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宮城県涌谷町/元気 わくや 黄金郷~住民投票で自立を選択したまちの取組み~

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年3月3日
桜の名所、城山公園(涌谷要害跡)の写真

桜の名所、城山公園(涌谷要害跡)


宮城県涌谷町

2632号(2008年3月3日)
総務企画課主査
紺野 哲


町の概要

涌谷町は、宮城県の北東部に位置 し、面積は82.08平方キロメートル、大崎市、石巻市、登米市、美里町に 隣接しています。仙台市からの距離は約40キロメートル、自動車所要時 間では60分圏内にあります。

町の中央部には箟岳山(ののだけやま)があり、南に江合川、出来川、北から東へは旧北上川、旧迫川が流 れ、その周囲は平野となっています。農用地が約44%、山林が30%と自然環境に恵まれた地域です。

気候は、緯度からみて寒冷な地域ですが、西の奥羽山脈により大陸からの影響が遮られ、太平洋の沖合で寒流・暖流が合流しているため、年間平均気温は11.1℃、年間降雪日数は7日間程度と東北地方の中でも温和な地域に入ります。

天皇(すめろき)の御代(みよ)
栄えむと東(あづま)なる
陸奥山(みちのくやま)に金(くがね)花咲く

天平21年(749年)、造営中の東大寺大仏に塗る金の調達に苦慮していた大和朝廷のもとへ、陸奥国小田郡(現涌谷町を中心とした地域)産出の黄金が届きました。この朗報に聖武天皇は大いに喜び、「陸奥国より金を出せる詔(みことのり)」を発し、年号も天平から天平感宝と改めました。万葉の代表的歌人である大伴家持は「詔書を賀ぐ歌」として、この1首を詠んでいます。

このことにより、涌谷町は、この歌に詠まれた「日本初の産金の地、万葉北限の里、東大寺大仏様のふるさと」としても知られており、この歴史を後世に伝えるため、ふるさと創生事業として「天平ろまん館」を整備しました。

また、江戸時代の日本三大お家騒動の1つと呼ばれる伊達騒動(寛文事件)で、藩の悪政を幕府へ訴えて、原田甲斐の凶刃に倒れた伊達安芸宗重公2万3千石の城下町としても有名であり、国の指定を受けた黄金山(こがねやま)産金遺跡をはじめとし、現在では城山公園として整備され桜の名所として知られる涌谷要害跡や、奥州三観音の1つとして有名な箟岳(ののだけ)観音を奉る一山寺院箟峯寺(こんぽうじ)など、多くの史跡を有しています。

天平ろまん館で、砂金取り体験
天平ろまん館で、砂金取り体験

地域産業としては稲作栽培が盛んですが、近年は、小ネギ・ほうれん草の生産が著しく伸び、今後の展開が期待されるとともに、製造業では、アルプス電気株式会社涌谷工場、NOKメタル株式会社などが操業。産業分類別の就業割合(平成17年)は、第1次産業15.5%、第2次産業32.8%、第3次産業51.7%となっています。

国勢調査による平成17年の人口は18,410人、昭和45年から昭和60年にかけては、ほぼ横ばいで2万2千人程度でしたが、それ以降は減少傾向にあります。高齢化率は26%で、少子高齢化傾向が著しくなっています。

健康と福祉のまちづくり

涌谷町は、昭和61年度に、自治省(現総務省)のリーディングプロジェクト事業の採択を得て「健康と福祉の丘のあるまちづくり」事業に取り組み、町民医療福祉センター(国民健康保険病院、介護老人保健施設、健康福祉センター等の統合施設)、研修館、世代館及び健康パークを一体的に整備し、総合的な健康づくり施策を展開しています。

町民医療福祉センターが供用開始された昭和63年から、「町民の皆様と医療福祉センター職員の相互協力により、町民1人ひとりが「安らかに生まれ」「健やかに育ち」「朗らかに働き」「和やかに老いる」ことを通して、その人らしいかけがえのない人生を送ることをめざします。」を基本理念に掲げ、全町を上げて地域包括医療ケアに取り組んでいます。

健康と福祉の丘(町民医療福祉センター全景)
健康と福祉の丘(町民医療福祉センター全景)

「地域包括医療ケアシステム」は、保健サービス(健康づくり)、医療サービス及び在宅ケア、リハビリテーション等の介護を含む福祉サービスを、関係者・各部門が連携・協力して、一体的、継続的に提供する仕組みですが、そのために必要な基盤施設を整備したことで、町民は、子供から高齢者まで、保健・医療・福祉・介護の一貫した支援を受けることが出来るようになっています。

特に、高齢者保健福祉施策については、早い時期から取り組んでいた訪問看護・訪問リハビリテーション体制を整備し、訪問看護ステーションとして展開(平成5年開始)したほか、老人保健施設さくらの苑(平成7年供用開始)、24時間ホームヘルプサービス(平成10年開始)など、充実がはかられてきました。

各サービスが連携し一体的に提供されるためには、いわゆる「ケアマネジメント」が必要となりますが、まだ介護保険制度が実施される以前から、ヘルスケア部門や福祉部門の担当者が、サービス部門と連携し、調整を行いながらサービス提供を行っていました。

施設を含めたサービス部門・医療部門・行政部門が一体的に整備されていることで、連携協力がとりやすい体制ではありましたが、さらに情報共有化と各部門の役割確認を行うことにより、サービスの適正効率化につなげるため、「症例検討会」という会議を設置し、提供体制の確立をはかりました。 例えば、病院部門から、退院をひかえ支援を必要とする高齢者についての情報があった場合、関係機関に呼びかけて症例検討会が開かれ、訪問看護・ホームヘルプサービスなど生活支援・自立支援に向けたサービス(行政の福祉施策含む)が調整され提供されることになります。これにより、利用者の利便性サービス向上のみでなく、医療福祉センタースタッフ側にも、各部門間での制度や取組みの相互理解、意思疎通の向上などがはかられています。また、こうした取組みは、現在、介護保険制度でのケアマネジメントやサービス担当者会議につながり、円滑な制度運用に活かされています。

健康推進員の自主的な健康づくり活動
健康推進員の自主的な健康づくり活動

もう1つ、保健医療福祉分野での施策として健康推進員制度があります。健康推進員は、食生活改善推進員及び保健協力員を統合したもので、地域住民への情報提供や、各地区での健康教室の開催、健診の支援などに活躍し、健康づくり活動の担い手となっています。行政区毎に2年任期で町の委嘱を受ける健康推進員は、経験者が2千人を超え、町全体の健康意識の醸成・浸透を促進するほか、健康推進員やその経験者が自主的な健康づくりに取り組んだり、健康づくりサークルを立ち上げたりと活発に活動しており、「健康づくり」から「地域づくり」の先導役としても発展をみせています。

その他、療養型病床群・総合リハビリセンター(平成12年供用開始)、高齢者福祉複合施設(特別養護老人・ホーム生活支援ハウス等、平成15年供用開始)、地域包括支援センター・居宅介護支援事業所の設置(平成18年)など、その時々の制度及び町民ニーズに対応した施設や体制整備をすすめ、疾病予防・介護予防等を含めた「全人的医療」を行い町民サービスの充実をはかる取組みを展開しています。

平成の大合併は住民投票で決断

平成の合併協議につきましては、平成14年頃から、近隣市町と声を掛け合い、研究を始めました。

ただ単に規模拡大や、合併特例法による財政支援を求めるのでなく、どの様な組み合わせや枠組みで合併を行えば、それぞれの市町で行っているまちづくりを効率化し、相乗効果を上げることが出来るのか、あたらしい町の住民が幸せになるのか、本当に合併をした方が良いのかなど、検討を重ねました。 当初は、一部事務組合の構成町による6町や広域行政圏域を基に1市9町での研究会が設立。その後、隣の圏域も巻き込むなど一時は1市11町での研究会となりましたが、紆余曲折を経て、平成15年には隣接3町での枠組みを決め、法定合併協議会として正式協議をはじめました。

合併協議の中では、各町のこれまでの政策等をすり合わせ、新たなまちづくりを目指して約1年半をかけ、検討を重ねました。協議を重ねていく中で、特に当町選出の協議会委員などは、各町の政策・施策の違いを改めて感じていたようでした。

最終的には、合併の是非については住民の意向を十分に尊重して欲しいとして、「住民投票条例制定の直接請求」がなされたことを受け、それまでの協議結果などを町民に詳細に説明したのち、平成16年12月に「涌谷町の合併についての町民の意思を明らかにする住民投票」を行いました。

その結果、合併することに賛成が4,048票、合併することに反対が5,058票と反対票が多かったことから、涌谷町は合併しない決断をしました。

この住民投票の結果については、合併に伴い隣接町と調整が行われることで、保健・福祉施策の後退につながると懸念されたことが一つの要因との意見もありました。

自立のまちの行政改革

住民投票結果により、町民の意見を尊重し、合併を行わず単独立町でのまちづくりを選択することになりましたが、分権型社会への転換・少子高齢化時代の到来・住民ニーズの高度多様化など様々な分野において構造的変化に直面している状況から、また、国・地方自治体を取り巻く、とりわけ財政環境の変化に対応するため行政改革を促進することに迫られました。

行政改革につきましては、これまでも、行政改革推進本部を設置し取り組んできましたが、更に改革を促進するため、自立のまちづくりを選択した翌月の平成17年1月に「行政改革推進室」を設置すなど体制を強化。前行革計画を見直し、平成18年度から平成22年度までを計画期間とする「第三次涌谷町行政改革推進計画」を策定しました。

見直しの際は、総務省の新地方行革指針で要請された「集中改革プラン」としても位置づけ、①組織機構の見直し、②歳入の確保、③行政評価システムの構築と事務事業、補助金、負担金の見直し、④公共事業の見直し、⑤民間委託と住民との協働、⑥定員と給与など勤務条件の見直し、⑦人材育成の推進、⑧公平性と透明性の確保、⑨行政の情報化と行政サービスの向上の9つの改革事項を定めた計画としました。

特に、組織機構の見直しとしては、13課2局であった課を7課2局に統合等を実施したほか、組織運用の簡素・効率化、施策決定の迅速化を図るため、係制を廃止し班制を導入しました。それに伴い、課長補佐、係長といった職名は廃止され、班長を置く体制となっています。

また、複雑多岐にわたる行政ニーズや地方自治体を取り巻く状況の変化へ対応するため、職員の資質向上と意識改革につなげる人事評価制度についても導入を図ることとし、これまでの行政運営の全般にわたる見直し、総点検の実施、抜本的な改革に努める計画として策定しています。

今後のまちづくり

これまで本町は、平成8年度からはじまった第三次涌谷町総合計画「健康とふれあいの黄金郷わくや」を将来像とし、健康と福祉、歴史観光等を主要なテーマとしてまちづくりを進めてきました。前述の保健医療福祉施設の他、健康文化複合温泉施設「わくや天平の湯」、涌谷スタジアムや追戸横穴歴史公園等の施設整備や、子育て支援をはじめとしたソフト事業についても一定の成果をあげています。

また、町内を走る国道バイパス沿いに大型店舗が立地するなど、産業振興についても新たな展開が期待できる状況がみえてきています。

今後は、子どもから高齢者まで一人ひとりが元気に輝くまちを目指し「元気 わくや 黄金郷」を将来像とする第四次涌谷町総合計画に基づきまちづくりを進めていきます。

町民の声を町政に(町民会議を開催)
町民の声を町政に(町民会議を開催)

平成18年に策定したこの計画では、国・地方自治体を取り巻く財政問題や構造改革に対応し、自治と自立のまちづくりを進めるものとしていますが、そのためには、これまでの保健医療福祉のまちづくりを受け継ぎながらも、産業振興や企業誘致、若者定住などの取組みも進め町民の積極的行政参加やコミュニティ事業を推進することが必要としています。更には、行政サービスの質の向上と抜本的な事業見直しを図るとともに、歳入額に見合った歳出構造への転換・自主財源の確保など行政改革により、効率的で効果的な行財政運営を進めることとしています。

本町は、この計画を基に、思い切った行財政改革を構築、促進、定着させ、町民と行政が共に協力して元気が涌き起こるまちづくりにつなげたいと考えています。