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織姫と彦星が出逢う村

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年10月31日

織姫と彦星が出逢う村

福島県昭和村長 馬場 孝允

昭和村は、福島県会津地方の中ほどに位置し、周囲を千m級の山々に囲まれ、村役場の位置で四百六十七mの標高がある山村であります。冬の間は積雪が二m以上になり、 一年の半分は雪に覆われる豪雪の村でもあります。

総面積は約二百十㎢、東京都二十三区の約三分の一の面積がありますが、その九十二%は山林です。野尻川の流れに沿って、集落が連なるコンパクトな居住地区となっております。

御多分に漏れず、本村でも過疎化・少子高齢化が急速に進んでおり、人口は昭和三十年の四千八百十人をピークに減り続け、現在は約千三百人、六百七十世帯となっております。 小中学校の生徒数は、小学校が全学年で二十八名、中学校が十六名で、小学校では全学年が複式学級となっております。高齢化率は現在は約五十四%と、 県下第二位であります。(平成二十二年国勢調査では、全国でも第五位でした。)

村の財政規模が約二十億円と小さな村ではありますが、全国に誇れるものが三つあります。

一つがからむし織と織姫体験生事業、一つが日本一のカスミソウ栽培、もう一つが、住民が地域の中で支え合い、年を重ねても役割をもって尊重される村の地域コミュニティであります。

一つ目のからむし織と織姫体験生事業ですが、本村では、江戸時代とも室町時代とも言われる時代から、麻の一種である「からむし」を栽培し、糸を紡ぎ、織物を織っております。 ユネスコ無形文化遺産に登録されている新潟県の越後上布、小地谷縮の原料に使われており、現在、産地としてからむしを栽培しているのは、本州では昭和村が唯一であります。 この、村で守り伝えてきたからむし織の後継者養成を目的に、平成六年から毎年、全国にからむし織体験生(織姫)を募集し、二十代から三十代の女性を中心に、 本村で一年間生活していただいております。今年で二十三年目を迎え、これまで百十名の織姫さんをお迎えしましたが、村の生活を気に入っていただき、三十名がそのまま村内に定住し、 家庭を持たれた方もいます。彼女たちになぜ村に残るのか聞いたところ、「村のおじいちゃん、おばあちゃんは暮らしの達人。身近にいてもっと知恵や技を学びたい」と言うのです。 これには驚きでした。からむし織体験生制度を通して、村にいる私たちも、当たり前に感じていた、からむし織を始めとした四季折々の暮らし、伝統の素晴らしさを再認識させられ、 村の誇りと感じ、その後の村づくりの大きな原動力になっております。

次に、カスミソウについてですが、夏から秋にかけて、東京の大田市場に出荷されるかすみ草の七割は昭和村のカスミソウです。夏場は花が日持ちしないため市場に出回っていませんでしたが、 標高が高く夏でも涼しい気候と、生産農家の皆さんの創意工夫、雪を貯蔵した「雪室」と呼ばれる冷温倉庫など、本村の特性をフルに活用することで、 夏秋期のカスミソウ市場のシェアナンバーワンとなりました。春から秋の作業で相当の売上げを上げる農家もありますので、村外から移住して生計の立てられる仕事として、 村としても支援しております。余談ですが、カスミソウの品種にアルタイル(彦星)があります。織姫が舞い降りる村に、彦星が出会う、これも運命的な巡り合わせかもしれません。

最後に、地域コミュニティにおける住民同士の支え合いですが、第五次昭和村振興計画で謳っている基本目標の第一が、「みんなが主役の協働の村づくり」であります。 人口減少も裏を返せば、顔の見えるコミュニティです。老若男女問わず、「この仕事だったら誰に頼めばいい」といった人材活用データベースが頭の中に入っております。七十歳、八十歳になっても、 頼られる存在です。また、誰か困っている人があれば、誰となく手を差し伸べてくれます。こうした住民同士の緊密なコミュニティの在り方は、 東日本大震災後の沿岸部の地域コミュニティ再生の参考事例として、村外から調査に来られるなど、今後、人口減少、少子高齢化社会における地域コミュニティの一つのモデルとして、 発信できるのではないかとの思いもあります。

我が国が元気でいるためには、どの町村もそれぞれ生き生きと輝くことが重要であります。昭和村も、村の特性を生かし、昭和村らしい確かな輝きを持つ地域を目指して参ります。