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復興フラッグ

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年2月1日

福島県町村会長・新地町長 加藤 憲郎

 

高さ15mを超える大津波が新地町を襲ってから、もうすぐ5年の歳月が過ぎようとしています。

現在は、家を失った住民の95%が内陸の高台に移転を済ませて新たな生活をスタートさせております。住まいの見通しはつきましたが、 漁業に携わる皆さんは東京電力第一原子力発電所事故(以下、原発事故)による放射能汚染水問題等で、未だに試験操業の状態が続いています。しかしながら、町民の士気は落ち込んではおりません。それどころか、 逆に上向いていると感じる昨今です。その大きな要因は、全国の皆様方からの力強い応援をいただいているという実感です。

新地町が自衛隊に災害派遣要請を行ったのは有史以来、初めてのことでした。それほどに我が町は四季折々の自然豊かな美しい海と山に囲まれ、災害とは無縁が自慢の町でした。

岡山、福岡飯塚の部隊が震災発生の翌日に到着するやいなや、その一糸乱れぬ迅速果敢な活動は素晴らしいの一語に尽きました。行方不明者の捜索活動、支援物資の搬入、 避難所の炊き出し等の目覚ましい活躍に被災者や町民の誰もが驚嘆し、心から深い感銘を覚えました。

そんな中で原発事故が発生しました。20㎞圏内、30㎞圏内に避難指示が発令されました。近隣市町村の住民避難が開始されると、我が町が第一原子力発電所から50㎞離れているとはいえ、 町民の不安は高まる一方となりました。町民の動向を心配している時、隊長さんからはタイムリーに「町長さん、私達のことは心配しないでください。 危険が迫れば、自主的に避難しますから。」との力強い言葉がありました。行方不明者の捜索、想像を遙かに超える瓦礫の撤去を黙々と続けている姿には、一緒に活動していた消防団員も感動し、 自衛隊員は一躍町のヒーローになりました。自衛隊員が3か月程の任務を終えて帰る朝、沿道に多くの町民が集まりました。「自衛隊の皆さん、ありがとうございました! あとは自分達が新地町を守ります!」と書かれた横断幕を持った若者達、子供達が感謝とはなむけの花束を贈り笑顔で見送りました。

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自衛隊員との記念撮影

自衛隊員が復旧作業中に瓦礫の山の中から一ひと枚ひらの日の丸の旗を発見しました。このことが、復興の願いを込めて掲げた『復興フラッグ』の始まりです。

この『復興フラッグ』は、沿岸地区の全戸が流失の被害にあった釣師地区に掲げられました。復興のボランティア活動に従事していたライダーの一人が、 この旗を「新地町の復興フラッグ」としてインターネット交流サイトに投稿したことで全国各地のライダー仲間の知るところとなりました。

町では復興計画の中で、旗が発見された場所に防災緑地公園の建設を進め、植樹祭も行っています。全国からライダー達も植樹祭に参加し、 その後もライダー仲間の代表者が町を訪れ、「全国ライダー仲間が聖地として集合し、今後もボランティア活動を継続していきたいので、 防災緑地公園に復興フラッグを残して欲しい。」と4,563名の思いが込められた署名を受けとりました。

現地が工事中のため、現在は役場前広場の一隅に掲げられています。その復興フラッグの下には、週末毎に多くのライダー達が集まり記念写真を撮っている姿があります。 風雨にさらされながらの『復興フラッグ』も4代目となりました。

新地町でも、このフラッグの真意を後世に語り継ぎ、復興のシンボルとして保存していくことを決めており、ライダーの聖地としてのイベントを開催することを心に期しております。

町民一丸となり、「チームしんち」の合言葉を胸に刻みながら早い時期に復興を成し遂げ、これまで応援を賜りました全国各地の皆様には、 新しい新地町の姿を防災緑地公園の『復興フラッグ』の下で報告できるように歩みを進めてまいります。

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復興フラッグ4代目