2609号(2609号2007年7月23日号) 企画政策課 川口 真
北海道の東、根室海峡の中央部沿岸に位置する標津(しべつ)町は、眼前24㎞の近さに北方領土国後島を望み、左に平成17年7月に世界自然遺産となった秘境知床半島、右に原生花園と野鳥の宝庫で同年11月にラムサール登録湿地となった野付半島、背後には知床連山の裾野に雄大な牧草地が広がる大酪農郷が形成されるなど、世界的な景観や自然を有する風光明媚な地域であるとともに、水産業と酪農業を基幹産業とした生産の町です。 町名の由来はアイヌ語の「シベ・ツ」を語源とし、約160年前の江戸時代末期に当地を訪れた探検家松浦武四郎は『鮭の居るところ』と訳し、 「秋もはや 日数へにけん しべつ河 瀬につく鮭の色さびにけり」と詠んでいます。このころより、江戸や上方などに新巻鮭を供給する鮭の産地として拓かれ、時代を経た二十一世紀の今も、鮭を中心とした町づくりは変わることなく続いております。
標津町全体図
人口は、昭和40年の8,051人(国勢調査)をピークに年々減少を続け、40年後の平成17年国勢調査では6,063人と25%、1,988人も減少しました。
要因としては、官公署の統廃合による国・道の出先機関の廃止縮小が大きなウエイトを占めていますが、その他では国際競争の荒波で大幅に生産者価格が下落した秋鮭漁業の経営形態の改革によって、鮭番屋に季節定住していた300人ほどのヤン衆と呼ばれる雇用者が激減したほか、近年では少子化と若年者の雇用間口の低下が若者の流出を招き、減少に拍車をかけています。
幸い、この間の水産業と酪農業の基幹産業は経営改革の成果で、生産力については国内有数の安全食糧供給基地へと進化して、「日本一の鮭の町」としてのCIの成果など、時代を捉える先進性を発揮した行動力によって、力強い産業基盤が築かれました。
しかし、これら原料を高次加工してゆく近代的な物づくり産業の遅れが雇用面の弱さへとつながり、少子化と相まって今日まで人口減少が続いてきたものと考えています。
人口の減少によって平成13年からは過疎地域の指定を受けたところですが、「心の過疎」までにはならないよう、先ず住んでいる住民1人1人がふるさとを誇り、郷土愛をしっかり持つことが大切であると考えました。そのためには、先述した「鮭のまちづくり」のCI運動など、シンボル性を持った町民・教育・町民まつりの再生などの各種ソフト活動や、企業誘致による雇用の場の確保、物づくり産業の育成、観光客など交流人口の増加による観光の産業化による雇用創造など、地域の資源を活用した経済振興による活性化対策などを打ち出して、町を元気にすること、町の魅力を高めることを先ず行ってまいりました。
これらの取組みは、一定以上の成果を挙げて、今や水産業における「地域ハサップ」や産業と連携した体験観光の「エコ・ツーリズム事業」などの各分野において、国内的にも誇れる「協働事業」に進化するなど、「心の過疎」の脱却が進みました。 さらに、豊かな自然、環境と調和した産業を誇りにして、これらを貴重な地域資源として守り・育てて、都市との交流促進を積極的に推進するという、地方の特色を発揮して、都市と向き合う姿勢へと変化を遂げました。
しかし、これらの対策をしても、人口減少には歯止めがかからず、過疎化は進んでいます。このため、平成18年度から明確に「定住対策」を掲げてストレートに人の流出抑止と移住促進を「政策化」することにしました。
まずは受け皿として、町立病院や生涯学習センターに徒歩10分など町内中心市街地から程よい距離の町有地に28区画の定住者用団地を整備することにしました。
団地に隣接する公共施設(健康と福祉の村)
この土地は、鮭の遡上で有名で近くを流れる「母なる標津川」の浚渫土砂を十年来堆積してきた場所で、背後には森林公園があるなど緑に囲まれ、西側には世界遺産・知床の山並みがパノラマのように見渡せる絶好のロケーションに囲まれた、まさに雄大な北海道をイメージできる区域です。しかも市街地と程近い距離にあることから下水道、水道はもちろん電気、道路などが完備、生活インフラは都市並み、自然は世界レベルの、超一級の環境とすることができました。整備費については、過疎地域集落整備補助や過疎債を適用いただいたことから、自己財源は非常に少ない額で賄うことができました。
『一区画120坪から140坪が、3年以内に家を建てるなら無償で分譲』の見出しが、3月のある日の北海道新聞の全域版に載りました。18年度の政策予算を発表した翌日に報道されたものです。
土地造成費は、これまでの土砂利用や過疎振興の支援によって一区画当たり200万程度で出来上がる予定が立ちました。
さて、いくらで分譲するか?その答えが、この報道です。これにいたった決断の正否は別として、報道を契機として、この企画は全国的な話題へと沸騰したのです。
「120坪と広い、市街地に近い、しかも無償」などが受けて、インターネットニュースや共同通信を配して全国の地方紙に掲載されたほか、お茶の間のワイドショー番組を総なめにするなど、大きな反響を呼びました。
これらをCM換算すれば、億の数値になるほどでした。町の知名度アップの点ではこの時点で事業は大成功です。しかし、本題は「完売」してこその企画ですので、これからが本番でした。
北海道の東の地、自然が魅力で元気な農・漁業の町と言いながら、移住決断をしていただくためには、町づくりなどたくさんの魅力が必要です。この魅力の一つが「無償分譲」です。 町としては、人が住むことで人口が増え、家を建てることで地方交付税や固定資産税、町民税などの増収効果によって、数年で投資分の回収ができる計算が立ち、併せて移住者が増えることによって新しい人財(材)が増えることになります。小さな町にとってこの財産は、これからの町づくりを進めるにあたって非常に大きなものがあります。
3月からの話題づくりが成功し、町のHPには18年11月までに約80万件のアクセスがありましたが、その中から、資料請求をいただいた件数は343件でした。 鹿児島を最南端に全国38都道府県からいただきました。これらの方には、次回から町広報と定住ニュースなど町の話題を毎月お送りして町の様子をつぶさに公表してゆく事を心がけました。
果たして、28区画に対する反応はいかに?漠然とした不安の中で、一歩進める対応の必要性を感じて、アンケートによる意向調査を行って問い合わせ者の「思いを探る」調査を行いました。
結果は、「応募する」「検討中」「迷っている」と回答した有望な方は343件中、56件(16.3%)と判明しました。 迷っている方の理由は、①冬の寒さ②遠くて家族が反対、この2点が多くを占めていましたので、不安解消策として、2LDKのアパートを用意して、1日千円の光熱費実費負担のみの「お試し暮らし体験」を企画しました。本気で移住を考えている方なら、必ず現地は見るものと思っていましたから、応募に前向きな方は来ていただけると考えていました。この考えは、後ほど確信となりました。
冬季体験(野付半島スノーシュートレッキング)
当地を訪れていただける方々への対応と応募者の審査機関として、町民による「移住定住町民推進委員会」を発足させました。町民との対面による生活のアドバイスなど「地の人」と懇談することで、この町を正面から受け止めていただくことができました。また、病院や保健センター、特別養護施設、図書館、生涯学習センターなどの公共施設を職員の説明・案内によって、つぶさに見ていただきました。
住宅相談の様子
このような町民の生の声、町の姿を見ていただく姿勢が、結果として好感をもたれています。当然「終の棲家」として移住は当人が判断する事ですので、プラスもマイナスも両面見ていただいて、あくまで当人の主観で判断していただくためのサポート役としての対応姿勢を貫いています。
さらに、現役世代の移住希望者は働く場への不安を持っている方がほとんどですので、就職斡旋の窓口として「無料職業紹介所」開設の許可をいただいて、求職・求人・斡旋・相談を行っています。
18年度の募集はこのような取組みによって、募集28区画に対して24件の応募をいただきました。正直「ほっとした思い」と「ちょっと残念」が交錯した複雑な心境でしたが、結果が出て次の手続きへと進めました。
地元7、近隣1、関東4、中部3、関西7、中国2、と全国からの応募に、書類審査だけでは相手が見えず、現地見学にお出でになって面談ができた方以外については、直接職場などの現在地に伺って面談・調査をさせていただきました。決定者が、新しい生活を快適な環境で暮らしていくための必要な調査でした。
審査により、町内7、町外12の計19件の決定をさせていただきましたが、この後の契約の段階となって①家族の重大な病気と看護②家族の反対③夕張問題などから地方生活の不安④住宅資金の問題などによって辞退者が予想を越えて出ました。結果として、最終契約者は28区画に対して町内5、町外6(近隣1、関東2、関西2、中国1)の11区画となりましたが、家族数で27人を確定する事が出来ました。ありがたいことです。
団地第1号の住宅建設の様子
雪解けを待ちかねて、2棟の住宅が着工しました。この機を捉えて、現地見学会が今年も始まりました。
問い合わせ者、見学者には「家族と充分相談して、お互い納得する事が先ず必要ですよ。」、「必ず現地にお越しください。」、「お試し体験を是非利用してください。」と呼びかけています。
完成住宅と家族で記念植樹
お試し暮らしをした方々には、「本当に良い町です。人が温かいですね。」、「公共施設が充実していて暮らしやすそう。」、「住宅は冬が暖かくてびっくり。周囲の自然も最高。」と評価をいただいております。
また、第1号の住宅を施行した建築業者からは、「地盤については中心市街地より良かった」との重要な報告をいただきました。
北海道の最東端「小さくてもキラリと光る町・標津町」の移住定住対策は、昨年を手本に2年目が動き始めました。