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「利根の川風」…浪曲はこころのふるさと…

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月5日

千葉県町村会長・東庄町長 岩田 利雄

 

水と緑と歴史に彩られた東庄町は、昭和30年7月20日、神代村、笹川町、橘村、東城村の一町三村が合併し、誕生しました。

昔、この地域が東庄(東荘)と呼ばれる荘園であったことが、町名の由来であり、東庄町の誇り・財産は、たくさんあります。豊かな水をたたえた利根川と黒部川、 生息する希少な鳥コジュリン、東氏の居城とされた須賀山城址や東大社、諏訪神社、延命寺などの由緒ある社寺。天保水滸伝の史話を今に伝える遺跡や遺品。 古くから脈々と続く祭礼や四季折々の行事。そして、一万五千町民の交流と人情…。

東庄町の個性を一言で表すとしたら「人情に厚いまち」。私が、40年前に帰郷して真っ先に感じたのも、その後、町政を担う私をずっと支えてくれたのも、人と人との出会い、 結びつきでした。四方を大きな市に囲まれた小さな町が、様々な施策を次々と実現できたのは、町民の結束力があったからにほかなりません。

我が家の神棚には今でも、54年前、私が14歳の時に他界した父親の遺したラジオが置いてあります。子どもの頃このラジオからは、 父親の好きだった歌謡曲や浪曲がいつもながれていました。「浪曲は こころのふるさと」、私の心の中には、当時の歌謡曲や浪曲がいつもながれています。

町長に就任当初、東庄町笹川で「天保水滸伝」を唸ったのは、日本浪曲協会会長の三代目玉川勝太郎師匠でした。 今でもはっきりと覚えていることは、「利根の川風袂にいれて 月に掉さす…」の唄い出しに何度もアンコールと声がかかり、 先に進まなかったこと。「こんなに唄い出しでアンコールの声がかかったのは、笹川がはじめて」と勝太郎師匠が言われました。その後勝太郎師匠との再会は叶わなかったものの、 天保水滸伝の舞台、東庄町笹川を全国に広めて下さった師匠に感謝しております。

本年は、東庄町が誕生して60周年の節目の年を迎えました。

新しい目標や希望を見据えながらも、全国的な少子高齢化の波のなか、難しい舵取りを迫られる時代に入っています。しかし、そこで一番の力となるのは、人です。 ふるさとを大切に思う町民がいる限り、今後もどこよりも魅力的なまちづくりをしていけると確信しています。

7月20日の町制施行60周年記念浪曲会では、浪曲による町おこしを図る「大利根にぎわい座」の皆さんに協力をいただき、大入り満席の公民館大ホールで、玉川太福さん、 玉川奈々福さんに「天保水滸伝」を唸っていただきました。渾身の唸りに元気をもらいました。人情を語る浪曲、これからも町民のみなさまに浪曲を愛し、楽しんで聞いていただきたい。

町の「宝」、それは、何と言っても子どもたち。子どもたちが、すくすくと育つ町。今後はとくに、子どもたちの教育に力を入れていきたい。 子どもが少ない町だからこそできるユニークな教育で、子どもたちがどういう生き方を選び、世界のどこで活躍するとしても、「この町に生まれて良かった」と思える人づくりをすることが私の理想です。

大好きな東庄町。

何が本当に町民の皆さんにとって重要なものか、又、真のサービスであるかを見極めながら、さらに足腰の強い自治体の確立に努力していかなければならない。 今後も人の結びつきを強みとして、今、住んでいる人を大事に、「小さい町だからこそできるまちづくり」を信念として、人情味あふれる温かいまちづくりをしていきたい。

「利根の川風」…浪曲はこころのふるさと…、岩田利雄オフィシャルブログのタイトルでもあります。

一番大事なのは、人。心のふるさとと言うのは、原点に返ろうということ…。

一度、東庄町をお訪ねいただきますように。