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自立の選択から地方創生へ

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月28日

新潟県粟島浦村長 本保 建男

 

粟島浦村は、新潟市の北西約60㎞の沖合に位置する孤立小型の離島です。全国で4番目に人口の少ない自治体でもあります。

平成18年9月、私は村長に就任しました。ちょうど本土側5市町村との任意合併が後半に差し掛かった時期であり、平成20年4月には新市誕生という大筋の合意ができていました。 それまで何度か合併協議が決裂した経緯があるので、「いまさら、議論はないよ」という雰囲気でした。

しかし私は合併には慎重派でした。「本当に対等な合併か?」「合併して、将来は良くなるのか?」と自問し悩み続けました。大勢を占める合併賛成派の視線に想像しがたい重圧をも感じましたが、 それでも任意協議会では最後まで慎重な立場を貫き通しました。それは合併後の粟島の姿を想像すると不安だらけだったからです。人口400人足らずの離島の村が、人口7万人の新市の一部になることで、 将来に希望が持てるとは思えないと考えたからです。

そして最終的に任意合併協議会を終え、自立することを選択しました。立地条件も生活環境も一番厳しい自治体が自立を決めたので、 村内外から多くの反響がありました。「こんな小さな村が自立してやっていけるのか」、「本土側との良好な関係を壊す気か」、「これまでの長時間協議したことが無駄になった」等々の厳しい批判の声が多くありました。 新聞の社説でも取り上げられるほどでした。「まさか、これほどまでの批判があるとは」と思いましたが、前進するしかありませんでした。時々重圧に心が折れそうにもなりましたが、今では懐かしい思い出です。

地域の方向性を住民自ら決定できることは、とても大切なことだと思います。とはいえ小規模自治体の運営には島外からの支援が必要です。 その方法として平成20年度から、「緑のふるさと協力隊」の受け入れを始めました。当時島外者といえば教員がほとんどでしたので、若い協力隊の存在は住民の注目を集めました。しかも彼らは都会の若者たちです。 住民に頼まれれば、畑や漁、民宿の手伝いなど不慣れな仕事にも一生懸命に取り組みました。また住民にとって協力隊との交流は、日々の活力源ともなりました。

協力隊の受け入れを契機に、島外者を受け入れる環境が地域に育ったと思います。今日、本村の人口の1割強が移住者で占められるようになりました。島外者の積極的な受け入れにより近年、 人口を維持することに成功しています。そして平成25年度より島外からの小中学生を受け入れる「島留学制度」を実施し、穏やかな地域の「暮らし」や馬の飼育活動を通しての「命の教育」を資源とした教育活動を実施しています。 教育を核とした地域づくりを推進することにより新たな雇用も生まれ、人口減少対策にも寄与しています。

平成28年度は、地方創生事業実施元年です。本村はいわゆる消滅自治体のベスト10内に入っています。自立を選択して10年目になりますが依然として、自治体としては存続危機から脱してはいません。 故に地方創生の取り組みもまた苦難の道を歩むことになりそうです。しかし地方創生の取り組みは地域の存続を賭けた最後のチャンスだと思います。私は外部人材の協力を得ながら、 地方創生戦略作りの住民との話し合いには十分時間をかけてきました。その結果住民の意識にも変化が、少しずつではありますが着実に表れてくるようになりました。特に若者達の間では、「他人にばかり頼らず、 自分たちの力で地域を変えよう」という機運が芽生え移住者と共に新たな地域活動を始めました。これは大きな成果であります。私はこの住民たちと一緒に地方創生事業に取り組めることを誇りに思っています。

わが村の現在は窮乏してはおりますが将来は有望であると強く信じ、何事も前向きにそして道なき道を一歩一歩進みながら、次世代にこの素晴らしき故郷を確実に継承したいと思います。 そして住民が故郷に誇りと希望を持てるような、そのような村を目指したいと思います。