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自然の恵み「水」を活かしたまちづくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年6月22日

自然の恵み「水」を活かしたまちづくり

鳥取県江府町長 竹内 敏朗

江府町は、全国でも人口の少ない鳥取県の中で、一番人口が少ない小さな町です。 

そして、中国地方の最高峰である秀峰大山(だいせん)標高1709m、連なる烏ヶ山(からすがせん)標高1448mからの山麓には、ブナの原生林を中心とした広葉樹林が広がっています。また、 標高700m以上は大山隠岐国立公園に指定されており、自然豊かな町です。その豊かな自然に育まれた豊富な「水」を活用したまちづくりを進めてきたところです。 

江府町は、町の中心部を一級河川「日野川」が流れ、大山、烏ヶ山の山麓からは、豊富な湧水が湧き出て三河川となり、この日野川に流れ出ています。 このような地形から「水(江)の集まる府」として名付けられています。

町内での「水」の活用例として、まず、中国電力により、平成8年に120万kwの揚水式発電所が完成しました。この発電所の建設によって、電源交付金、固定資産税など多くの財源が確保され、 地域の施設等が整備されました。また、平成14年には、農水省による農業用水の供給を目的とした下蚊屋ダムが完成しています。一方では、平成3年当時、企画開発課長であった私は、 この豊かな自然からの恵みを生かした特産物の開発と、地域活性化をどう進めるかとの議論を進めていたところ、町長から「水」を特産化してはとの指示を受け、商品化に向けて取り組みました。 早速、地元の特産品振興会の会員と試行錯誤を重ねながら、平成4年春に商品化することができ、「奥大山の水」の商品名で、鳥取県西部の米子鬼太郎空港の売店などで細々と販売を始めました。 地元の地酒屋で手作りのため生産量には限りがあり、特産品とは名ばかりで、わが町の豊かな自然のPR商品程度でした。その後、少しずつ販売量も増え、平成5年に水生産工場を建設、 平成6年に生産を始めました。このころ、町民からはガソリンより高い水商品を生産販売して大丈夫なのかとの厳しい意見もありました。しかし、工場が稼働した平成6年は、 全国的に記録的な暑さと水不足となり、本町にある町営のスキー場及び国民宿舎の利用でご縁のあった、高松市に10tの支援水を送らせていただきました。 

また、水にかかわり一番忘れられない出来事は、平成7年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」の救援です。本町は、 神戸市東灘区魚埼町協議会と戦争時の疎開を縁に交流盟約を結んで交流を続けていました。その魚埼地区が震災で大惨事となっている状況を報道で知り、 水工場の職員を緊急招集するとともにラインをフル稼働して、いつでも救援水を送れる体制を整えました。翌18日東灘区役所と連絡が取れ「水」が必要とのことから、早速に、 水10トンをトラックに積み込み、第一次救援隊が被災地に向け出発し、被災者を支援しました。翌日からも東灘区及び兵庫県へ約50トンの水の支援を行ったところです。その後、 神戸市東灘区役所隣接地に、震災記念碑が建立されることとなり、除幕式に町長が招待を受け、私が随行しました。そのとき、江府町の紹介で「命の水」の救援ボランティア代表、 とのアナウンスを聞き、感動に身が震えたことを忘れることはできません。このような経過を経て、住民の皆さんに水商品製造に理解を得、後押しをしていただけるようになりました。 

平成16年に私の転機が訪れました。当時の町長が、体調不良のため任期途中で退任されたため、8月に町長に就任することとなりました。就任後においても、氷製造の(株)グリーンステージ、 日本最大級のサントリー天然水奥大山ブナの森工場、(株)サンエスの水工場などの企業誘致ができ、自然の恵み「水」を活かしたまちづくりにより「奥大山・江府町」を広く周知できました。

今、全国で「地方創生」が叫ばれています。生き残れる自治体として、これからも地域の足元にある「宝」を磨いて、まちづくりを推進したいと考えています。