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岐阜県白川村/日本一美しい村つくらまいか ~合掌集落とともに自立を目指して~

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年8月7日

岐阜県白川村

2570号(2006年8月7日)  全国町村会 広報部


村の概要

急峻な山々が連なる飛騨高地。世界遺産の合掌集落を抱く岐阜県白川村は、その山麓を縫うように流れる庄川流域に広がる山村だ。白山を主峰とする両白山地が石川県との境をなし、北は人形山によって富山県に接する、日本有数の豪雪地帯。村の人々は、古くから雪と関わりながら生活を営んできた。

総面積356.55平方キロのうち 95.7%を山林が占め、庄川沿いのわずかな平地に点在する集落に、現在約1,900人が暮らす。昭和26年に始まる御母衣ダムの建設工事は、村に一時的な人口増加をもたらしたが、今は元の静かな山里に戻っている。

庄川流域に広がる白川郷の人々は、江戸期以来、主に火薬づくり、木材、生糸の生産などで生計をたてていた。現在の合掌造り民家は、元禄の頃から盛んに行われた蚕による生糸生産が生み出したものだ。

この、古くから続いた村の産業構造が大きく変わったのは、何といっても平成7年の世界遺産登録がきっかけだろう。年間60万人前後であった観光客数は150万人に増加。これに伴い、観光関連の施設整備が急速に進められ、村の経済の仕組みは一変した。かつて主要産業だった農林業は大幅に減少し、現在は、観光産業を中心とした第3次産業従事者が6割を占めている。

このように、観光客数の増加は村の雇用環境に大きく貢献するが、新たな課題も生んでいる。たとえば、農林業の衰退は、村の美しい景観を構成する田畑や森林の荒廃につながる恐れがある。また、観光産業の発展は必ずしも通年就労の場の確保にはつながっておらず、安定した収入の確保、若者の村内定着を図るためには、地域資源を活用した地場産業の振興が待たれるところだ。

こうした新たな課題を抱える中で、村は平成の大合併論議において周辺市町村との合併を断念、「自立」の道を選択した。以下、「日本一美しい村」を目指して歩み始めた白川村の取り組みを追ってみる。

2.飛騨地域の市町村合併について

現在の白川村が発足したのは、明治8(1875)年。白川郷42の自然村のうち、23の村が集まって誕生したのが始まりである。厳しい自然条件や地理的条件、また「結」に代表される強い連帯意識などから、これまで、白川村は近隣町村との合併とは無縁だった。しかし、近年の地方財政の削減と平成の大合併の波は、かつて秘境と言われた村にも押し寄せてきた。

平成14年5月、高山市と大野郡および吉城郡の15市町村からなる「飛騨地域合併推進協議会」が発足。「飛騨はひとつ」を合い言葉に、合併に向けた検討を開始した。当初、白川村もその一員として協議に参画することになる。

村では、独自に「白川村広域合併研究会」を設置。高山市を中心に一市二郡で合併した場合と、単独を貫く場合とを比較検討し、平成13(2001)年に「合併是非論展開表」を取りまとめた。

合併した場合の面積は3,229平方キロで鳥取県に匹敵する広さとなる。そのため、まず一体的な行政運営に疑問符がついた。最周辺地域の白川村地区から市の中心部までは83㎞もあり、職員が通うのも一苦労である。また、人口1,900人足らずの白川村からの市議会議員はゼロになる可能性が排除できない。そして何よりも、白川村独自のコミュニティ機能が崩壊することが心配された。

結局、村は高山市が提案した編入合併の構想から離脱、「単独村」の道を選択した。それは、8割に迫る住民の声を反映した結果でもあった。

3.自立のむらづくり

長い冬が終わりを告げて、白川郷を覆った雪がようやく解ける頃、合掌造り集落は屋根の葺き替え作業で活気を見せる。村内から大勢の人が参加して、合掌の屋根一面に新しい茅を葺いていく。200人からの村人が大きな屋根に上って、茅の束を次々に葺き上げていく様子は一種壮観だ。 

1~2日で行われるこの作業は、「結」(ゆい)と呼ばれる独特の労働提供制度によって支えられている。手伝った家は、後に自分の家の屋根を葺き替える際、労働力の提供を受けることができるという。つまり、現金を介在しない労働のやりとりだ。この「結」が、白川村の集落自治、コミュニティの基礎になっている。

自らの誇りとする歴史と文化を、コミュニティ組織の活動によって守ってきた白川村の人々が、高山市を中心とした大合併を拒み、自立の道を選択したことは、むしろ当然のことだったのかもしれない。

さて、合併協議会からの脱退後、村はさっそく自立のための「行財政改革」の検討に着手する。

白川村の財政は、大規模償却資産(水力発電所等)にかかる固定資産税などにより、財政力指数は0.46と比較的恵まれた状況にある。しかし、減価償却が進めば、固定資産税は確実に目減りする。加えて、ピーク時には11億円程度あった地方交付税はすでに7.1億円(平成18年度当初予算)にまで削減されていた。

こうした状況を踏まえ、村では、村長を本部長とする「白川村行財政改革推進本部」が中心となり、〈自立推進のための集中改革プラン〉と銘打った「第4次白川村行政改革大綱」を平成18年3月に策定した。策定にあたっては、有識者および村内各種団体代表者からなる「白川村行政改革懇談会」でも審議を行い、民意の反映に留意している。

平成17年度からの5年間を改革期間とした計画では、前述の「結」の精神を活かした協働のむらづくりを基本指針として、事務事業の再編・整理、廃止・統合、民間委託等の推進、村職員の定員削減や経費節減の取り組みなど、11項目にわたる「改革の主要事項」に取り組むとした。さらに確実に成果を上げるため、取り組むべき個別事項を明示して、「個別事項検討シート」で定期的に点検・管理することとしている。

具体的には、各組織・団体への補助金の見直し、指定管理者制度を活用した各事務事業の民間委託、役場職員の定員削減による人件費の抑制、小学校・保育園の統合化、公共料金の見直しなど、多岐にわたる改革を順次検討、実施に移していく。

村ではすでに平成18年度予算で24.15億円と、ピークだった90年代の終わりから70%弱の規模にまで縮小しているが、大綱に沿った改革で、さらに経常経費、投資的経費の毎年度10%削減を目指す方針だ。

村では、以上のような改革を進めていくわけだが、それでも自立の上で課題は残る。常備消防、介護保険業務、ゴミの処理など、これまで広域圏で実施していたサービスを今後どうするのか、といった問題だ。

常備消防はこれまで飛騨消防組合、介護保険業務は高山大野広域連合で、それぞれ広域で行っていた経緯がある。それが、近隣の合併を経た現在は、消防は高山消防署に業務委託し、介護保険は認定審査業務だけを高山市に委託している状態である。いずれも当面の措置で、今後恒久的な対応策を考えなければならない。小さな村単独で全ての住民サービスを実施することが難しい以上、近隣自治体との連携も視野に入れることになるだろう。

「合併はしなかったが、高山市とは仲良くやっていかないとダメなんだ。」谷口尚村長は厳しい状況を前に苦笑いする。

4.小さくても輝く自治体フォーラム

今年の6月24、25日の2日間、梅雨の中休みを思わせる穏やかな気候の中、「第7回全国小さくても輝く自治体フォーラム」が白川村で開催された。会場となった白川中学校体育館は、全国38道府県100自治体から集まった480名の参加者で埋め尽くされ、山間地とは思えない熱気に包まれていた。

開催地を代表し歓迎の挨拶を述べた谷口村長は、過疎化への懸念や世界遺産保存という重責を思い、合併協議から離脱した経緯を説明。一層厳しさを増す環境の中でさらなる行政改革に取り組み、住民とともに歴史や伝統を守りながら「小さくても輝く自治体」として単独で歩む決意を表明した。

フォーラムでは、地方交付税改革の影響や都市との連携、今後の小規模自治体のあり方や各地の状況など、多岐にわたるテーマについての研究成果や取り組みが研究者、町村長などから発表された。

いわゆる「新型交付税」のシミュレーションや、山間地や離島で奮闘する町村長の生のメッセージに参加者は、汗をぬぐいながら熱心にペンを走らせていた。

初日の日程を終えた参加者たちは合掌家屋に分宿、叡智を結集した茅葺き屋根の造形に見入りながら、夜が更けるまで故郷への思いを語り合い交流を深めていった。

プログラムの最後は、アピールの採択。「美しい日本の原風景を守り育てている白川村の「結」の精神を全国に持ち帰り、明日からのむらづくり、まちづくりに清新の思いをもって取り組みたい」と訴え、2日間の日程を終えた。

5.あとがき

富山空港から白川村へは、平成14年に開通した東海北陸自動車道白川郷インターチェンジのお陰で現在約1時間強の道のりになった。「想像以上にアクセスが良かった」と谷口村長に話しかけると、「それでも公共交通のアクセスは良くないから」と切り返された。白川郷から先、岐阜・名古屋方面への延伸工事は残り1区間となっているが、合併を見送った高山市中心部へは、富山空港とほぼ同じ距離の80数㎞。

道路の便がよくなることは住民や観光客にとって、大変ありがたいことではあるが、車のハンドルを握らない高齢者や子供などにとって、村内外を便利に移動できる交通手段が乏しいというのは、住民の暮らしを預かる立場からすれば、やはり心許ないと言わざるを得ないのだろうと感じた。

白川郷を訪れる年間150万人の観光客の中で、この類稀なる世界遺産とそれを包むように点在する集落が、かろうじて維持されている状況に思いを巡らせる人がどれくらいいるだろうか。

世界遺産級の観光資源のあるなしは関係ない。白川村の人たちにも「白川は特別」という気負は感じられない。いにしえから引き継いできた歴史と伝統、人々が暮らしの中から編み出したワザを淡々と守ろうという、そこに暮らしている人であれば誰もが思い至るであろうごく自然の営為を感じ取ることができる。

全国に息づく輝くような町や村の営みを、一面的な捉え方で否定してしまうのはあまりにも惜しいと言わざるを得ない。倉敷にある大原美術館理事長の大原謙一郎氏は、かつて新聞への投稿で、「小さな町村の行く末こそが、私たちの国の価値と風格を大きく左右する」と述べ、「小さな町村顧みぬこの国」の昨今の風潮に警鐘を鳴らしている。

地域を活かす最初の取り組みは、想像力(創造力)や構想力をいかに豊かに膨らませるか、ということではないだろうか。

自立を決意し、「日本一美しいむらつくらまいか」をスローガンに、新たな一歩を踏み出した白川村。日々の変わらぬ営みを、将来への大きな構想につなげようとする小さな村の挑戦は、すでに始まっている。