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岡山県西粟倉村/西粟倉 100年の森づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年8月10日更新
岡山県西粟倉村の写真

岡山県西粟倉村

2689号(2009年8月10日)  村長 道上 正寿


「家が困れば裏山が助けてくれる」を夢に

西粟倉村(にしあわくらそん)は、岡山県の北東部に位置し、北に鳥取県、東に兵庫県に隣接する、面積58平方キロの小さな山間地です。その内、人工林率が85%を占めて、戦後一貫して「木の村」として村民の文化と暮らしを支えてきました。

家並みの様子の写真
緑の山々を背にした美しい家並みは村の財産

そして国を挙げて拡大造林の昭和40年代には、約1,000ヘクタールにも及ぶ採草地の払い下げを行い、村民の全世帯が1~2ヘクタールの零細な林家となり、競争原理のなかで人工林を育てる環境ができあがりました。それ以降約半世紀大きな時代変遷を経ながら大半の村民が造林事業に参加して今日にいたっています。頑張った大正世代から昭和一桁世代、さらに団塊の世代へ移行して、山林の厳しい状況が原因で山に入る世代はほとんど無くなったことが現実です。

伐採している様子の写真
冬の日を受けて山々は白銀に輝く

私自身も村長として3期目(10年目)に入ったばかりですが、昭和50年から平成10年までの30年間、乳牛40頭、山林12ヘクタール、稲作3ヘクタールの専業農家として頑張ってきました。この35年間の地域社会の変遷と厳しい環境は、簡単には説明できません。作業道、林道のほとんど無い山林へ苗木を1時間以上かけて背負いあげて植林をした記憶、夏休みでの下草刈り、枝打ちや間伐の繰り返しなど非常に苦しい手作業の記憶が今でも鮮明に思い出されます。今日まで育てた森への思いは、決して市場化されたものでなく、祖父の繰り返し言い続けた「家が困れば裏山が助けてくれる」を夢に頑張り続けた事が事実です。

100年先のグランドデザインを

当然、地域社会は農林業を中心とした自然との共生の上になりたってきました。地域の元気も活性化も夢もすべて農林業を中心とした地域振興で成立します。村有林も、村の全面積58平方キロの20%以上の1,200ヘクタールに及び、村の振興対策や将来の方向付けに大きく影響してきました。しかし、昭和39年に林産物の貿易が農林水産物の中でいち早く完全自由化されて以来、市場原理一辺倒の政策で今日に至り、「木」を取り巻く経済環境や、自然空間は崩壊してしまいました。しかも、右肩上がりの成長期に建設したすべての公共施設が地域性を無視した鉄筋コンクリートで建設されて、「木」の村としての位置づけや地域内経済循環を放棄し続けたことが現実です。さらにその影響でしょうか、荒廃田が至るところに目につき、間伐の遅れた人工林、どんどん広がる竹林、ツタが茂る裏山、イノシシ・鹿が自由に往来する里山田、屋根棟が堕ちる農家など、共生としてのよりどころだった自然・経済循環が一気に崩れ、集落の崩壊が起きています。

森林の写真
広大な森林は村民の文化と暮らしを支えてきた。

さらに小泉総理の在職中に聖域無き構造改革を受けた地方分権が推進されて、道州制の議論、市町村合併、農協・森林組合の再編、郵政の民営化、規模の原理での高校の再編等の市場化と規模が優先された改革が強く断行されましたが、与えられたいろいろな提案で地域の諸問題の解決に有意義だったということは一切なかったと感じています。

現実的に限界集落・格差社会ともいわれ、リーマンブラザーズの破綻以来、100年に1回の世界恐慌と言われている時代で、さらに将来については想像することすらできない状況で、過去の色々な地域振興対策がむなしく感じられます。

政権を懸けた政局に移行して、格差社会や限界集落あるいは地域の元気対策がメディアで繰り返し論じられていますが、ここにいたっての方法論は限られます。勇気を持って100年先のグランドデザインを語り、議論して国と地方の役割を明確にして、社会保障全般をどうするか、食糧、資源の自給をどうするか、国家としての将来像・社会像を明確にすることです。

小さな村の挑戦 21世紀森づくり条例

食の安全と自給は地域の自覚と誇りにつながり、どのような補助金より有意義と確信します。地域の経済は、小さなエコノミー、エコロジー、伝統と人の生きざまから生じます。だからこそ、西粟倉村は平成の合併に参加せず、小さな村での挑戦を住民参加で続けていくことを選びました。

村長就任以来、大きな制度改正に追われ続けた10年間だったと感じています。特に財政改革の継続と市町村合併の後遺症を強く抱えながらの執行を続けています。岡山県の78市町村が27市町村に再編されて4年間が経過し、合併市町村の首長選挙で現職が大敗を続けていることや住民の7割以上が合併の効果に疑問を持ち続けていることは、新しい仕組みづくりの追い風と捉えています。

山の風景写真
零細な山林を10年計画で集団管理へ移行。森林組合へ管理委託して間伐を進める。

さて人工林率85%、平均樹齢49年、約5,000ヘクタールの山林をどうするかが村の最重要課題です。平成13年に「21世紀森づくり条例」をつくり、山林の中長期の管理の基本的な考えを住民と共有していくことにしました。それは生産林・共有林・自然林への区分と役割です。条例施行以降、市町村合併の推進で具体的に動きがとれずに経過してきましたが、平成17~18年の総務省の地域再生マネージャー事業を通じて色々な交流を深めながら、平成20年度に「100年の森づくり」というテーマで地域集落への座談会を繰り返し、大まかなガイドラインで住民との共有ができました。

地域の元気は森づくりから

森の現状から述べます。

  • 湯の里、木の村、雪の国として行政と住民が一体で「森づくり」に取り組み、半世紀が経過したが、木材の自由化等の要因で暮らしそのものが変質した。
  • 100ヘクタール以上の林家と1~2ヘクタールの零細林家が共存・自然と共存する考えが極めて弱く、拡大造林以降の山林が崩壊寸前の状況
  • 零細林家の山林への思いがほとんど皆無、昭和一桁世代がリタイヤして次の世代が山林にいかない。樹齢40年の山林の間伐が待ち遠しい。人工林と「森づくり」という本来長期的な計画が短期の視点で捉えられていた。
  • 木材市況はまたまた大崩壊

たくさんの問題が山積しています。

森の様子の写真

いずれにしろ雇用環境、経済状況、グローバリゼーションが変化するなかで、「森づくり」を市場(利益)一辺倒ではなく、水源の森として「遊び」を持たせた森づくりの感性で、世代を超えた環境対策として取り組む事も必要でしょう。木の村として西粟倉村の重要課題として位置づけています。すでに基幹林道が50キロメートル、中心的な作業道が約50キロメートル、樹齢約50年の杉と桧は、約5メートル前後の枝打ちが終わり、圧倒的に間伐の遅れが目につく状況です。造林事業から林産事業に展開していく上で、住民一人ひとりの山林への思いの復活、作業班の確保と継続性、木材の多様性、資金等色々な問題が山積しています。

まず零細林家の集団化と管理委託を行政主導で進めています。30~50アールの零細な山林を10年計画で集団管理、管理委託を進めて切り捨て間伐と集団間伐を、年間300~500ヘクタールで10~15年周期で繰り返す。また搬出間伐の優良材については、地域内での加工を通じた高付加価値化を目指していますが、消費者のニーズを捉えた商品開発や売り方の工夫が必要で、都会の消費者からの遠い地域が苦手としてきた分野です。そこで厚生労働省の地域雇用創造実現事業などを通じて、村外の人材確保に挑戦し、彼らIターン者を中心に「西粟倉村・森の学校」という組織を立ち上げました。「西粟倉村・森の学校」では、丸太で売るだけの素材業から地域内加工による六次産業化を目指し、よそ者・若者・馬鹿者と言われる外部の感性で、住宅用材・産直住宅の販売、木工品の開発販売等の企画を進めています。また農業体験、河川遊び、親子でつくるヒノキ学習机など四季折々の体験イベントにも挑戦しています。森林整備における資金需要の課題ですが、CO2吸収源対策等の公的な補助金を利用に加えて、一般の方々から村の「森づくり」に参加いただく出資金の公募も行い成果をあげています。

木製品の開発を行っている様子の写真
木製品の開発

平成11年の村長就任時の人口が1,800人から、21年には1,650人と減り続けています。高齢化率も33%と子供たちの人口減が甚だしく、冷静に地域の将来を見つめると強がりばかりでは対応できません。今ある地域資源を光り輝かせてプロデュースして、発信すること、「森づくり」が主たる産業なら「森づくり」から地域内経済をつくり、「森づくり」から地域の身の丈にあった小さなエコノミー、エコロジー、暮らしを立て続けることが必要です。

100年の森に村の将来を見る

人間の生活や自然の生い立ちは、もともと効率や規模の原理だけでは成り立ちません。私自身の幼少時代からの農林業に関わる作業についての苦しくて楽しい思い出が、今でも思い出されます。少なくとも、当時は、農林業に対する誇りや家族の絆がそこにあったのではと記憶しています。そして今でも、暇を見つけては山林に入り、大木を見上げて、木の肌に触れて、将来を想像することが生き甲斐の一つです。

河川遊びの様子の写真
河川遊び

時代背景からすると、「100年の森づくり」を通じた地域内経済循環の持続や、「上質な田舎づくり」の挑戦には住民を巻き込みながら大変大きなエネルギーが必要です。村には100年を超える杉林がたくさんあります。その堂々たる佇まいには言葉にならない感動があります。そうした森は、今日の50年生の森にとって次の目標であり、村の風景の将来像でもあります。また、樹齢250年を優に超えるブナ・ナラ・トチの天然林の雄大さは、人の営みの歳月を忘れさせます。大都市の日々刻々と変化する市場と経済行為を否定するものではありませんが、地域と都市、人と森との棲み分けができて、共存可能な社会の創造が今必要ではないでしょうか。村の将来をしっかり見据えて、いまできること、今すべきことをしっかりやりきることが「小さいから可能な小さな村の挑戦」になります。

「100年の森づくり」によって得られる「森のめぐみ」は「人類のいきざま」を映す鏡です。