市民農園で田植え体験
自然の宿「くすの木」
千葉県和田町
2518号(2005年4月25日) 和田町企画課 平川 顕
和田町は、千葉県房総半島の南端に位置し温暖な気候と緑豊かな山々、青く雄大な海原と自然に囲まれた人口約5,800人の町です。また、高齢化率34%の高齢化と過疎化の進む町でもあります。
産業は農業、漁業、林業と第一次産業の全てが営まれています。特に、海洋性の温暖な気候である地域特性を生かして菜の花、カーネーションをはじめとした花卉栽培が盛んです。関東で唯一の捕鯨や酪農と並び町の基幹産業となっています。
このような自然、産業をもつ和田町で、平成12年度から、都市と農山漁村との交流事業『ネイチャースクールわくわくWADA』を開催しています。都会で生まれたNPOネイチャースクールの構想に端を発し、都市の人、情報、文化との交流による地域の活性化を目指し活動しています。
高齢化の進む和田町は“智恵袋”であるお年寄りが多いということがいえます。地域のお年寄りは長い間第一次産業に携わってきたその道のプロです。そのお年寄りの人たちを講師にと考え体験交流事業を進めています。
また町内にある県立の高等学校もネイチャースクールの体験の教室であり、まさに町すべてが『ネイチャースクール わくわく WADA』の教室です。
和田町で体験交流事業『ネイチャースクール わくわく WADA』を始めるにあたってなくてはならなかったのが自然の宿「くすの木」です。事業開始当初から交流の拠点施設として機能しています。
くすの木は平成7年3月に廃校となった旧上三原小学校跡地に平成9年12月に体験交流施設自然の宿「くすの木」としてオープンしました。旧上三原小学校は町の中で最も山間にあり一行政区一小学校の学校でした。その地域の住民達はすべてが小学校のPTAであり、運動会などは地域をあげてのイベントとなっていました。そんな小学校が廃校となってしまうということは地域のコミュニティの崩壊につながってしまうと行政、地域の代表が集まり検討を進めました。「もう1度子供たちの声が響き渡るような施設に」「地域の人たちが集まれる施設に」と何度も会議を重ね、「くすの木」がうまれました。
「くすの木」のスタッフは管理人から調理、掃除の担当まですべて地域の住民です。いわゆる素人の集まりで、ホテルのようなおもてなしはできませんが宿泊者にはリピーターが多く「ただいま!」と入れる雰囲気が好評です。また、食事も山菜や天日干のお米、農家がつくった野菜など、地元で取れた食材を使った“田舎のもてなし料理”で利用者に喜ばれています。
「くすの木」では平成9年のオープン当初からいろいろな体験メニューを準備しています。竹細工やわら細工、リースづくりに田植え、稲刈りなど、小学生を中心とした団体に提供してきました。体験の講師ももちろん地域の住民で、まさに「くすの木」があったから今の『ネイチャースクール わくわく WADA』があるといえるでしょう。
『ネイチャースクール わくわく WADA』は町のあらゆる場所が教室です。町民すべてが先生です。講座の内容は和田町の自然、海・山・川・里山を教室に、そこで営まれている産業を体験します。
海では市場で定置網などの水揚げを見学し、獲れた魚を使って干物づくりをします。山では植林地の下草刈りや枝打ちなど。また川では生物の観察をしながら山と海との係わり、それらをつなげる川の役目などを参加者といっしょに考えます。講師は干物の加工会社の人だったり魚屋さんであったり、また森林組合の人だったり。くじらの解体見学をメインとする「くじら学」では捕鯨会社の方を講師に招き、捕鯨についての座学を開催したりします。
このように町の自然、産業を四季ごとに体験するコースを年間4回開催する他に「1つの産業をじっくり体験したい」というリピーターの声に応え平成14年度から森林、平成15年度に酪農、平成16年度は漁業の専門コースを設けました。
他にも、新たな動きとして、先にご紹介した自然の宿「くすの木」が平成16年度より『くすの木市民農園』を開設し、参加者に田植えから草取り、稲刈り、収穫祭まで1年を通して参加してもらい交流を深めています。
また、川の観察がきっかけで、竹炭を使った川の浄化を考える「和田町炭焼きの会」が活動を開始し、山繁茂した竹を利用することで里山の保全を兼ねた環境整備の活動が始まりました。この活動も地元の住民だけでなく、都会の人たちの力をかりながら、いっしょに進めていきます。
体験学習「干物つくり」に挑戦
「くじら学」解体作業の始まり
酪農体験
「わだ学」川の観察
『ネイチャースクール わくわく WADA』は当初から東京都認証のNPOネイチャースクールと協力し事業を進めています。
過疎化と高齢化に悩む和田町にあって、これからのまちづくりの方向を模索していたところNPOから体験交流事業の提案があったのが始まりです。NPOは都会に住む人たちのニーズ、住んでいては気付かない町の財産、体験プログラム、効果的な広告方法などを提案してくれ、立ち上げ段階がある程度スムーズに運べたのはNPOの力が大きいでしょう。現在に至ってもその協力体制は変わらず、町づくりのために共に考える仲間となっています。
平成12年度から活動をはじめ、5年が経過しようとしていますがまだまだ地域に根づいた活動とはいえません。講師などで参加する人以外、町民のほとんどはこの活動に参加したことのない人ばかりです。
「行政がやっていること」「都会の人たちを楽しませているだけ」との意見もまだまだ消えません。
平成18年度には町村合併も控えていることから、より地域に密着した動とする為の組織作りを行っています。地元の受入組織(NPO)を組織し、都会だけではない、地域のニーズに答えられる『ネイチャースクール わくわく WADA』にしていくことが急務です。さらに“自分の町のことは自分で考える”和田という地域の活性化を考える組織となるよう考えています。