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沖縄県伊是名村/王様で、心のブランドづくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年3月16日
公演の様子の写真

みんなが力を合わせて創った舞台は、島の人々の心をひとつにした。


沖縄県伊是名村

2673号(2009年3月16日)  住民福祉課 神山 利和


涙あり、笑いありの舞台は、エンディングのテーマソングで幕を閉じた。浦添市てだこホール・那覇市民会館を埋め尽くした満員の客席からの拍手は鳴り止まなかった。一生懸命に演じる姿、素人とは思えない演技と音楽、民俗芸能が一体となった公演は、歴史に残る舞台となった―。

伊是名村の風景

県都那覇市から車で約2時間の距離にある沖縄本島北部の今帰仁村(なきじんそん)、運天(うんてん)港から村営カーフェリー「ニューいぜな」が片道約60分弱(1日2便)で就航している。島に到着すると「ようこそ、歴史と自然の宝庫・ハブのいない伊是名島へ」の看板が歓迎する。

フェリーが昭和58年に就航してから、これまで2台しか乗らなかった車が、一挙に50台も乗るようになり、島の生活環境は大きく変わった。

伊是名村(いぜなそん)は、伊是名島と3つの無人島からなる。4島の面積が15.42平方km人口1,713人(平成20年12月現在)。島の形はフランス国に似ており、標高120mの山が南東から北西に延び岩山の琉球松と海岸沿いに伸びる白浜と自然がマッチした風景である。

島の周囲は珊瑚礁に囲まれ、遠浅の海は島に恵みをもたらし、珊瑚礁の石垣と赤瓦の家などが残るまち並みは古琉球を思わせる。また、約3500年前の貝塚や遺跡が島内で沢山確認されている。

珊瑚礁の石垣と赤瓦の家が残る風景の写真

珊瑚礁の石垣と赤瓦の家が残る風景は古琉球を思わせる。

尚円王で島おこしを!

村民劇の主役となった尚円王(しょうえんおう)は、1415年に伊是名島で生まれた百姓の子である。1470年から1879年の約410年に及ぶ第二尚氏王統を開いた英雄として広く知られている。尚円王の誕生により、琉球王国時代の伊是名島は、神聖の地として格別の扱いを受けることになる。この歴史的ことがらは最も貴重な財産であり資源である。

ハード事業からソフト事業へ時代の潮流も大きく変わった時期、村は、第3次伊是名村総合計画を策定。公共事業からの脱却と観光産業に力を入れることを宣言した。

元々、尚円王を生かした島おこしは、平成元年の尚円王の名称を活用した文化事業に端を発する。「伊是名尚円太鼓」の育成と海外公演、平成7年の民俗音楽「史曲尚円」(普久原恒勇作)での総勢100名によるオーケストラ演奏を実施したほか、平成16年には、村まつりの名称を改めた「いぜな尚円王まつり」を夏と秋に開催。島の文化の紹介と交流に力を尽くしてきた。

今回の「史劇 尚円王~松金がゆく」は、観光振興と文化による島おこしを目指す事業の一環である。

尚円王の像の写真

伊是名の英雄、尚円王は島の誇り

「史劇 尚円王~松金がゆく~」の誕生

それでは、今回の「過疎地域優良事例表彰」総務大臣賞受賞のきっかけとなった「史劇 尚円王~松金がゆく~」についてお話しよう。

事業のきっかけとなったのは、内閣府の沖縄離島活性化特別事業「美島ブランド創出事業(一島一物語)」。県内16の離島市町村が対象となり各島々が工夫を凝らした取組は当時新聞等でも報道された。他の離島が特産品等の商品を開発して島のブランドを推進していく中で、島で生まれた英雄を題材に島おこしをしようという発想は本村だけだった。

最初の1年間は、実行委員会の立上げから始まった。次にこの事業をコーディネートする業者を選任。続いて原案・脚本・演出と進み、衣装・舞台・音響・照明のデザインやキャラクターと、演劇の基礎となる部分が次第に出来上がっていった。村民劇のタイトルも、芝居を製作していく中で出てきたものである。

実行委員や事務局は先進地の視察や市民劇の見学等あらゆる情報の収集、村民へのPR活動に奔走した。尚円王の名称を守るため「尚円王」の名称とキャラクターの商票登録も行った。

そして、演劇の製作とその成果品の発表を目標とした2年目が始まる。

「尚円王」のキャラクターの画像

キャラクターも商標登録

「いぜな尚円王まつり」の様子の写真

「いぜな尚円王まつり」では島のボルテージが一気に上がる

島をひとつにした初公演

平成19年3月の初公演に向けて、まずは、役者の募集である。実行委員会を中心にこの事業の目的など趣旨を説明。小学校、中学校、各集落の区長、青年会、島の芸能団体等々に募集用紙を配布、村内放送で呼びかけをした。

夏休みに1人の小学生が「尚円王」をやりたいと声を上げ、第1号の応募を得たものの、他の村民の反応が鈍く、年が明けて1月2日に演出家が来島した頃には、まだ3分の1ぐらいの応募しかなかった。しかし、実行委員会では上演日を3月24日に決定。3ヶ月弱の期間で仕上げるため、今度は1人ひとりにじっくり説明して参加協力をお願いした結果、徐々に参加者が増えてきた。1月も過ぎた頃にはやっと役者も決まり、挿入歌の音楽隊も編成、音楽家や演出助手も島に滞在して本格的な練習をスタートすることができた。

しかし、素人による芝居づくりには想像以上の難しさがあった。毎日午後6時~午後9時の練習にも、なかなか全員が揃わない。思春期の子ども達との格闘、練習に来てくれない人たちへの呼び掛けなど、関係者の地道な努力が続けられた。村長も心配で毎日練習現場に足を運んでいた。

それが、地元の民俗芸能と三線、琴、太鼓の挿入の練習も始まり、本番の日が近づいてくると、素人集団もようやく役者に見えてくるまでになった。やがて、島出身音楽家が作詞作曲したオリジナル曲も誕生。3月の中盤には、衣装や大道具、音響照明の打合せが入り、役者のテンションも上がってきた。

3月23日に行われた前日リハーサルは、この頃流行したインフルエンザで役者の中学生1人が参加できなかったが、無事に終了した。そのとき初めて全容が見えた。これなら、沖縄本島、いや、東京でもはずかしくない立派な芝居だと確信した。

病気だった中学生も治り、本番で初めて全員がそろった中で公演当日を迎えた。宣伝カーによる必死の広報活動で、本番5分前、会場は満員になった。島の半分以上の人々が観ている中で、オリジナルソング「七つの橋を架けて」の演奏から舞台が始まった。子どもから大人までの役者による涙あり笑ありのストーリーは、観るものに大きな感動を呼び起こした。島の人々の気持ちがひとつになった瞬間である。

公演の様子の写真1
公演の様子の写真2
公演の様子の写真3
公演の様子の写真4

子供から大人までが演じた涙あり笑いありの舞台は、観る者に大きな感動を呼び起こした。

歴史に残る本島公演

第1回目の公演の準備をしている時、島の活性化・島のPRをより進めるため、沖縄本島で公演することが決められた。沖縄本島にいる島出身の方々で組織する伊是名村郷友会の協力を仰ぎ、チケットの販売(1,000枚)を進めていた。1回目の公演と同時進行で、郷友会を含めた「本島公演実行委員会」を設立。2月から本島公演のための本格的な準備に入った。村内外の委員総勢200人体制である。

本島公演に向けた練習は、4月の中旬から始まった。1回目の公演で自信のついた役者や音楽隊、民俗芸能、音楽の練習はスムーズに行われた。

今回は1日2回公演の予定で、会場となる浦添市(うらそえし)や関係各位、マスコミ等に協力依頼をした。郷友会や島の実行委員が5月13日の公演に向けてチケットの販売に懸命に取り組んだ結果、公演1週間前の販売状況は何と3,000枚以上。1回1,000人しか入場できないホールでは、3回公演をしないと間に合わなくなった。そこで、村長を中心に関係者、役者の了解をえて急遽公演回数を追加することとなった。

本番当日の天候は清々しい五月晴れ。お客さんは長蛇の列で、特産品コーナーは大繁盛となり、Tシャツ、CD、パンフレット等も売れに売れた。昼過ぎに始まり、夜まで続いた公演は3回とも熱のこもった舞台となり、素人とは思えない演技と音楽の中に民俗芸能がさらに舞台を盛り上げた。観客からもスタッフからも、その一生懸命の姿に、感動の涙と拍手が惜しみなく送られた。こうやって花火は打ち上げられ、浦添市てだこホールでの公演は歴史に残る舞台となった。   

特産品コーナーの様子の写真

特産品コーナーは大繁盛。いぜなマークのTシャツやCDも売れに売れた。

3回公演を案内するポスターの写真

チケットのあまりの売れ行きに公演回数を3回に

継続―心のブランドづくり

この演劇のもう1つの目的は継続である。平成19年1月ごろ、文化庁の「文化芸術による創造のまち」支援事業を県教育庁に申請。これが採択され、村の文化として村民劇を継続育成できることになった。

この事業の中で、まずは「伊是名島文化活動支援実行委員会」を同年4月に結成した。そして地域の文化団体の育成の成果として3回目の伊是名島公演がスタートした。事務局を中心に舞台には新たなメンバーが加わり、事務局も、ブログの開設やマスコミへの情報発信によってPR活動を展開した。そして20年3月29日の伊是名島での公演も大成功となった。さらに、平成20年4月からは新体制となった事務局で継続していくことになった。平成20年9月の「過疎地域優良事例表彰」の総務大臣賞受賞は、村民が一体となった継続的な活動が評価された結果であろうと考えている。

同じく「文化芸術による創造のまち」支援事業として行われた第2弾の本島公演の際には、新たに保護者会が結成され、舞台の中心を担う中学生、高校生のサポート体制を構築。保護者の方々が、当番制によるケータリング(夕食)の準備や子供達の健康管理などを担い、子ども達が集中して練習に打ち込む環境作りに取り組んでくれた。2回目の本島公演となった那覇市の会場で、席を埋め尽くした2,000人の観客から「伊是名島のパワーはすごい」との声が上がったほどの感動を呼ぶことができた裏には、こうした取り組みがあったのである。

このように、劇作りに携わる人が徐々に自立できるようになれば、継続することは可能になると思う。今後の運営方法としては、劇団を結成してそれを支える保護者会を充実させる。そして自立できるように実行委員会でサポートすることとしている。

公演については活動の幅を広げ、県外(東京、大阪)、海外で上演することを目標とする。また、島では尚円王まつり等で上演して島に観に来てもらうようにする。そのことによって、伊是名島で生まれたオリジナルの演劇が心のブランドとして、子ども達の支えとなり島を思う気持ちを育てる。参加した子ども達や若者は、事実、島に対する意識が変わったと思う。「尚円王」をキーワードに島に住む人、島を離れている人や島が好きな人が、この演劇を通して一つにつながることにより、伊是名島の知名度もあがり将来過ごしやすい素晴らしい島になることを願ってやまない。

今日も、島の老人ホームでは、村民劇のDVDを楽しそうに観ているお年寄り達の姿がある―。   

交代で夕食を準備する保護者の写真

保護者が交代で準備した夕食で練習にも集中できた