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上峰段階~まち・ひと・しごと創生~

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月12日

佐賀県上峰町長 武廣 勇平

 

私達の住む上峰町は、県内唯一の宮内庁陵墓が示すように、5世紀には都紀女加王という国造が、また12世紀には鎮西八郎為朝(源為朝)が居城したとあり、 昔から住みやすい地域だったとされています。九州最大の筑紫平野の中心で九州最大の筑後川の運搬によって堆積した肥沃な土砂が拡大してできた沖積平野であり、 有数の穀倉地帯である佐賀平野は地震災害のリスクが日本一少ないと明示されています。

佐賀には「佐賀段階」という言葉がありますが、これは昭和初期にクリーク取水から電気灌漑に変わったことで、品種改良が進み、生産意欲が増すなど、佐賀農業の飛躍的発展を呼ぶものです。 上峰町も戦前約3,000人から戦後約4,500人と人口が増加し発展していきました。

さらに昭和40年代から昭和50年代には鉄道、高速道路や航空路の整備がはじまり、以降、元気な時代が訪れます。公共事業と企業誘致がその要因です。目に見えて道路がよくなり、 下水道は100%、高速道路も整備され、町内にも中核工業団地ができ、いろんな企業の工場があちらこちらにできまして、人口も昭和50年には約6,000人を突破し、 輸出が伸び産業が活性化し雇用が生まれる好循環ができました。

以降、町は「農工並進」を掲げ、働く場を整えることで人口が伸び続けていきます。昭和60年7,000人、平成元年7,500人、平成10年8,500人、平成20年9,000人と人口が増え続けてまいりました。 今年は9,500人で住民基本台帳人口移動報告を見ても66人の転入増加が確認されています。民間調査でファミリー世帯別の住みやすさランキング県1位の実績のとおり、 学校も子どもたちでいっぱいで今もまだ教室が足りません。高齢化率は佐賀県で2番目に低く、年少人口割合は極めて高く人口構成は名古屋市と同じ若い町です。推計ではこの傾向が2040年まで続くとされています。

しかしながら、これまで人口が減ったことがなかった本町でも、少子化や人口構造の変化によりこれから人口が減少していくことは避けられません。公共事業と企業誘致ではなく、 例えば農業や観光、あるいはその他のサービス産業等、潜在力のあるものを政府も伸ばすように求めており、本町は「日本版シティーマネージャー制度」で人的な支援を頂き「地域経済分析システム」で、 産業・人口・社会インフラのデータ分析を行い、主観に頼らない客観的な処方箋に基づく総合戦略の策定を始めました。

上峰町は、総面積は県で2番目に小さく(12.8k㎡)、人口密度が3番目に高く(1.47%)、半径1km内側に住みやすさの条件の全てをぎゅっと集積させたコンパクトな町です。 人口移動が多い結婚・子育て期の20代から40代の若い世代の方々や町外の方々に「住みたい」と思っていただけるようプロモーションを強化し、「子どもが主役」というイメージを確立し、かつ、 小規模自治体でしかできないプラスサムの「とんがった」事業を打ち出していこうと考えています。今あるものに新しい基盤を整備し、新規性が加わり、質が上がり、 関わる人の動機が飛躍的に高まる循環を生み出せる新たな「佐賀段階」がコンセプトです。

例えば、農業の分野での「佐賀段階」はFOEASと光BOXです。農地の流動化が進む中で、株式会社や生産法人、あるいは大規模化志向生産者のいずれにも求められる基盤整備を行う必要があると考え、 23年から26年までに地下水位制御システム(FOEAS)を全ての農地に整備しました。この基盤は水位を一定に保つことができます。つまり野菜作りを可能にします。

さらに、団地化をすすめて、これから「地方創生先行型」として、町内世帯全戸に対し通信端末を無償整備し、町内全戸の地デジテレビを結び、営農技術指導、 販路とセットとなった市場情報等を配信していきます。自宅の地デジTVが広報誌や地域内の掲示板になるイメージです。

また、集荷システムを光BOXを基盤に構築し民間と連携し、農家レストランやバイオマスで地産池消を進め雇用をつくり、住宅の提供をすすめ人口増に繋げたいと思っています。 光BOXは双方向の家庭教育光ラーニング、デマンド公共交通バス、行政情報、防災、介護、健診、健康づくり、雇用情報、子育て情報、議会中継等、多岐にわたる分野で活用できますので、 ぶどうの房のようにそれぞれに関連する雇用創出に挑戦し定住化に繋げ「佐賀段階」のまち・ひと・しごと創生をすすめていきたいと考えています。