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新潟県山北町/普段着の「こころ」からのふれあいを目指して ~輝きだしたたくさんの「光」(地域資源)から~

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年3月8日
「日本国」登山イベント(小俣集落)の写真

「日本国」登山イベント(小俣集落)


新潟県山北町

2472号(2004年3月8日) 山北町長 大滝 平正


山北町の概要

山北町は新潟県の最北端に位置し、海、山、川ありの素晴らしい自然いっぱいの町です。総面積は283.91平方kmでその内の約93%が山林であり、わずかな農地と宅地の中で生活をしています。

海岸線が約26kmあり、全線が新潟県立自然公園に指定されています。また重複の指定ですが、南部海岸11kmは、国の名称天然記念物に指定されている「笹川流れ」と言う大変風光明媚な海岸線を有しています。また、海岸線には県営の漁港を含む5つの漁港があり、そこから水揚げされる漁獲高は県内3位です。

一方、山間部には「日本国」という珍名の山があります。標高は555m で麓集落の方々が登山道をよく整備され、子供からお年寄りまでが気軽に、軽装でハイキングができることで人気があり、年間の登山者数は約1万2千人と、町としても山間部の観光の目玉と言うことでPRに努めています。年間の山北町全体への誘客数は約50万人前後です。

本町の人口が最も多かったのは昭和25年でした。約1万5千人強の人が現在の山北町区域に住んでいました。その50年後の平成12年国勢調査人口は25年対比約53%にあたる7,839人でした。50年経過したら人口が半減したと言っても過言ではありませんでした。

その時の高齢化率は約33%で県平均を10ポイント以上も上回るという急激な過疎に伴う高齢化の進行している町です。

過疎と高齢化の中で

こんな状況に危機感を抱き、脱却をすべく様々な取り組みを町民の皆さんと一緒に取り組んでいるところです。具体的には過疎対策、高齢化対策、少子化対策、嫁婿対策、若者の定住対策等です。そして、地域が活性化するためには、やはり観光産業の確立対策が欠かすことのできない最重要の課題との認識から、平成元年に「山北町観光開発基本計画」を策定したところです。

その内容ですが、当時の主流であった大型のリゾート開発とは全く異なった地域にある自然、伝統、生活文化、そして日常生活を基本的資源とするまちづくりの取り組みでした。そして、着実に実践するために5つの基本理念を掲げています。

  1. 集落の日常生活を基本的資源とする地域づくり
  2. 山北の日常生活を分かちあえる開かれた地域づくり
  3. どの集落も一人ひとりが主役になれる地域づくり
  4. 暮らしを支えてきた自然と楽しくつきあえる地域づくり
  5. 郷土の培った知恵や伝統文化が息づいている地域づくり

この「山北町観光開発基本計画」を具現化していくために、平成元年度から取り組んだのが「魅力ある集落づくり事業」です。

過疎の山田の写真

過疎の山田

「光」さがしは意識改革から

「魅力ある集落づくり事業」は、平成元年当時の全国的な大型観光ブームの中で他に例を見ない取り組みとして、期待と不安の中スタートしました。

最初に、48集落で25日間にわたり「集落座談会」を開催し事業の説明、意見交換などを行いました。これまでと異なる取り組みに「本来町が行うべき仕事をなぜ自分達が」などの戸惑いや不満とともに「何でも町に頼るのではなく自分達でも何かを」という前向きな意見も聞かれました。出席者の延べ人数は1,182名とかつてないほどの高い出席率に、この取り組みに対する関心の高さが伺われました。その後48集落で委員会が組織され、年齢、性別、職業を問わず幅広い層から委員が選出され、これまで地域づくりへの参加機会の少なかった、若者や女性も多く加わり、これまでにない盛り上がりが感じられました。

委員会が組織され最初に取り組んだのが「生活文化資源調査」です。これは集落の「光」(宝物)を再発見するための調査で、海や川などの自然、伝統芸能、郷土料理、名人・達人などのあらゆる「地域資源」を調査しました。「自分達の集落には何もない」とよく言います。集落のお年寄りから山、沢、清水、名称の由来などを聞いていくうちに、集落を再認識し、「ないないづくし」の決めつけから「ありありづくし」への意識改革にもなりました。

次に取り組んだのが計画の策定です。事業計画は集落の合意の下で行い、実行可能な「等身大」の計画であることを条件に作成されました。集落住民にアンケート調査を行ったり、会合を10回以上重ねる集落もあり、当初提出された計画は約200件あまりにのぼり、集落の知恵と汗の結晶が表れました。

事業の実施にあたっては、その目的をより効果的に達成するために「集落のみんなの手づくり」により行われました。中でも「集落標示看板」は、山北町の木である「杉」を活用し、景観に配慮したデザインを取り入れ全集落で整備されました。自分達の集落の力に合わせた「等身大」の事業を着実に実践していくことにより、集落への愛着、そして自信と誇りにつながっていきました。

手づくりの交流で「ファン」を増やして

輝き始めた「地域資源」をいかし、訪れる人と地域の人たちが交流できる体験メニューとして「笹川流れ波物語り」を平成9年に整備しました。

ありのままの山北町とそこに暮らす人々が普段の生活を介して、訪れた人とふれあうことにより「山北の人」を好きになってもらい、ひいては山北の「ファン」になってもらうことがこの取り組みの目的です。山里伝統の生業「炭焼き」や浜のかあちゃん達が教える「干物づくり」、昔から語り継がれてきた「さんぽくの昔話」、集落づくり事業により整備した「清水」を巡るものなど、山北町の日常が体験できる内容です。飾らず、気取らず、より本物を体験してもらうことにより毎年多くの体験者が訪れ、平成14年度には約1万2千人が訪れています。訪れた人から「これはうまい!」「ここがきれい!」「とても素晴らしい!」などの言葉が受け入れ者の自信と誇りにつながり、新たな取り組みや相互のつながりに発展しています。

「さんぽく生業の里」のある山熊田集落は、伝統の織物「しな織り」や「アク笹巻き」地域特有の「郷土料理」、焼畑農法による「赤かぶ漬け」などの地域固有の「生業」が息づいてきましたが、人口の減少による後継者不足などにより衰退してきていました。平成12年にこの地域固有の「生業」をいかした交流により地域を元気づけようと、地元有志により設立されたのが「さんぽく生業の里企業組合」です。

「かあちゃん達」の「オラも何かやりて!」の発想から始まった起業は、昨年4千人余りが訪れ、地域産物の活用による消費拡大、人々の交流拡大による地域活力の向上につながっています。

一方、名峰「日本国」を中心とした自然と出羽街道の宿場の歴史的なまちなみ、山菜、伝統料理などの地域産物をいかして地域を元気にしようと取り組んでいるのが、「小俣ふるさと楽校」です。自然景観や町並の保護をしながら「樹木銘板」や「屋号標示看板」の設置などを行っています。また、地域の産物を訪れた人に触れてもらおうと「日本国ふるさと市場」の開設や郷土の味を盛り込んだ「小俣御膳」などを提供しています。昨年、「日本国」登山や地域の魅力をアピールするイベントを開催し約1万2千人の人が「小俣」を訪れています。

各集落で「地域資源」の再生・創出・活用による交流の拡大で、地域の活力や自信と誇りの醸成につながりました。このことが、山北町内の若者への地域づくりの取り組みへの波及と、後継者対策、嫁婿対策の取り組みへとつながっています。

毎年4月におおむね18~40歳代までの若者を対象に公募し、今年で8年目になる「夢21・さんぽく塾」は山北町を知る活動「山北めぐり」や、地域伝統の生業を学習する「赤かぶ栽培」、自らが主催し地域の皆さんと共に行うことで毎年大勢の参加者でにぎわう雪だるま作りのイベント「スノーマンがやってきた!」などを行っています。すべての事業は、「塾生」がそれぞれ担当に分かれ企画し、塾生全員で取り組んでいます。それぞれが役割を持って行うことにより新たな人材の発掘と自信を生み、新たな活動の発展にもつながっています。

嫁婿対策として平成13年に取り組み始めた「週末百姓やってみ隊」は、素朴な農作業や伝統の生業を通した交流を行っています。町外者を「百姓隊」として迎え入れ、町内で作業を手助けする皆さんを「サポート隊」として交流を行っています。 

1回限りの交流イベントではなく、毎月、農作物の生長とあわせ山北町を定期的に訪れてもらうことにより、農業などをとおした地域の魅力や人情味あふれる山北町の人の魅力を伝えています。今年、3名が「山北町に住んで農業をやりたい」との思いで定住を決めています。

平成13年4月にオープンした施設「八幡」は、宿泊、温泉入浴などの利用のほか、体験交流の受け入れ窓口として「笹川流れ波物語り」の受け付け、学生の合宿受け入れなどで、年間利用者は1万2千人を超え新たな出会いを生んでいます。

イベント準備に忙しい塾生

イベント準備に忙しい塾生

「スノーマンがやってきた!」イベント

「スノーマンがやってきた!」イベント

「週末百姓やってみ隊」

「週末百姓やってみ隊」

輝き続けるために

地域の皆さんが主体となり取組みを進めてきた山北町の地域づくりは、今、大きな過渡期を迎えています。

山北町を訪れて地域の皆さんと交流していく人々は年々増加の傾向にあります。来訪者で活気に沸く集落、また「この町に住みたい」「この町で働きたい」などのUIJターン希望者の声も聞かれます。しかし反面、活動が停滞している集落、「何をすればよいのか」分からないという集落も見受けられます。全体的な交流人口は拡大していますが集落間で意識の格差が現れてきているようです。

今一度原点に戻って、開かれた地域づくりを自分達の手により「等身大」で行うことが必要と考えます。そのために、各集落で主体的に事業を実施するためのプランづくりの推進と、集落個々の取り組みを町全体の面的な活動に広げ交流人口の拡大、定住者の受け入れ等を推進していきたいと考えています。

「住んでいて良かった」、「ここに住んでいたい」と思える町づくりを今後も皆さんと共に進めていきたいと考えます。