山形県小国町
2759号(2006年11月6日) 全国町村会 広報部
9月29日から10月1日の3日間、山形県小国町において、全国初の森林セラピー実践パイロットプロジェクトが開催された。
森林セラピーとは、森の癒し効果を科学的に実証して健康増進に役立てる取り組みのことである。今年4月に小国町をはじめ全国で6つの地域が、癒し効果のある「森林セラピー基地」として認定された。現在各地域では一般向けのオープンを来年4月に控え、森林の整備からソフトの作成まで準備に余念がない。
労働者全体の約6割が自分の仕事や生活に関して強いストレスを感じ、小学生までもがストレスを抱える現代において、森林の持つリラクゼーション機能に注目が集まっている。森林セラピー基地とはどんな場所であり、提供されるプログラムはどのようなものなのか。小国町にとっても今後の展開の試金石となった今回のイベントについて報告したい。(全国町村会 広報部)
森林セラピー基地「白い森の国おぐに-ブナの森温身平(ぬくみだいら)-」を有する山形県小国町は、新潟県との県境に位置する、人口9,742人(平成17年度国勢調査)の町である。東京23区が収まるという、山形県内で二番目の広大な面積(737.55平方キロメートル)を覆うのは、ブナを中心とした広葉樹林だ。実に町土の95パーセントを山林が占め、平地は4パーセントにすぎない。磐梯朝日国立公園区域にある温身平は、町中心部から30キロほど離れた、美しい原生林に囲まれた渓流沿いの地区である。
「森林に関しては、どこにも負けません。(基地に認定されたのは)なるべくして、なったのです。」小国町役場職員の自信に溢れた言葉である。町では、森林セラピー基地を申請する前から、「白い森の国おぐに」として「ブナ文化交流圏構想」をかかげ、「自然との共生・調和」の先進地であるドイツを視察し、その地域開発の手法を学ぶなどして、環境共生型の理想郷づくりを進めてきた。
「白い森構想」とは、町を象徴する二つの素材である「ブナ」と「雪」から共通してイメージできる「白」をもとに、全町が「白い森公園」であると認識し事業展開を図っていくものである。この構想の根底には、「人間と森林の共存のあり方を確立し、新しいブナ文化を創造していく」という理念がある。
朝日・飯豊連峰の雄大な山々に囲まれた小国町では、夏は全国平均を上回る降雨に、冬には2~5メートルの降雪に見舞われる。町の人々は厳しい自然環境の下、自然と折り合いをつけて生活する術を身につけてきた。それは雪やブナの森を町の優れた資源とみなし、まちづくりに活用していこうとする姿勢にも生きている。
東京から会場となる小国町まで新幹線とバスの、およそ3時間半の道程であった。会場に着くなり、仄かな香り漂うおしぼりが配られ、乗り物で疲れた体を癒してくれる。昼食の後、健康診断を受け臨床心理士とのカウンセリングを行い、引き続いてアロマテラピーについての講座を聞いた。
アロマテラピーとは、植物から抽出された精油を使い心や体を穏やかに癒して、健康増進や美容に生かす自然療法のことである。ストレス軽減やリラックスなどの心理効果が期待できるそうだ。基地を歩く時の香りに是非注意してみてほしいとのアドバイスを受け講義を終えた。
その後会場を宿泊先となる飯豊梅花皮(いいでかいらぎ)荘に移して現役のマタギのお話を伺う。松明の下で訥々と自身の体験を語るマタギの姿に、一同敬意を表しながら会場をあとにした。初日の最後のイベントは、ブッフェスタイルの夕食であった。
滞在中いただいた食事は、地元の郷土料理からセラピーオリジナルのレシピまで、どれも滋味あふれ、食事のたびに感嘆の声があがっていた。
昨年7月に食育基本法が施行され、先人から受け継がれてきた各域固有の「食」のあり方を再評価しようという動きが盛んである。山に囲まれた小国の冬は、雪で周囲と断絶されるという。町の人々は豊かな生活を送る為に様々な工夫を重ねてきたのだろう。先人の知恵の結晶である料理を存分に食べ、翌日の森林ウォーキングにそなえた。
二日目の朝は、ストレッチ運動で始まった。専門の先生の指導の下、周りの人とコミュニケーションをとりながら心身の緊張をほぐしていく。その後朝食をとり、宿から車で10分ほどの場所に広がる森林セラピー基地「温身平」へと移動した。森の植生や歩く事でどんな効果を期待できるのか説明を受け、いくつかのグループに分かれて出発した。
歩きはじめると、一言で形容できない心地よい香りが漂っていることに気付いた。「これはブナの香りですか。」「うーん、ブナだけじゃなくて、他の植物や雨や土の匂い、森にある全ての香りが混ざっているんじゃないかな。」と、森林インストラクターは言う。
小国の森に多く含まれる香りの物質はアルファピネンと呼ばれ、科学的に調合出来るものらしい。しかし、何百種類もの精油を絶妙な配分で混ぜても森の中で感じたような重奏的な香りは再現できないという。どんな香りか知りたければ、実際にこの森に足を運び体験するしかない。そして、歩くことで得られる「癒し」とはどのようなものであるのか、是非自分の体で確かめてほしい。
三日目は、最終日の締め括りとして森林学を学んだ。初日に訪れた「健康の森」の側に広がる杉林に会場を移し、森林学の専門家とともに、植生の異なる3種類の森林を歩く。
「見通しがよい、こうした森を歩くと不安感が少なくなるのです。」スギの森を歩きながら、皆納得したように頷く。この森は、一般にはあまり馴染みのない「保健保安林」に指定されているという。保健保安林とは、生活環境保全機能や保健休養機能が高いとして指定された森林のことである。
一口に森林というが日本には様々な個性を持った森林が存在する。人との関わりという観点から区別するならば、人の手が入っていない原生林や、伐採などの人間活動の結果できた二次林、木材生産の為の人工林といった具合である。昨日歩いた小国のブナの森は、日本でも数少ない原生林の一つだ。
講義の最後に、天然のブナが植生している場所へ行き、「自分の木」を探した。目当ての木を見つける為に、下草を掻き分けながら、急な斜面を登ってゆく人の姿も見られた。自分の選んだ木の前で目を閉じて、耳をすませる。公園では人の声も、車の音も聞こえない。周囲はただ静寂に包まれていた。
「ヨーロッパではブナは『森の母』と呼ばれ、周りの環境を豊かにする木として知られています。」時の流れが育んだゆとりと潤いの「森でブナの温み」を実感できた今回の体験プログラムであった。
日本では森林は増加傾向にあるものの、国産木材価格の低迷、林業就労者の高齢化や減少により適切な管理が行われず、本来森林が持っている力を生かしきれていない。
他方で、人々が森林に期待する役割は変わりつつある。従来の木材生産としての機能だけではなく、環境保全や保健・レクリエーションなど多面的に機能させることが求められているのだ。国としても、国民のニーズの変化に対応するため、2001年に森林・林業基本法を制定し、その多面的機能を持続的に発揮させようと、森林整備・保全を図る政策に転換している。
このような流れの中で、現在、森林セラピーの事業が注目されている。人々が求める森林の多面的機能を発揮させるためには、森林の整備が欠かせない。一方で森林セラピー事業を行うことは、地域の森の再評価や整備に直結する。人が歩けるようにするためには、枝打ちや間伐などが必要であり、植生の図やロードマップを作成するには、森の知識は欠かせない。地域の行政だけでなく、住民もまた森林ボランティアなどを通じて、身近な森林に触れる機会が増えることは重要であると思われる。
今回訪れた小国町の役場職員の話で強い印象を受けたのが外部からの視点を取り入れたことの意義についてであった。食事メニューを検討する過程で自分たちが当たり前と思っていた物や考え方が、東京から来た管理栄養士の先生方など、外部の人の目には非常に魅力的なものとして映ったという。実際、地域の中からと外からの双方の目を通じてつくられた食事は、参加者の間でかなり評判が高かった。
このように、これまで接点のなかった地域(地方)と外部(都市)が出会い、よりよいものを生み出す場として森林セラピー事業は有効なのではないだろうか。そしてこのことは、住民が自分たちの地域の自然や文化に誇りを持つことにもつながっていく。
地域固有の文化を育んできた森を一つのブランドにするためには、内外の合意形成が必要となるが、小国町の人々は誰もが皆、納得してこの事業に携わっているように思われた。最近話題の「癒し」や「健康ブーム」にもあやかりながら、森林セラピーが一時の流行りではなく、今後、私たちの生活に根付いていくことを期待したい。