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地方創生に思う

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月7日

地方創生に思う

高知県中土佐町長 池田 洋光

全長196㎞、日本最後の清流と呼ばれる四万十川。その上流域に川を挟むように開けた村が嘗ての大野見村(現・中土佐町大野見地区)だ。昭和29年、私は、四万十川と山々に抱かれた小さな里に生を受けた。 当時の大川(四万十川の通称)は、水量豊かでウナギも鮎もおもしろいほど捕れた。山では野いちごやイタドリ、山芋、アケビ。里ではビワ、イチジクそして柿。四季折々のごちそうを頬張った。 今のように物流が発達していなかったので、海の幸は塩をした干物が中心で刺身類は不塩(ぶえん)といって神祭(じんさい・春や秋の祭り)や冠婚葬祭などの時ぐらいしか食べられなかったが、 鶏や鯨はタンパク源としてたびたび食卓に登場した。山々に囲まれていたせいか、その向こう側にあるであろう未知の世界に思いをはせ、ガキ大将よろしく子分を連れ山越えで隣町まで遠征し、 日暮れになっても我が子が帰らぬと捜索が入ったことも一度や二度ではなかった。不便な生活だったかもしれないが、濃密なコミュニティと自由な時間、尽きることのない遊び場を提供してくれたふるさとの山や川。 今振り返れば実に贅沢な幼少期を過ごしてきたと思う。この頃養われた好奇心が長じても消えず、バックパッカーとして北米を旅したり、オーストラリアに渡り永住を企てたりと若かりし日のまぶしい記憶は、 還暦を過ぎた今の私の活力源であることに間違いは無い。

さて、地方創生である。我が国日本は海洋に囲まれ、狭いと言われるが北海道から沖縄まで実に3,000㎞あまりの距離があり、気候風土文化ともにまさに千差万別。 文明の都市部集中と対極にある地方の文化。「故郷は遠きにありて思うもの」とも言われるが、過度の一極集中が日本人の心をも過疎にしてしまっては元も子もあるまい。先日、 某講演会で著名な講師がこう呟いた。「ある地方都市に行ったとき、首長さんがうちの町は東京と同じレベルの整備をしており快適ですと言った。それは違うんじゃないの?」。 先生のおっしゃるように個性があるから魅力がある。その土地でしか味わえないものがあるから行ってみたいと思う。東京にはない地方の良さ、優位性を打ち出さなければ地方の存続はおぼつかない。

「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」

最澄の教えのとおり、誰にでもその人の役割があるのであって、地方には地方の役割が確かにあるはずだ。我々地方人は国土を保全し、食料や人材、エネルギーを都市部に供給してきた。 特に首都圏は東京オリンピック景気もあり極めて活発な経済活動が展開されている反面、過密と過疎が混在し今後の高齢者問題が重くのしかかってきている。本当の豊かさとは何か。 ものの見方考え方で世界観は変わる。これからは、都市と地方が役割分担をより明確に行い、集中と分散によるダイナミズムを発揮させることによって、 国際社会における日本のプレゼンスが保たれるのではないかと考える。これを実現するために、どの地域に居住しようとも物理的閉塞感を覚えることのなきよう、 まずは基本的社会基盤である道路網の整備をしっかり行うことが肝要だ。時間短縮と安全性、快適性の確保は、地方のみならず都市部からのビジネスや観光にも大きく寄与することができ、 国土の均衡ある発展に繋がる。地方を守り国は栄える。まさに道は国家なりである。

四万十川に育てられた彼の少年は、その後カツオ漁が盛んな土佐の一本釣りのまち中土佐町久礼に移住し、本場のカツオの旨さに仰天した。彼は調理師の資格を生かし、 カツオ伝道師として本物のカツオのうまさを伝えるべく活動している。人生とは実に面白い。まだまだ未知なる楽しみが地方にはあふれている。これからが勝負の時である。