2644号(2008年6月23日)
町長 坂下一朗
小豆島町は、瀬戸内海国立公園に浮かぶ小豆島の中央から東を占め、海と山の美しい自然に恵まれた人口約1万7千人の町です。
小豆島町は日本におけるオリーブ栽培発祥の地として、また、壷井栄の小説「二十四の瞳」の舞台として全国に知られています。その他にも日本三大渓谷美に数えられる寒霞渓、18世紀頃に始まり、現在も伝承されている農村歌舞伎舞台など、数多くの地域資源を有しています。
手入れの行き届いたオリーブ畑
小豆島町の産業は、醤油・佃煮・素麺などの食品産業が中心です。食品産業は比較的景気に左右されにくく、これまで堅実に発展してきました。しかし近年は、長く続いた地方における経済不況や産地間競争の激化に加え、原油価格や穀物価格の急激な高騰など環境が悪化し、雇用や税収も厳しい状況にあります。
また島嶼部の例に漏れず、過疎化が進行しており、昭和22年には33,328人だった人口が平成17年度の国勢調査では、17,257人と、ピーク時の半数近くまで減少しています。一方高齢化率は年々上昇し、現在では35.0%で県下一となっています。
このままでは地域の将来は極めて厳しくなることが予測され、なんとかして活性化を図らなければならないとの思いから、昨年策定した小豆島町総合計画において、めざす将来像を「オリーブライフ 小豆島 ~煌めく海、瞳輝く、実りのまち~」とし、小豆島町のシンボルでもある、オンリーワンの地域資源であるオリーブの実りを、産業の活性化や交流の促進等の地振興に結びつけていく取り組みを行っています。
小豆島におけるオリーブの栽培は、1908年に当時の農商務省が、三重、香川(小豆島)、鹿児島の三県に、アメリカから輸入したオリーブの苗を試験栽培したことから始まりました。三県のうち小豆島だけが成長し果実を実らせ、その後一般の農家も栽培するようになり、昭和初期には10ヘクタール程度で栽培されていました。
その後、第二次世界大戦による油脂不足などでオリーブオイルの価格が暴騰したことから、130ヘクタールまで栽培面積が拡大しました。しかし、昭和34年の輸入自由化により価格の安い輸入オイルに押され、昭和60年代には34ヘクタールまで減少しました。ちょうどこの頃から国産志向や観葉植物など利用範囲の拡大、またオリーブの持つ平和の象徴などのイメージの良さから、多方面でオリーブの需要が増加してきました。
丘陵地に広がるオリーブ畑
このため、まず取り組んだのはオリーブ栽培面積の拡大です。オリーブは樹木のため、植えてから実際に実を収穫できるまでには5年程度かかります。小豆島町は平成18年3月に旧内海町と旧池田町が合併して誕生した町ですが、旧池田町ではオリーブ苗の配布、旧内海町では商工観光課内にオリーブ係を設置し、オリーブ栽培希望者へ、苗木購入費用の助成や利用されていない農地の再整備に対する助成を行うなど、それぞれ栽培促進に向け取り組んでいました。
また、平成15年4月には、構造改革特区第1号として、「小豆島・内海町オリーブ振興特区」の認定を受け、平成17年9月の全国展開に至るまでの約2年半の間に、地元の醤油製造会社3社と食品製造会社1社の計4社がオリーブ栽培に参入、その後新たに4社が加わり、昨年3月で約8ヘクタールのオリーブ畑が一般企業によって運営されています。このような地道な努力もあり、町全体では栽培面積も約50ヘクタールまで増加、現在も増え続けていますが、未だ十分な収穫量が得られていない状況であることから、栽培促進については今後も力を入れていきたいと考えています。
小豆島町になってからは昨年4月に、これまでオリーブの利活用に取り組んできた商工観光課のオリーブ係と、オリーブ栽培の推進を担ってきた農林水産課のオリーブ生産課、企画財政課が担当していたオリーブ植栽100周年の業務を統合し、商工観光課内にオリーブ室を新設しました。さらに今年4月からはオリーブ室を課に昇格させ、町の姿勢を内外に示すとともに、栽培から加工・販売、観光への活用など、オリーブを基軸とした総合的な施策が実行できる体制を整え、「オリーブアイランド小豆島」のイメージアップに取り組んでいます。
今年、2008年は、オリーブが小豆島に根付いてから100周年という記念すべき年であり、この絶好の機会にオリーブを全国にPRするため、香川県と小豆島の官民が一体となったオリーブ植栽100周年記念事業実行委員会を立ち上げ、「オリーブで きれいになれる 心とからだ」をテーマに、昨年度からプレイベントに取り組んできました。またオリーブオイル・若い果実・熟した果実それぞれのイメージカラーであるイエロー、グリーン、パープルののぼりを作成し、島内一円に掲げて雰囲気を盛り上げています。
本番の今年は、4月20日の記念式典、記念講演を皮切りに、数多くのイベントを実施しています。5月からはオリーブフェア、ハーブサミット、ハーブフェアと通d機、特に10月はオリーブの実の収穫期であることから、オリーブ百年祭のクライマックスとして、著名人を招いてのイベントなど数多くの事業を展開する予定です。
そのほか、「オリーブ百年祭」公式ハンドブックの発行やオリーブの知識を養うオリーブ検定の実施など、盛りだくさんな内容になっています。
また、島内の宿泊施設や観光施設においても、「オリーブ百年祭」と連動した積極的な取り組みがなされています。
小豆島町では400年の伝統をもつ醤油製造をはじめ、特産の醤油を生かし戦後始まった佃煮製造、醤油とおなじく400年の伝統をもつ手延べ素麺など食品製造業が盛んで町の基幹産業となっており、オリーブ百年祭では、オリーブと連動した産業振興を重要な目的の一つとしています。
島内の民間企業や行政、農水産業者、大学などで設立された小豆島食料産業クラスター協議会では、早くから農林水産省所管の財団法人「食品産業センター」が原料や伝統的製法を厳しく審査する「本場の本物」認定取得に取り組み、全国でわずか11品目しか認定されていない中、「小豆島佃煮」「小豆島桶(こが)仕込醤油」「小豆島オリーブオイル」の3品目が認定を受けています。
もろみの香り漂う醤油蔵
また、オリーブは、オイルはもちろんですが、果実も食材として利用できます。さらに銀の葉裏といわれる葉にも、近年はポリフェノールなどの有効な成分が含まれることがわかってきました。新たな商品化では、これまで利用されていなかったオリーブの葉を使用したオリーブ茶や、オリーブオイル製造時に発生するオリーブ果汁を使用したシロップを開発し、オリーブサイダーなど各種食品を販売しています。このほか、オリーブ百年祭を機に、化粧品やドレッシングなど、オリーブ加工品の開発が各民間企業で盛んになっています。
今年は、小豆島町総合計画に基づく町政運営の初年度になりますが、この計画の中の重要施策として、U・I・Jターンの推進を掲げ、移住促進の取り組みが始まりました。日本全体で人口が減少する中、香川県において一昨年の10月に「人口減少対策推進本部」が設置され、小豆地区が移住交流推進のモデル地区に指定されたことも取り組みへの追い風となりました。
小学生のオリーブ収穫体験
小豆2町と2町の自治会、広域、香川県、宅建協会、公共職業安定所をメンバーとした「小豆島移住・交流推進協議会」では、移住の促進に向け、情報発信や受入体制の整備を図っています。また、町単独の取り組みとして、ホームページに空き家情報を掲載するとともに、各課横断のプロジェクトチーム「移住交流推進部会」において、ふるさと回帰フェア参加やモニターステイ企画などの取り組みを行っています。
空き家バンクの状況ですが、四国経済産業局と共同で実施した空き家調査では約1割の家屋が空き家になっており、数としては充分なものの、帰郷時に使用するとか、見ず知らずの人に貸すことへの不安などから、提供できる空き家が不足しています。このため、町広報へ空き家募集のチラシを折り込みで入れるなどして、空き家の確保に努めています。
こうした取り組みの結果、オリーブに関する仕事がしたいという動機で若い人が移住したケースなど、平成19年度1年間に町が相談に乗ったケースだけで5件14名の移住が実現しました。
民間シンクタンクの地域ブランド調査2007による市区町村魅力度ランキングでは、小豆島町が92位にランクインしました。
また最近、四国経済連合会が、愛媛県のミカンや徳島県のスダチなど四国の農林水産品の認知度と食体験度を、四国外と四国内で分けて調査しています。それによると、オリーブは香川県の産品の中でトップ、全体の6位と非常に高い認知度でした。四国外での認知度でも70.2%、四国内では95.2%が小豆島の特産品としてオリーブを知っているという結果です。オリーブは収穫量が少ないこともあり、食体験度は四国外で23.4%、四国内で48.9%に留まっていますが、認知度が高いにもかかわらず食べたことが少ないということは、今後さらに発展できる余地が大いにあるということではないかと思います。
最近は、これまでの取り組みの成果か、新聞やテレビの全国放送で小豆島が取り上げられることがこれまでになく増えてきました。マスコミの効果は大きく、今年のゴールデンウイークでは、オリーブ関連施設を中心に観光客が増加しています。
今後は、オリーブを核として、観光・食品などの産業振興、移住交流などに共通したイメージの「小豆島」ブランドを確立し、さらに持続発展させていくことが最大の課題だと考えています。