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兵庫県多可町/日本一の酒米「山田錦」と日本一の手漉き和紙「杉原紙」そして「敬老の日」発祥の町

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年3月26日
加美区岩座神の棚田の風景写真

全国棚田百選の一つ 加美区岩座神の棚田


兵庫県多可町

2594号(2007年3月26日)  多可町長 戸田 善規


多可町の概要

平成17年11月1日、多可郡内3町(中町・加美町・八千代町)の合併により多可町が誕生しました。兵庫県の内陸部に位置し、周囲を中国山地の山々に囲まれた多自然居住の町です。

気候は、瀬戸内気候の影響を受けて穏やかですが、町の北部一帯は内陸性気候の影響を大きく受け、かなり寒暖の差があります。

町の人口は24,304人(平成17年国勢調査)、東西13km、南北30km、総面積185平方kmで、直線距離で神戸・姫路まで約45km、大阪まで約70kmの所に位置します。

所要時間は新幹線新神戸駅まで70分、姫路駅まで60分、大阪空港まで70分と比較的都市部に近く、都市農村交流施策の展開にあたっては最適地といえます。

全国でも先駆的に滞在型市民農園(フロイデン八千代など4ヵ所)を整備し、都市住民を対象とした農林業体験ツアーを実施するなど、二地域居住や多可町への定住を促進しています。

主産業は農林業と地場産業の播州織(先染織物)ですが、産業構造の転換を進めるとともに新規企業の誘致による雇用確保と活力向上が課題となっています。

多可町の特性は、酒米の最高峰「山田錦」、7世紀後半から受け継がれる手漉き和紙「杉原紙」、そして超高齢化社会を迎えて、その精神を受け継ぎたい「敬老の日発祥の町」に見ることができます。

滞在型市民農園「フロイデン八千代」の写真

都市農村交流の拠点 滞在型市民農園「フロイデン八千代」

町の文化受発信拠点施設「ベルディーホール」の写真

町の文化受発信拠点施設「ベルディーホール」

3つの「発祥の地」

酒米の最高峰「山田錦」発祥の地

多可町は日本一の酒造好適米「山田錦」の発祥の地です。山田錦の母方「山田穂」を発見したのは中区東安田の豪農・山田勢三郎翁と言われています。

山田錦が誕生してから70年を迎えた昨年、多可町は地方自治体として初めて「日本酒で乾杯の町」を宣言しました。「山田錦」が生まれた自然と文化を尊び、日本文化に深いかかわりを持ってきた日本酒をこよなく愛することを高らかにアピールしたのです。

また山田錦発祥の地であることから、毎年10月1日には「加藤登紀子日本酒の日コンサート」を開催しており、今年で15年目となります。この日に解禁となる「登紀子ブランド酒」は3,000本が限定販売され、題字はもちろん登紀子さんの自筆、ラベルには優雅な杉原紙が使われ、即日完売するほどの人気です。

現在も山田錦の生産に取り組む農家は多く、多可町で収穫された高品質の山田錦は、全国各地の酒造元へ出荷されています。山田錦からできたお酒は高級酒が多く、きめが細かく芳醇な味わいが特徴です。

加藤登紀子「日本酒の日コンサート」の様子の写真

加藤登紀子「日本酒の日コンサート」

日本一の手漉き和紙「杉原紙」発祥の地

古来から日本一の名紙と謳われた手漉き和紙「杉原紙」は1300年の歴史を誇ります。

平成14年からは『宮中歌会始』の専用紙の栄に浴し、昨年開催された「のじぎく兵庫国体」では賞状用紙として使われました。 

その歴史は奈良時代後半にまでさかのぼり、平安時代から室町時代には貴族、武士階級に最高級の献上品として広く用いられ「杉原にあらざれば和紙にあらず」とまでいわれました。

その後の江戸時代には生産の最盛期を迎え、当地で和紙を漉く家が300軒を超えましたが、激増する需要に追いつけず、全国各地の製紙地で○○杉原・△△杉原などと地名を付した杉原紙が漉かれ始めました。当地の杉原紙はそれらの本家本元であり、品質も最上であったことから「播磨御上り杉原」として別格の扱いを受けました。

その杉原紙も明治期に入ると西洋の製紙技術の流入により衰退の一途をたどり、大正末期には歴史の幕を一旦閉じました。

時を経て、この播磨の地で再び杉原紙を漉こうとの文化的な気運が高まり、昭和47年に全国でも珍しい「町営(旧加美町)杉原紙研究所」を設立し、日本一の手漉き和紙・杉原紙の生産を再開しました。

現在、多可町加美区では杉原紙の原料である楮(こうぞ)の木を住民の手で栽培・収穫する方途を「1戸2株運動(各戸の庭で2株の楮を育て提供する運動)」として定着させるなど、町民自らの「心の誇り」として杉原紙の歴史と伝統を大切に守っています。

紙漉き体験の様子の写真

紙漉き体験ができる「杉原紙研究所」

継承すべき精神「敬老の日」発祥の地

多可町は「敬老の日」発祥の町でもあります。高さ約2メートルの石碑が現在も八千代公民館の玄関脇にあり、前面には「敬老の日提唱の地」と彫りこまれています。

戦後の動乱期(昭和22年)、野間谷村(旧八千代町)の門脇政夫村長が全国で初めて村主催の敬老会を開催されました。長い間社会に貢献してきたお年寄りに敬意を表するとともに、知識や人生経験を伝授してもらう場を設けることが目的でした。敬老会の期日は農閑期で気候的にも過ごしやすい9月15日とされました。当日は、村中の自動三輪車を集めて55歳以上の人を送迎し、公会堂に招いてご馳走と播州歌舞伎でもてなされたそうです。

昭和23年に「国民の祝日に関する法律」が施行されましたが、こどもの日、成人の日はあるものの敬老の日はありませんでした。そこで門脇村長は2回目の敬老会で、9月15日を「としよりの日」と定め、村独自の祝日にすることを提唱されました。その後さらに県や国に対して広く働きかけを続け、昭和41年に「敬老の日」は体育の日などとともに国民の祝日に加えられたのです。平成15年からはハッピーマンデー制度の適用により、9月の第3月曜日となりましたが、その精神は受け継がれています。

敬老の日発祥の町を記念して行われる「おじいちゃんおばあちゃん児童画展」には、全国から多数の応募があり、どの作品からも、おじいちゃん、おばあちゃんへの温かい思いが伝わってきます。

多可町では豊かな心を育む施策を充実させながら、先人の「敬老の精神」をより強く受け継いでいきます。

「敬老の日提唱の地」を示す石碑の写真

「敬老の日提唱の地」を示す石碑

参画と協働のまちづくり

人が元気!地域が元気!!まちが元気!!!

多可町では地域資源を活かしたまちづくり、都市との交流、特産品の開発、文化発信事業など多くのユニークな取り組みが行われています。その一部を紹介します。

1)加美区には西日本一の石垣美を誇る岩座神(いざりがみ)棚田(全国棚田百選の一つ)が残されています。大勢のアマチュアカメラマンが足を運ぶのは、農村の原風景として来訪者の心を打つからでしょう。平成9年、この集落では景観保全と都市住民との交流を目的として県内初の棚田オーナー制度を導入しました。かかし祭りや刈り取り後の田んぼでコンサートなど数多くのイベントが定着する都市農村交流の先進地でもあります。また神戸大学農学部との連携による棚田保存活動も地道ながらに続けられています。

2)八千代区には“田舎のコンビニ”として広く知られる「マイスター工房」があります。特に「巻きずし」の絶妙な味が有名で、開店の何時間も前から長い行列ができます。「マイスター工房」は廃校となった保育園や農協支店跡を改修した施設で、地域住民で構成する生活研究グループが中心となって施設運営をされており、地元産にこだわった「ふるさと商品」の開発や研究が盛んです。既存施設の有効活用、地域の食文化にスポットを当てたコミュニティビジネスの成功例として、テレビ、新聞、雑誌等で数多く取り上げられますので、全国からの視察者が絶えません。

3)中区にあるベルディーホールは多可町の文化の受発信拠点です。この施設には住民からなる運営評議員会が設けられ、魅力あるイベントを自分たちで企画し、広く住民に提供しています。また住民ボランティアの方々が、照明、音響、案内、モギリなどの役割を積極的に担っています。田舎にある文化ホールとしては驚異の稼働率を誇り、超一流のアーティスト達が発信する優れた芸術文化をも享受できます。また住民参加型の公演も盛んで、昨年末には合併1周年を記念した創作オペレッタ「多可のあまんじゃこ(播磨風土記の一場面)」が300人を超える住民により熱演され、大好評を博したところです。

4) このほか、集落単位で行われる「多可の里づくり事業」があります。地域の人・物といった資源を皆で見つけ出し、それを守り育て、そして地域課題を住民の共通認識として継続的な取り組みとするむらづくり活動に対し、限度額を設定して助成する町の制度です。

人の元気が集落や町の元気に直接的につながります。多可町では今後も「みんなが主役のまちづくり」を積極的に展開していきます。

田舎のコンビニ「マイスター工場」の皆さんの写真

田舎のコンビニ「マイスター工場」

町民オペレッタ「多可のあまんじゃこ」の様子の写真

町民オペレッタ「多可のあまんじゃこ」

個性や特性を研磨する地域協議会

多可町では魅力あふれる地域特性や地域財産を継承し、さらに進展させるために、旧町単位に自治区を設ける「地域自治区制度」を採用しています。

各地域自治区には、特色ある地域づくりを住民自らが行い、住民と行政の協働の場を形成することを目的とした各区15名の委員から構成される「地域協議会」があります。

これは旧町の役場や町議会の機能の一部を合併後も補完する仕組みであり、地域住民の声を多可町政に反映する制度です。ここでは、町長が諮問した事項や協議会が必要と認める事柄について、活発な審議がなされ、様々な意見が述べられます。

また、地域協議会では平成19年度から各自治区の「まちづくり計画」の策定に取り組んでいただきます。これは、大学の先生方(多可町シンクタンク)の助言を受けながら、自分たちの住む地域の現状や課題を再認識し、地域の将来あるべき姿について考えるとともに、旧町から引き継いだ特色あるまちづくりを継続・進展させる取り組みです。

多可町~多くの可能性を秘めた町~

合併協議に当たり「小さな合併」と考えていた多可町の誕生でした。しかしながら、合併後の町政執行に当たるにつれ『この合併は決して小さな合併ではなかった、否、むしろ旧3町が豊かな地域特性を有する町であり、3つの大きな魅力の合併であった』と思うようになりました。

それもそのはず、旧中町は県下最大級の横穴式石室を持つ東山古墳群のある「古墳時代の播磨の聖都」であり、その誇り高き故郷を守るため環境美化活動に取り組む住民グループ「ザ・ゴミゼローズ」は、平成18年度地域環境美化功績者:環境大臣表彰を受賞しました。この地では数多くの団体による住民自治活動が活発に展開されています。

旧加美町は「平成17年度ふるさとづくり賞:内閣総理大臣賞受賞の町」であり、旧八千代町は「第2回(平成16年度)オーライ!ニッポン:グランプリ(内閣総理大臣賞)受賞の町」でもあります。まさに個性と特性いっぱいの魅力ある旧3町の合併だったのです。

市部に比して多可町は人口や面積においては小さいかもしれませんが、その名の如く、くの能性を秘めたです。

数多くの地域特性や地域資源を新生・多可町のなかでさらに昇華させ、新町の財産(心の誇り)とし、住民全員がその誉れを共有できたとき、生まれたばかりの小さな町は「天たかく 元気ひろがる美しいまち 多可」として全国に向かって確実に輝きを放つことができると信じています。