引き馬の背に揺られて
山梨県小淵沢町
2463号(2003年12月22日) 小淵沢町産業課 田丸 敬一
小淵沢町は、山梨県の北西部で長野県との県境に位置し、八ヶ岳連峰の権現岳(2,715m)を町の北端に、南端に流れる釜無川(586m)まで、標高差2,100mの八ヶ岳南麓に扇状に広がる高原の町です。
権現岳や編笠山をはじめとする山並みは、八ヶ岳中信高原国定公園に指定されており、原生林や野生動物が多く生息しているなど、自然が豊富なところです。また、周囲に目を転じると、360度の展望は、東に霊峰・富士山の勇姿が、南には北岳・甲斐駒ケ岳に連なる南アルプスの山並みが素晴らしい景観として目に入ってきます。
歴史的には、昭和29年に小淵沢村と篠尾村が合併して、小淵沢町が誕生しました。当時の産業は「水稲」や「養蚕」が盛んで、小淵沢駅を利用して周辺地域の米や生糸など農産物の集出荷、日用品の交易など、この地域の中心地として賑わいました。
その後の町は、社会環境が大きく変遷する中で、特に高度経済成長の影響を大きく受け、都市部への若者等の流出で、一時は人口が5,000人を割り込むまで減少しました。しかし、昭和50年代に入り、当町を含む八ヶ岳南麓は、交通の利便さと自然の豊富さや山並み景観が資源となり、高原リゾート地として首都圏等から注目されてきました。このような中で地域の発展に弾みをつけたのが、昭和63年に放映されたNHK大河ドラマ「武田信玄」です。未曾有の高視聴率は、ロケ地となった小淵沢町の名が全国的に知られることとなり、各地から多くの観光客が訪れ、高原リゾート地としての発展の基礎を築くこととなりました。
以後の町の発展は、定住人口は年々増加し、現在6,000人を超えており、今後もこの増加傾向は続くと想定できる一方、観光入込み客は年間200万人を記録するなど発展基調にある町です。
小淵沢町は古くから「馬」とのかかわりが深く、今でもその面影を町のあちらこちらに残しております。その中でも戦国時代の名将「武田信玄」とのかかわりは深く、信濃の国(現在の、長野県)を攻略する際、小淵沢付近は、活動の拠点として重要な場所でありました。今も史跡として残る、信濃の国の情報をいち早く入手し、軍隊がすばやく行動するための軍用道路「信玄の棒道」や「のろし場」跡、軍用馬を育成した馬場の里等がその歴史を物語る史跡として特筆できます。
このことは、この場所が信濃の国侵攻の上で交通の要として、また、気候と自然が良馬を育てる環境に適していたものと思われます。
その後、江戸時代に入ると、馬の用途は軍用馬から農耕馬へと移り、農作物の運搬や耕作に「農耕馬」が利用されるようになりました。しかし、社会環境が大きく変遷するにつれ馬の用途も変化し、近年は交通事情の変化や農業の機械化が進むなど、生活の中での「農」と「馬」の繋がりが薄くなってきました。
昭和40年代後半頃から、八ヶ岳南麓の雄大な景観と豊な自然を求めて都市部から観光客が訪れる等、八ヶ岳南麓地域が高原リゾート地として注目され、発展してきました。
この中で、小淵沢町には次々に特色ある観光乗馬クラブが進出し、特徴あるリゾート地として形成されてきました。この動きに拍車をかけたのが、昭和61年に山梨県で開催された「かいじ国体」で小淵沢町が馬術競技の会場となり、国体の馬術競技を町民一丸の中で成功させたことです。その後「かいじ国体」の馬術競技場は恒久施設として存続したため、この施設を中心に、民間の乗馬クラブも年毎に増加し、現在は11の乗馬施設が町内に点在し、「馬の町小淵沢」として名を馳せることとなりました。
竹「馬」競争
昭和62年10月9日雨上がりの広大な牧場には5,000人近い見学者や取材人、ロケのスタッフが集まり、緊張した雰囲気の中、NHK大河ドラマ武田信玄のロケのスタートを待っている。
監督の「本番」の声とともに、小淵沢の乗馬クラブのメンバーによる勇壮な武田騎馬隊が、土煙を上げて怒涛の如く疾走してくる。
馬80頭、地元エキストラ300人と大河ドラマ史上最大のロケが、今スタートした。
「OK」監督の声が響きわたる。今までの極度の緊迫していた空気が解れた瞬間、疲労も忘れあちらこちらで明るい笑い声や喚声がおこった。時刻は午前9時30分であった。
馬80頭とそのスタッフ200名が、山梨県馬術競技場に集合したのは、それを遡ること5時間半、夜中の午前3時だった。暗闇の中で準備に取り掛かる。NHKにとっても乗馬関係者にとっても、80頭の騎馬軍団を編成することは初体験である。いわんや馬たちは……。
甲冑を身に着けた武者が乗馬しようとするが、その異様な姿、雰囲気に馬は興奮して暴れだす。それが連鎖し会場内は大混乱である。あせる気持ちを抑えながらの、時間との勝負である。スタッフと馬の気持ちもやがては一つに、人馬一体の騎馬軍団が揃ったのは午前8時。いざ出陣、ロケ会場の牧場まで約1時間の道のりである。
このように緊張の中でスタートした NHK大河ドラマ「武田信玄」の小淵沢町でのロケは、昭和62年10月から63年6月まで長期に亘り行われました。
とテレビドラマにおいては、空前の大規模なものでした。その結果として、ドラマは最大視聴率49.5%を記録し、信玄ブームが起こり、ロケセット「信玄館」を中心に、町には年間100万人を超える観光客が訪れ賑わいました。
その後も、「春日の局」「信長」「吉宗」などの大河ドラマのロケはもとより、馬が出演するドラマや映画のロケが数多く行われ、『馬を使ったロケは小淵沢』の言葉が全国に知れ渡り定着したと思われます。
最近では「葵 徳川三代」「利家とまつ」そしてこのたび放映された「武蔵」も当町でロケが行われるなど、NHKと小淵沢町との連携と協力とで築かれた関係は、「武田信玄」以来15年余を過ぎた現在も続いており、高原リゾート地として発展するための重要な要素となっております。
騎馬パレード風景
乗馬クラブのスタッフとその仲間たちで組織する「小淵沢ホースマンクラブ」はNHK大河ドラマ等のロケには無くてはならない存在です。乗馬の技術はもとより演技力も抜群です。このホースマンクラブが中心となって開催するイベントが「八ヶ岳ホースショー in こぶちさわ」です。
青く透き通った空、真っ白な雲、緑風吹き渡る夏の小淵沢高原は、爽やかな風に乗って多くの人々が訪れます。この時期、8月の第一土曜日に、この地域の最大のイベントとして山梨県馬術競技場をメイン会場として開催されます。このイベントは、ウエスタン、ブリティッシュなど様々の華やかな騎馬パレードで始まります。会場では、乗馬体験やキャラクターショー、太鼓の演奏など子供たちの楽しむことのできる催しも盛りだくさんです。夕闇が迫る頃になると会場は一変し、光と音の競演による勇壮華麗なホースショーへと展開します。このショーは馬による火の輪くぐり、ウエスタンライディングやドレッサージュなど「馬の町小淵沢」ならではの名演技に観客は固唾を飲みます。イベントのフィナーレは高原の星空を彩る花火の打ち上げでクライマックスを迎えます。
このイベントは、平成88年に、全国市町村ホースサミット連絡協議会が小淵沢町で開催された際、アトラクションとして披露し、馬に関わる参加40市町村の皆様から賞賛をいただき、イベントとしての継承と内容の充実に確信を得ることができました。その後、回を重ねる毎に内容も充実し、観客も年々増加し、今年は15,400人と最高の入場者を記録しました。
ジャンピングカドリーグ
ミュージックライディング
JR中央線の主要駅「小淵沢」、高原列車小海線の始発駅でもあります。また、中央自動車道の小淵沢インターも町内にあるため、首都圏から2時間、名古屋等中部圏から3時間と程よい距離にあります。このような交通の利便さ、それに豊な自然と雄大な山並み景観が八ヶ岳南麓の小淵沢町の特色です。
町内にはカサブランカが群生する「花パーク フィオーレ小淵沢」世界一のコレクションで有名な「昆虫美術館」、美人の湯として人気の高い「延命の湯」を備えた「スパティオ小淵沢」、また、観光乗馬牧場、アウトレットモールをはじめ美術館や各種体験施設など多くの施設が点在し、滞在して楽しめるエリアを形成しています。
その中でも特筆されるのが乗馬です。山梨県馬術競技場を中心に民間の11の乗馬クラブが町内に点在しています。観光牧場では、ウエスタン・ブリティッシュなどお好みのスタイルの乗馬が楽しめる一方、雄大な自然の中にホーストレッキングコースが縦横に整備されているため、野外騎乗も充分楽しめます。特に、野外では鹿やリス、時にはイノシシ等にも遭遇するなど、八ヶ岳の大自然の中で、ワイルドアドベンチャーが満喫できるなどの特徴があります。
県営馬術競技場では年間を通し、多くのイベントや全国レベルの馬術競技大会が開催されており、訪れた人は、何時でも自由に見学することができるようになっています。また、馬の癒しと健康に配慮した「馬の温泉」施設も整備されるなど小淵沢町内には、馬に関する施設や乗馬を楽しめる環境が整備され、名実ともに「馬の町小淵沢」を形成しております。
これからは、今日までの積み上げた実績と経験を生かし、全国市町村ホースサミット連絡協議会のメンバーと連携を一層強め、馬の町の形成と充実を図るとともに、NHKとの連携をも大切にし、住民一丸となって馬をテーマとしたまちづくりに邁進していきたいと考えております。