ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村の取組 > 宮崎県美郷町/豊かな自然と歴史を活かした観光戦略~「あじさいロード」の取り組みが成功~

宮崎県美郷町/豊かな自然と歴史を活かした観光戦略~「あじさいロード」の取り組みが成功~

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年5月28日
宮崎県美郷町の咲き誇るあじさいの様子の写真

宮崎県美郷町

2601号(2007年5月28日付号掲載)  企画情報課長 尾田 靖


美郷町の概要

美郷町は、宮崎県の東臼杵地域にある3村(旧南郷村、旧西郷村、旧北郷村)が平成18年1月1日に合併して誕生した町です。

北は日之影町、延岡市、東は門川町、日向市、南は西都市、木城町、西は諸塚村、椎葉村に接し、中央部には耳川が東西に貫流し、北側に五十鈴川、南側には小丸川が流れ、当町はこれら河川の上流域に位置しています。面積は44,872haで、全体の92%にあたる41,407haが山林という自然に恵まれた町です。

美郷町の三大祭

美郷町には、3区に1つずつ有名な祭りがあります。美郷三大祭を美郷町観光のキーワードに、これから取り組んでいこうとしています。それでは、美郷三大祭をご紹介したいと思います。

まず、1つめは、南郷区の「師走祭り」です。別れ別れに日本に漂着した百済王族の親子が、年に1度再会するという哀しい伝説の物語を再現した祭りです。90㎞も離れた2つの神社(美郷町の「神門神社」と木城町の「比木神社」)が合同で行うという大変珍しいもので、かつては9泊10日をかけて往復していたものです。現在は、旧暦12月の18日から20日頃の土曜と日曜を含む2泊3日で行われます。

師走祭りの様子の写真
師走祭り

1日目は木城町の「比木神社」から一行が美郷町に向かう“上りまし(のぼりまし)”が行われます。「お火をつけじゃー」の大声が聞こえ盛大な迎え火で「神門神社」に到着。2日目は「中の日」と呼ばれ、お衣洗いの儀がとり行われます。3日目は「比木神社」に帰るお別れの“下りまし”。集まった人たちが互いに墨を塗り合う“へグロ塗り”は大変な賑わいとなります。

2つめは、西郷区の「御田祭」(おんださい)です。毎年7月第1日曜日に、御神体を近くの上円野神社より田代神社にお迎えし、上の宮田から中の宮田への御神幸により行われる田植祭りです。

御田祭の様子の写真
御田祭(おんださい) 

祭りは、古くから世襲制の家柄が古式の祭事役(ミヨド・ウナリ・ノボリモチ)を務め、宮田の整地から田植えを行い、豊作と無病息災を祈願します。この祭りには、催馬楽(さいばら)の歌詞も伝えられ、古来の稲作神事がしのばれる近郷では珍しい民俗行事です。

この御田祭を中心として、旧暦3月3日に桃花とひしもちを供える春の節句祭に始まり、11月下旬の大祭終りの日、かまど神に稲の初穂を供えて行われるお祓い神事までの稲作儀礼は、古式を伝える重要な農耕行事です。

そして、3つ目は、北郷区の「宇納間地蔵尊大祭」です。「宇納間の地蔵さん」として親しまれている火伏せ地蔵で、名僧行基の作と伝えられています。 江戸時代、江戸の大火が起こったとき延岡藩内藤様の藩邸が今にも火にのまれそうになったとき、藩主の誓願に応えて「水を注ぐこと大雨のごとく」、それを鎮火させ藩邸を大火から救ったのが宇納間の地蔵であるという言い伝えが残っています。 旧暦1月24日を中日とする3日間に開催される宇納間地蔵大祭は、県内外からの大勢の参拝客で賑わいます。それぞれの区が、祭りを通じて歴史や伝説、文化を大切に育んできました。この三大祭が美郷町の観光のキーワードです。

宇納間地蔵尊大祭の様子の写真
宇納間地蔵尊大祭

地域の自然と歴史と観光

本町は、古くより受け継がれてきた豊かな自然と神話・伝説などで地域に根ざした観光を展開してきました。美郷三大祭を理解していただいたところで、南郷区、西郷区、北郷区での今までの取組みを少しご紹介したいと思います。

南郷区では、昭和61年から区内に残る歴史文化を見直し、韓国との国際交流などを通じて「百済の里づくり」を行ってきました。施設面においては平成2年に日韓交流のシンボルとして建設した「百済の館」「百花亭」、平成8年には「西の正倉院」、その後「南郷温泉-山霧」やコテージの整備を行ってきました。このような条件整備により、平成8年以降は「西の正倉院」のオープン効果もあり、年間10万人以上の観光客が訪れるという時期もあり、一定の成果を上げることができました。

西郷区では、平成12年度にグランドオープンした総合レジャー施設「石峠レイクランド」を拠点に、県指定民俗文化財の御田祭とその会場周辺、名勝地「おせりの滝」、三十三観音を周辺に配する「観音滝」、河川プール等を有する「小川川セーフティーランド」、耳川の流れに沿う3箇所の沿道景観地区や宮崎県林業技術センターなど自然的、歴史的裏付けを持つ、これらの観光資源を地域づくりにということで「御田の里づくり」を行ってきました。

北郷区においては、「星降る地蔵の里づくり」をテーマに、中小屋天文台、銀河村キャンプ場を整備し、県内外からの観光客誘致を行ってきました。最大の観光資源である宇納間地蔵尊は依然として大勢の参拝客を招いています。また、天文台・キャンプ場までの沿道を「あじさいロード」として、観光ルートづくりも行われてきました。

あじさいロードの取組み

中でも、地域の方々が独自に取り組んできた観光の事例として、「あじさいロード」についてもう少しご紹介します 

約20年前、北郷区の観光施設の中小屋天文台、スカイロッジ銀河村が完成し、沿線でもある椎野集落内にも観光客が往来するようになりまし。そこで、椎野集落を通るお客さんの目を少しでも楽しませようと、集落の婦人部の方が自宅の庭に咲いていた『あじさい』を道路に植栽し始めました。そのことが、「あじさいロード」へのきっかけでした。その活動は徐々に集落全体へ広がり、延長7㎞約3万本と「あじさい」の数も増えていきました。

あじさいロードを訪れるカメラマンの様子の写真
あじさいロードを訪れるカメラマン

今では集落の大半の家庭が参加し、年間を通じて周辺の草刈や剪定、肥料まきや土壌改良など、住民一丸となって手入れを行っています。「あじさいロード」は、北郷区を代表する観光名所となりました

この「あじさいロード」の取り組みは、過疎に悩み「過疎地に取り残れた」と感じていた椎野集落の人たちに元気を与えました。 

来ていただいた観光客の方が、「あじさいロード」に対して自由な意見を書いてもらえるようノートをおき、その言葉に励まされたこともあったと聞きます。また、遠方よりきていただいたお客さんに少しでも自然を感じ、心を癒やしてもらえればと、お茶などのふるまいなども始めました。田舎ならではの温かいもてなしと人情味あふれるふれあいにより、「みなさんに会いたくて今年もまた来たよ」と毎年のように来られるリピーターの方も増えてきています。 

ほおずきの写真
ほおずき

この活動が少なからず他へ影響を与えたことは言うまでもありません。地元商店街ではあじさい最盛の期間中、通常の倍近くに売り上げを伸ばしたところもありました。また「あじさい」にちなんだお菓子を作り、北郷をPRしようとする商店も出てきて、地元にも大きな経済効果をもたらしました。

しかし最たる効果は、過疎地域でもこれだけの観光客に喜んでいただける力を持っているのだという自信を、椎野集落の住民だけでなく北郷区民が持てるようになったということのようです。努力をすれば大勢の観光客を呼べるということから、区内のいたるところで花や木の植栽が行われるようになりました。各地域の特色を活かし「彼岸花ロード」や「やぶ椿群生地保全」「さざんかロード」など農山村の景観を保全しながら「美しい里(郷)」を残していこうとする努力が始まりました。 こうした活動には地域住民のボランティアは欠かせません。区民にとっては「あじさいロード」への取組みは地域活性化のよい起爆剤となったようです。 

きんかんの写真
きんかん

多くの課題

合併して美郷町となった現在、観光に対してどのように取り組んでいくかについては、多くの課題があることも事実です。ここ10年の動向をみると、近年の大型台風の襲来による観光施設へのアクセス道の被災や近隣市町村に温泉等の類似施設が建設されたことなどにより観光客数は伸び悩んでいます。町内には、多くの景勝地・重要文化財などが点在しており、観光資源としてどう活用し、どう適正な保全に努めるかも重要な課題です。

南高梅の写真
南高梅

「点から線、線から面」への観光ルートづくり、観光協会などとの連携のもと、広域連携による観光ルートづくりも課題のひとつです。観光資源を周遊する幹線道路、幹線林道等の整備促進もあります。

美郷三大祭をキーワードに、近年の自然志向に対応した「静=観る」観光から、「動=参加・体験する」観光への参加・体験型プログラムの開発、魅力ある食の提供や各区で取り組んできたツーリズムをもっと発展させる取り組みも必要です。

豊かな自然環境や観光資源・人情味など本町の地域資源を活かして、「あじさいロード」がもたらしたような住民協働による新たな総合観光戦略を進めることが必要だと感じています。