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鹿児島県徳之島町/自然環境と独自の文化を生かして

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年1月7日更新
超大型の闘牛が角を突き合わせる闘牛大会の写真

超大型の闘牛が角を突き合わせる闘牛大会


鹿児島県徳之島町

2625号(2008年1月7日)
遠藤 智


1.まちの概要

豊かな自然と人情味あふれる徳之島町は、昭和33年4月に亀津町と東天城村の合併により誕生し、来年は町制施行50周年の記念すべき年を迎えることになります。

①位置

奄美群島は、鹿児島県本土の南約380㎞の位置にある奄美大島から沖縄を間近に望む与論島までのおよそ180㎞の洋上に点在する大小5つの島の総称です。本町は鹿児島県本土の南南西約468㎞、太平洋と東シナ海の接線上に浮かぶ徳之島(84平方㎞)の東側を占め、奄美群島のほぼ中央に位置しています。

アカショウビン
アカショウビン

②地形・地質

標高200m付近を境として山地と段丘発達地帯に大別され、最高峰は井之川岳(644m)で、古代三紀の花崗岩類が主に島の北半分に広がり、周辺部は第4期更新世の琉球石灰岩層群が取り巻いています。

③気候

亜熱帯性海洋気候で、四季を通じて温暖多雨な土地柄です。6月から10月にかけて台風の襲来が多く、農作物などに被害を与えることがあります。年間平均気温は20度を下らず、日平均気温が10度以下になる日がないので、冬を飛び越え晩秋から早春に入るとも言えます。日平均気温が25度以上の夏日は112日間にも及び、本土と比べて2倍ほども長いことになります。この常夏の島では、本土では見られない多種多様の動植物に出会え、各所でアダンやハイビスカスが南国ムードを醸し出しています。

トケイソウ
トケイソウ

④歴史

「続日本紀」によると、699年大和朝廷に度感(現在の徳之島)の島人が入貢したのが始めて紹介されており、その後は奄美世(アジと呼ばれる地方豪族が支配していた時代)、那覇世(琉球王国が支配していた時代)、大和世(薩摩藩が支配していた時代)に分けられます。昭和に入り、敗戦によってアメリカ合衆国の統治下に8年間置かれ、昭和28年に本土に復帰しました。

ドラゴンフルーツ
ドラゴンフルーツ

⑤人口及び産業

人口は12,892人(平成17年国勢調査)で、65歳以上の高齢者が26.3%を占めており、高齢者対策が急務となっています。町の産業構造は社会構造の変化に伴って大きく変わり、昭和40年に4,525人いた第1次産業従事者が平成17年には1,006人に、第2次産業従事者も1,274人から794人に減少しました。一方で第3次産業従事者は、1,946人から3,622人に増加しています。

2.まちづくりの基本方針

本町は、昭和60年11月23日に「健康のまち宣言」をしました。その内容は「私たちは、恵まれた自然と人情味豊かな環境のもとで、健康をかため、産業をおこし、活力にみちた地域づくりにつとめ、健康と長寿のまちづくりを目指して、ここに『健康のまち』宣言をする」と町内外に向けて宣言しています。この理念を基に総合計画を立て、町が元気ですこやかな街づくりを実現するため、各種施策に取り組んでいます。

①住民参加の町づくりの実現

手弁当審議会を9月に立ち上げ、住民参加を実現するためのノウハウや住民に説明するための情報公開のあり方、今後の町政のあり方を議論しています。

クマノミ
クマノミ

②複合型農業の確立

島の基幹作物であるサトウキビを中心に畜産や園芸作物など、それぞれの農家に適合した複合型農業の確立を、農家と関係機関、行政が一体となって進めています。

③新たな産業育成

農産物加工品の研究開発等を大学や民間の研究機関と連携し、マーケットを重視しながら販売ルートを確保するための手段や方法を探るため産官学で取り組んでいます。11月に鹿児島大学と連携協定を結び、その第一歩がスタートしました。

3.徳之島最大のイベント「闘牛」

徳之島の闘牛は、闘牛大会が開催されている各地の中で、「最も熱い!」と言われています。その理由は、なんと言っても牛同士がぶつかりあう迫力と激しい技の攻防、勢子(せこ)、応援団、観客の視線がその奮闘に注がれる一体感とともに、場内が熱気に包まれることです。

大人みこしのパレード
大人みこしのパレード

闘牛大会には700㎏クラスの小型牛から1トンを越える大型牛までが揃い踏みし、直径約20メートルのリング内を所狭しとぶつかり合い、突きや角掛け、懐に飛び込んでの速攻など技の応酬を繰り広げます。その姿は、牛=ゆっくり・のんびりというイメージを払拭して余りある程です。

その上、闘牛大会には幼児から80歳過ぎの高齢者まで、島内人口の1割を超える3,000人余りの老若男女が詰めかけ熱戦を堪能します。場内では勢子が牛と一体となって愛牛を叱咤激励し、一挙 手一投足に会場の視線が集まります。好勝負や激戦になればなるほど、指笛とともに場内からの歓声も響き渡り、勝利の瞬間、声援を送っていた応援団がなだれ込み、手舞・足舞で歓喜の踊りを繰り広げます。

井之川夏目祭りの写真
井之川夏目祭り

このように徳之島は「闘牛の島」として知られておりますが、「闘牛」というとスペインの「闘牛」のように人と牛が闘うものというイメージがいまだに強いのが現状です。

牛同士が闘うのは元々持つ縄張り意識から生じるもので、農耕等で使っていた牛が闘う様子を見たことからから始まったのではないかと推測され、農耕を通じて人間と牛が係わりだした頃から自然発生的に行われていたのではないかと思われます。
現在、全国で「闘牛」が行なわれているのは、岩手県と新潟県、島根県の隠岐の島、愛媛県、沖縄県、そして鹿児島県の徳之島です。

徳之島の闘牛の歴史

闘牛の歴史は古く、琉球王朝統治下から約500年の歴史があるといわれています。約400年前に薩摩藩の統治下に置かれてからは、厳しくサトウキビ生産が統制される「砂糖地獄」に苦しめられた島の農民が、ようやくの思いで税として完納できた収穫の喜びを祝って行ない、島民の唯一の娯楽でした。それだけに牛主は闘牛の飼育に情熱をかたむけます。

どんどん祭り相撲大会
どんどん祭り相撲大会

闘牛大会は戦前まで、牛主同士が相談し合って、島の行事が行われる際に川原や浜などに闘牛場を作り行っていましたが、戦後、徳之島闘牛組合が設立され、組合規約をつくり、入場料を徴収して運営されるようになりました。昭和42年に徳之島町、伊仙町、天城町の3町に闘牛協会が組織され、この3町の協会をまとめたのが「徳之島闘牛連合会」です。

徳之島の闘牛におけるタイトルの最高峰は、横綱の中の横綱である「全島一横綱」です。牛主は愛牛が横綱になり、「全島一横綱」のタイトルを獲得することを夢見て日々飼育に励みます。また現在の闘牛は体重差があるため、横綱に次ぐ950㎏以下を「中量級」、850㎏以下を「軽量級」として、それぞれタイトル戦が行われています。

現在の闘牛大会

初場所(正月)・春場所(5月)・秋場所(10月)の年三回、島の名牛が選抜され「全島大会」が開催され、徳之島町、伊仙町、天城町の各町の協会が持ち回りで主催します。また、全島大会と前後した日やお盆には、牛主同士が出資して各地の闘牛場で闘牛大会が行われています。

ビーチバレー
青い海と白い砂浜、ビーチバレー

現在、徳之島には7ケ所の闘牛場があり、屋外の闘牛場から全天候型のドーム闘牛場まで3,000人以上が収容可能です。島外からの観戦の方はバスでも可能ですが、空港や港からはタクシーかレンタカーが便利です。観戦料は全島一大会が、大人3,000円、小人(中学生以下)1,000円、それ以外の大会は大人2,500円、小人(中学生以下)1,000円。ほとんどの大会は、小学生以下が無料となっています。

サーフィン大会
毎年夏にはサーフィン大会も開催される

闘牛用の牛は、地元徳之島産をはじめ県内・県外から多数導入され、それらの混血も進んでいます。代表的な産地としては、同じ鹿児島県内では十島村。県外では岩手産、隠岐の島産、沖縄県の沖縄本島、八重山や与那国産など広い地域から導入されています。

闘牛としてデビューするのは早くて3歳半からで4歳前後が多く、試合を重ねるごとに技も覚えていき、横綱級は7~9歳で、この頃が円熟期と言われます。昔の牛は大きくても600~700㎏前後でしたが、現在では大型化し、1トンを超える巨大な牛も増えています。そのため「全島一横綱」を決めるタイトル戦は、1トンを超える大型牛同士の激突となっています。

ゴリラ岩
島の景勝地「ゴリラ岩」

試合の前日には、前祝いとして、夕方から親戚、友人、知人がお祝いを持って牛主の家に集まります。試合当日は、先祖の仏壇に必勝祈願し、牛の角に酒と塩をかけます。集まった一族、友人、知人にも同じ酒と塩を配り出陣の儀式を行います。入場の際は、牛主もしくは勢子が綱を引き、露払いが塩を撒き、ラッパや太鼓を吹き鳴らし、「ワイド!ワイド!」(わっしょいやばんざいの意味)の掛け声が闘牛場まで続きます。

闘牛の勝敗は、相手が逃げた時点で勝牛が決まります。時には相手を角で突き刺し、勝負ありと判定されることもあり、早い勝負で数秒、長引くと数時間闘うこともあります。最近は、25~30分と制限時間を設け、勝敗が決しそうにない場合は、観客の同意を得て引き分けとしています。 勝ちが決まった瞬間、一族一統が場内になだれ込み、勝牛に飛び乗り、手舞い足舞い、指笛で歓喜し、ラッパ、太鼓の音もひときわ高く鳴り響き、勝牛は場内を意気揚々と一周します。

本町では、長い間引き継がれてきた伝統文化である「闘牛」を守り、次の世代に伝えていきたいと考えています。