2618号(2007年10月15日)
協働活動推進室長
佐々木 正義
阿智村は、長野県の南部、下伊那郡の西南に位置し、岐阜県と境を接する農山村です。面積は約170平方キロメートル、90パーセントが山林原野で占められており、天竜川の支流阿智川と和知野川の流域及び中央アルプスの南端恵那山の麓に点在する54の集落に、6,500人余の住民が暮らしています。村内を中央自動車道が通過し、園原インターチェンジが設置されているなど、飯田下伊那地域においては比較的道路交通の便に恵まれた村です。
本村の産業は、昭和40年代頃までは稲作、養蚕中心の農業が主体でしたが、その後農村工業導入施策に取り組み、自動車製造関連やプラスチック加工関連の工場誘致を進め、平成3年には製造品出荷額が約300億円にまでなりました。また、昭和48年に昼神地区に湯量の豊富な温泉が湧出したことにより、この「昼神温泉」を中心とした観光開発に積極的に取り組む中で、今日に至っています。本村は平成16年1月に自立プランを策定し、自立の村づくりを始めたのですが、まもなく隣村浪合村から合併の申し入れがありました。策定した自立プランの村づくり理念の共有が可能か、また行財政の運営が可能かなどを検討し、住民投票と住民意向調査の結果を受けて、17年3月合併協定に調印、18年1月に浪合村を編入合併し、新「阿智村」としてスタートしたところです。
浪合村と合併する前の旧阿智村は、いわゆる「昭和の大合併」時に、産業構造や地域性の異なる3つの村の合併によってできた村です。そこで合併当初から、3つの村の融和と平準化を目標にして村づくりを行ってきました。そのため旧村に残されていた財産区などを行政の機関として残すことは、地域意識を助長して3カ村の融和にとってマイナスと考え、30年以上に亘り認めてきませんでした。 それに代わり、各地区内の集落(48集落)の代表者を行政の末端機関として位置付け、行政情報の伝達と住民からの要望や意見の取りまとめ窓口としてきました。昭和40年代からの高度成長の時代は、税収も伸びて村の財政規模が膨らみ、住民の要望に応えるかたちで、道路の新設や改良、農業構造改善事業を始めとした生活環境整備や生産基盤の整備を行うことができました。その一方、住民の中では地域の課題を地域内で解決するといった意識が希薄になり、問題があれば何でも役場に要望してくる、といった対応がみられるようになってきました。
平成に入り「住民主体の行政と自立した地域づくり」を村の目標に据える中で、従来の村に頼った地域から転換し、本来あるべき自立した地域づくりを進めるためには、身近な地域に自治組織(自治会)が必要であると考え、平成10年から、自治会の立ち上げを本格的に住民に要請してきました。
地域で住民自治を考え実践する組織の立ち上げの要請に、住民からは「村は今更何を言ってくるのか」「今までの対応で十分」「行政の下請け機関をつくるのか」など、いろいろ意見が出されました。 村は、どの 集落の範囲で自治会を組織するかは各地域に任せることにし、また組織された自治会については、その地域を代表する組織として行政と対等な組織と位置づけること、行政の下請け機関とはしないことを約束しました。その後、自治組織の重要性を折に触れて訴え、14年度末までに旧村や財産区の範囲で村内に6つの自治会がつくられました。
上中関自治会による環境整備事業
村はこの自治会の立ち上げに併せて、自治会ごとに5カ年間の地区計画(地域づくりの計画)を作り、その計画に沿って年度ごとの事業を推進していくようお願いしました。各自治会で、地域の特色を生かした平成15年から5カ年間の地区計画が立てられ、その計画に沿って年度ごとに地域づくりに係わる事業が展開されています。また、今年度は5カ年計画の最終年に当たることから、現在各自治会において、新たに平成20年度からの地区計画づくりが行われています。
村では組織された自治会の活動を支援するため、自治会発足当初より担当職員(役場職員が兼務)を複数配置しています。さらに「自治会活動支援金」制度を創設して、自治会の規模や事業内容に応じて支援金を交付し、自治会活動の活性化を支援しています。
旧浪合村も合併前に「浪合自治会」を組織し、合併後は自治会が中心になって浪合地区の地域づくりを進める主体として活動しています。村とつの自治会がそれぞれ役割を分担し、また協働を進める中で、持続可能な地域をめざしています。
村では村民の自主的な地域づくり活動を支援するため、「村づくり委員会事業」を行っています。これは、5人以上の村民が集まって行う自主的な村づくりの活動(学習、研修、実践等)に要する経費について支援する事業で、平成13年度から実施しています。現在までに18団体から、村づくり委員会として活動する旨の届けが出され、その時々の全村的な課題の研究と解決に向けての活動が行われています。
村づくり委員会活動から実現した通所授産施設
「通所施設を考える会」 は障害者が安心して暮らせる地域づくりと生活や働く場、施設の研究を行う目的で、福祉施設の職員や障害者の保護者のみなさんを中心に組織されました。公民館の社会教育研究集会でレポートを発表、「地域で共に暮らすために」をテーマにシンポジウムを開催、村議会へ誓願提出などを行い、広く住民に施設建設の必要性を訴える中で、国県の補助を受けて平成17年通所授産施設の建設にこぎ着けました。現在運営についても、村づくり委員会のメンバーを中心とする住民が組織した社会福祉法人が行っています。
中央公民館を改造して開設した図書室
「図書館づくり委員会」は、最初に届出があった委員会ですが、本村に図書館がなかったことから、阿智村に相応しい図書館をつくるための調査と研究を目的としてできました。この委員会のメンバーは以前より読み聞かせの会を行っていた母親たちで、先進地の図書館視察や図書館の専門家を招請し講演会を行うなど、独自に研究する中で阿智村図書館のイメージを煮詰めてきました。
この委員会の活動を契機に、村の教育委員会の下に図書館整備委員会が設けられ、本格的な計画づくりと村民への説明会が開催され、中央公民館を改造して図書室を開設することになりました。委員会のメンバーは、開設後も図書室の運営についてアドバイザーとして加わり、またパートの司書としても活躍しています。
他にも、昼神温泉の観光振興、古代東山道の復興、合併問題、沖縄の子ども達との交流、憲法学習、全村博物館構想、合併後の阿智村づくり、中学校の改築問題や結婚支援の会など、幅広い分野にわたって村づくり委員会ができ、自主的な村づくりの活動が進められています。村にとっては、ボランティア団体やNPOと共に、村づくりのパートナーとして力強い存在になっています。
本村では、昼神温泉郷を中心とする観光業を基幹産業と位置づけています。昼神温泉は昭和48年に出湯した新興の温泉地で、湯質の良さと中京方面から近いなどの地の利により、南信州最大の温泉郷として発展してきました。現在は旅館やホテルが20軒あり、年間80万人の入り込み客があります。
昼神温泉名物の朝市
しかし、経済が低迷したことで国民生活に余力がなくなり、入り込み客が減ると同時に、観光形態の変化で団体旅行客も減少。さらに観光地間競争の激化などにより、現在温泉郷自体が厳しい経営環境に立たされています。そこで、村から提案、出資する中で旅館経営者による地域マネジメント会社「㈱昼神温泉エリアサポート」(昼神温泉観光局)が平成18年10月に設立されました。一般旅行業の認可も取得し、昼神温泉を中心とした旅行の企画や情報発信・広告、誘客活動、宿泊斡旋はもとより、村の観光行政施策とも連動して、観光インフラの整備や温泉郷のグレードアップを目指すなど、昼神温泉郷全体のマネジメントを行っています。
本村では農業を村の経済、文化、福祉、教育、景観形成などあらゆる分野に係わる産業であるとして、「基盤産業」と位置づけています。しかし、この中山間地域での農業は後継者不足や高齢化、鳥獣被害などにより、基盤整備を行った地域にも遊休荒廃地が増えているなど厳しい状況にあり、活路を見いだせない状態が続いてきました。
「あち有機いきいき」で育てた新鮮野菜
消費者は安全で、安心、そしておいしい農産物を求めています。そこで本村で生産した農産物を有利販売するためには、他で生産された農産物とどう差別化するかが課題であるとの認識で、「有機活用農業」の振興を図ることにしました。村内の畜産農家から排出される堆肥を利用して、「堆肥センター」で完熟堆肥を生産し、その堆肥「あち有機いきいき」を施肥した農地で生産された農作物に、村独自の認証シール「有機の里あち」を貼付し販売を始めました。
昨年の夏からJAマー ケットの一角で販売していますが、甘い、味が良いなど大変好評で、完売状態が続いています。今後も販路を開拓し、安全で安心、おいしい農産物を多くの消費者のみなさんに提供していきたいと思っています。