と考えました。しかし、これまで接点がほとんどない両者でしたので、農家と漁師が集まり何かを興そうという話をする環境がありませんでした。無ければつくらなければならないということで、協議会役員等による農業者及び漁業者への呼びかけ、そして「外からの視点も必要だ」との考えで第三者である町内商工業者や隣町高鍋町(たかなべちょう)の商工関係者にアドバイザーとして参加をしていただき、農業者・漁業者が普段着で集い語る場「川南(野、山、川、海)の四季を食べる会」が立ち上がりました。
「川南の四季を食べる会」は、平成18年11月の「川南の秋を食べる会」からスタートし、平成21年9月現在まで季節ごとに計12回開催されています。会はそれぞれが「わが家の家庭料理」を一品づつ持ち寄り、テーブルに料理の名前や作り方等を記入した用紙とともに並べます。農家と漁師、それぞれの違った文化の家庭料理平均70 品が並ぶ様は、川南の食文化の多彩さ 奥深さを容易に想像させてくれました。
「川南(野、山、川、海)の四季を食べる会」は農家・漁師が普段着で集い語る場
始まった当初は、農家・漁師ともにどこかぎこちなく、話す相手も農家は農家と、漁師は漁師と、というようにそれぞれに偏ってしまいがちでした。しかし第2回目の冬、第3回目の春と続けるうちにずいぶん打解け合うようになり、中には個々人で新たな交流(漁師が県外への土産として農産物を農家へ直接注文するなど…)も生まれるようになりました。
現在では、これまで参加してきた農家・漁師・商工業者などで「川南の四季を食べる会」を団体名として新たに結成し、協議会にかわり食べる会を主催するようになっています。また、このような催しの存在を知った町内外の方からの「食べる会に参加して川南の家庭料理を味わってみたい」という要望に応える形で、参加費をいただいての一般来客受入れも行っています。
平成19年の秋、「川南の四季を食べる会」を1年開催し、農業者・漁業者が協力して川南を代表する新たな「食」を何かつくれないだろうか、という声が上がり、では何を作るか協議を行った結果、家庭で簡単に作れ、川南の売りである多彩な食材を盛り込める等の理由から「新たな鍋料理」をつくろうということになりました。
何をつくるか決まれば、次は試作品作りです。協議会員等のアイデアにより数種類の鍋の試作が行われました。そのアイデアの中のひとつに農家・漁師の交流の成果がありました。海水を鍋のベース(汁)に使ってはどうだろうかというのです。最初の試作品は、塩辛くて、「うまい」といえるものではありませんでした。しかし試作品の中で、海水というインパクト、交流の成果であるという理由から「海水」ベースでうまい鍋をつくろうと一致し、海水の割合など改良を重ねていきました。
「鍋合戦」と言えば山形県天童市(てんどうし)の「平成鍋合戦」がその経歴・規模からも有名で、その存在も知っていました。川南の活動を知った隣町高鍋町から、「町名に「鍋」がある高鍋も黙っているわけにはいかない」と高鍋商工会議所を中心に結成された「たか鍋料理をつくる会」が「鍋合戦」の開催をもちかけてきました。天童市の鍋合戦に比べたら規模も小さいですし、言わば二番・三番煎じのイベントです。はたしてどうなるのか不安な面もありましたが、平成20年4月に開催した鍋合戦は、地元新聞や地元テレビ等に取り上げられ、これまでの活動も含めた広報の効果があり実のあるものとなりました。
高鍋城址で開催した第1回鍋合戦
鍋合戦は、「川南の四季を食べる会の10マイル鍋」と「たか鍋料理をつくる会のかきまろ」の対決になりました。「10マイル鍋」は、前述の(10マイル沖の)海水と(内陸に10マイル入った尾鈴山の)湧水をブレンドし、地頭鶏(宮崎の地鶏)のガラでだしをとったものをベースに、具は鱧(はも)のすり身に海藻を混ぜた団子や鰆(さわら)、豚肉、旬の野菜などが入り、海水というインパクトと食材の多彩さで挑みました。対して「かきまろ」は、その名のとおり高鍋特産である牡蠣をメインにみそとピーナッツのだし汁、ズッキーニ、キャベツなどの特産品を盛り込んだまろやかな鍋。鍋が出来上り、両陣営の鍋をそれぞれ食べ比べ、鍋のことやそれぞれの地域づくりの話で盛り上がります。しかし、合戦ですので勝敗がつくことになります。それぞれの思いや町への誇りが詰まった鍋でしたが、結果は第三者の審査員の審査により、僅差で「10マイル鍋」の勝利となりました。
2町で行った鍋合戦は、1回限りの予定でしたが、当日の盛り上がりから、同年秋に2回目の鍋合戦を開催することになりました。「ひがしこゆ観光ネットワーク」などが主催する「児湯みんなの食農まつり」のメインイベントとして、平成20年11月に開催された鍋合戦は、前回から加えて3町が新規参戦し、児湯5町による合戦となりました。
ふるさとの湧水と海水をブレンドした「10マイル鍋」
審査方法は投票による勝負になり、1枚1,000円のチケットを購入した500人のお客さんが審査員になります。5町すべての鍋を食べ一番おいしい鍋に1票を投じます。純粋に味での勝負となりました。結果は、前回敗れた高鍋が最多得票を獲得し勝利を得ました。
第2回鍋合戦には新たに3町が加わった
会場には約1万人という多くの人々が訪れました。主催した「ひがしこゆ観光ネットワーク」の言葉を借りると、経済効果があったかは分からないけれども、盛り上がったのは確かで、地域に元気をもたらすようなイベントになりました。
また、今年も11月15日、宮崎県農業大学校(高鍋町所在)にて、第3回目の鍋合を開催する予定になっています。
川南町には、この「川南の四季を食べる会」を核とした活動以外にも、川南町商工会が中心となり開催している「トロントロン軽トラ市」という他町に誇れるイベントがあり、経済産業省の「新・がんばる商店街77選」に選定されています。毎月第4日曜日の8時~11時半まで開催する朝市で、商店街は歩行者天国になり、出展者の軽トラや軽自動車が100台以上通りに並びます。町内は勿論町外からも出店者が集まり、5,000人以上のお客さんが訪れます。
「トロントラ市」は軽トラや軽自動車100台以上、通りに並ぶ川南町自慢のイベント。町内外から5,000人以上が訪れる。
「川南の四季を食べる会」も軽トラ市で自らが生産した農産物などから開発した加工品などを販売するなど、活動の幅を広げています。今後は、両団体の協力体制の確立によって相乗効果を高めること、さらに新たな形での活動を増やすことなどが、地域づくりの持続発展、経済活性化のために必要だと考えています。
川南は四季を食べる会や商工会といった民主体の力でこのような元気を作り出してきました。これからも生まれてくるこうした力を絶やさぬよう助力し、場合によっては協働することにより、地域づくりに取り組んでいきたいと思います。