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北海道奈井江町/健康と福祉のまちづくりへの取り組み

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年12月18日
北海道奈井江町の写真

北海道奈井江町

2583号(2006年12月18日号)
奈井江町長 北 良治


1.町の概要

奈井江町は、北海道の中央に位置し、札幌市と旭川市をつなぐ国道12号線上29.2kmの、日本一の直線道路のほぼ中間に位置する面積88.05平方km、人口6,900人の稲作農業を基幹産業とする小さな田舎町です。

不老の滝
不老の滝

明治の開拓時代に作られた駅逓(現在の駅、旅館、郵便局に相当するもの)を中心に町が形成され、昭和10年代から大々的に始まった石炭採掘によって発展、昭和19年の戦争末期の大変な時期に母村である砂川町(現砂川市)から分村し今日に至っています。

分村以前から奈井江町に住む人々には開拓時代からの自主自立の精神が脈々と受け継がれていたようで、行政体としての町の歴史が始まる前の昭和10年に奈井江産業組合(現農協)によって協済病院(現町立国保病院)が建てられ、国民健康保険法が成立する3年も前に国保類似事業を始めていたという輝かしい歴史を持っています。そうした町の気風、自主自立 の精神が「健康と福祉の まち」の原動力であった と確信しています。

2.町立国保病院の建替えと「病診連携開放型共同利用」

保健・医療・福祉の連携「地域包括ケア」の取組みが本町において大きく前進したのは、平成6年から7年にかけて行った町立国保病院の全面改築に合わせて導入したオープンシステム(病診連携開放型共同利用)の導入からでした。

地元医師と町立国保病院医師との連携
地元医師と町立国保病院医師との連携

地元開業医の先生方との話し合いによって生まれたこのシステムは、その後、老人保健施設や特別養護老人ホームにも導入し、奈井江流の「かかりつけ医」制度が完成しました。改築後、大病院志向が強く町外の病院に入院していた患者も戻り、それまで赤字であった病院経営も改善されると共に、病診連携により重複受診、重複投薬が改善され国保医療費も安定するなど、ここ10年間は順調に推移してまいりました

しかしながら、昨今の医師不足や診療報酬改定、更には医療法改正に伴う介護療養型病床の廃止という大きな課題の前に、本町まちづくりの拠点である町立国保病院も極めて重大な局面を迎えています。

3.砂川市立病院との連携

そうした中、昨年の10月に砂川市立病院との地域医療連携の協定を結びました。

砂川市立病院との医療連携調印
砂川市立病院との医療連携調印

これは一昨年の6月に内科医3名のうち院長を除く2名が突然退職したことがきっかけでした。従前から医師派遣をいただいている大学の教授とも相談の上、二次医療圏のセンター病院でもある砂川市立病院との連携の中で、常勤医師1名の採用と合わせて、半年間若い医師も派遣していただくこととなったのです。

また、逆に砂川市立病院でも循環器内科の医師に欠員が生じたことから、本町で採用した医師を一週間に一度派遣する相互協力の関係が構築でき、「医師の派遣」という大きな課題を乗り越えることができました。

その大きな成果を踏まえ、連携の幅を更に広げていこうということで、「患者の紹介、逆紹介に関すること」、「医療機器等の共同利用に関すること」、「病院の運営形態の検討に関すること」等8項目にわたる協定を結びました。

一部関係者からは砂川市立病院に吸収されたのかとの声も聞こえましたが、深刻な医師不足の対応と合わせて、本町が地元開業医と共に創り上げてきた「地域包括ケアシステム」を維持・発展させながら、高度に専門化している急性期医療への対応という視点で、互いの役割分担を確認しながら連携することを目指したものです。これからの地域医療は一つの町の病院だけで完結できるものではありません。そこで、横の連携をとりながら「地域で患者を診る」ことをテーマとした取り組みが大事だと考えたのです。

自治体病院を取り巻く環境は非常に厳しいものがありますが、病診・病病2つの連携で難局を乗り越えながら、地域住民の健康と命を守る新たな体制を構築して参りたいと考えているところです。

4.「福祉の国際交流」と老人総合福祉施設「やすらぎの家」の建設

町立病院の改築と時を同じくして取り組んだ事業に「福祉の国際交流」があります。

これは一過性に終わりがちな国際交流に「福祉」というまちづくりの根幹的なテーマをもたせることによって目に見える形での成果とひとづくりという長期的展望に立った息の長い国際交流をしたいと考えた末に思いついたものです。

当時の厚生省に依頼をし、フィンランド共和国ハウスヤルビ町を紹介され、現在も隔年で行き来をする関係での交流を続けています。当初、幸いなことに日本語の堪能な看護師さん(ハウスヤルビ町職員)の存在もあり、極めて異例な速さで友好都市の締結がなされました。それ以来、息の長い交流が進められています。現在まで町民、町議会議員、町職員延べ81名の派遣とハウスヤルビ町からも延べ41名の視察訪問を受け入れており、近年では福祉に留まらず教育、文化交流にまで発展しています。

やすらぎの家を訪問するハウスヤルビ町訪問団
やすらぎの家を訪問するハウスヤルビ町訪問団

ハウスヤルビ町との交流で目に見える形での成果としては、平成8年に建設した老人総合福祉施設「やすらぎの家」があります。50床の特別養護老人ホームを中心とする施設ですが、この施設開設に当たっては、町民中心の国際交流団とは別に看護師、保健師などの専門職を1ヶ月間派遣し、長期研修の中でそのノウハウを吸収してまいりました。そこで学んだ最も大きな財産は、人間の尊厳を限りなく尊重する施設運営方針です。ハウスヤルビ町から学んだものを日本流にアレンジしながら、コミュニティスペースを各所に配置し、各廊下に通りの名前を付けて地域の中で暮らしている感覚を持続してもらう。月1回の散髪の日には施設内に設けた床屋の前に回転灯を回すといった遊び心も取り入れながら、健全で安らかな生活が送れる施設づくりに努めているところです。

5.子育て支援サークル「キッズネットないえ」の誕生

キッズネット総会
キッズネット総会

高齢化率30%を超えた我が町では、高齢者福祉の充実を中心とした「福祉のまちづくり」が先行していましたが、平成12年に大きな変化が町の中で起きました。

まちづくりへの町民参加、協働のまちづくりを目指して、6つのテーマに分けて町民の意見を聞こうとの趣旨で、この年「まちづくり百人委員会」を開催しました。ここで「子育て支援グループ」として子育て中のお母さんを中心に20人の町民の方々によるワークショップを実施したところ、従前では行政への一方的な要求に終わっていたこの種の懇談会には珍しく、自分たちでできることは自分たちでやろうという声が上がったのです。

8ヶ月にわたる協議を無報酬で熱心に語り合っていただいた成果として私に提出された提言書には、「学童保育の実施」と合わせて、お母さん方自らが実施主体となる託児システムの立ち上げと、行政からは保育士による専門的アドバイスといった側面的支援の要請がありました。当時まだ取り組んでいなかった「学童保育」は行政で行い、就学前の乳幼児と学童保育を補完するものとして町民の相互協力での「子育てサークル キッズネットないえ」が誕生したのです。

熱心なお母さん方には、自家用車で乗り合わせて道東まで先進地視察に行っていただきました。正に頭の下がる思いでしたが、そうした町民の熱意こそが「まちづくりの原点」であることを改めて教えていただいた出来事でした。

6.市町村合併と住民参加のまちづくり

今、北海道では市町村合併第二ステージとも言える動きが出ています。本年7月に北海道が人口3万人規模、役場間時間距離最大80分を基準としながら住民や行政活動、産業・経済などの指標に31基づくクラスター分析を用いながらの43の組み合わせによる市町村合併構想を打ち出したからです。

本町が入るグループには今、全国的にも注目されている旧産炭地1市1町も入っており、将来的財政見通しも立たない中、議論は少し頓挫している状況ですが、遅かれ早かれ議論は進み、ここ1、2年の間には一定の結論が出るものと思っています。

平成12年から始まった前回の合併論議に際しては市町村合併に関する広報特集号を8回全戸配布し、住民に情報提供すると共に最終判断の材料として「住民投票」「子ども投票」を行いました。市町村合併というのは住民のためにあるものであって、それを確かめつつ発展させていくものでなければ全く意味はないと考えたからです。

本町の「産業組合による病院建設」や「子育てサークルキッズネットないえ」の設立に見られるように「まちづくり」に住民パワーが加わった時、地域、社会は大きく変わります。まちづくりの主役である地域住民がいきいきと健康で暮らすことができる保健・医療・福祉を進めることは「まちづくり」そのものと言っても過言ではないと考えています。このことを常に意識しながら、これからも地域住民が安心して生活できる地域づくりを進めてまいりたい。そんな思いを強くしている今日この頃です。