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日本を支え続ける地方

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年6月15日

福井県おおい町長 中塚 寛

 

頑張る地方を応援する「地方創生」が声高に叫ばれている。日本創成会議、増田レポートを契機に、ようやく本格的な地方創生に拍車がかかった。危機感とともに、大きな期待を寄せているところではあるが、 過去に幾度となく行われた一過性のものではなく、地方の持続的な活性化に繋がるよう、心から望んでいる。

しかし、「頑張る地方を応援する」とは何を意味しているのだろうか。 

そもそも地方は半世紀以上前から頑張り続けている。高度経済成長期、過疎が進行する状況にあっても、農業や、漁業で日本の食を支え、治山治水をはじめ、水源の涵養、温暖化ガスの吸収など、 公益的機能を有する山林を守ってきた。子供を産み、育て、教育を受けさせて、勤勉で優秀な労働力として輩出してきた。さらに、都市には建設できない原子力発電所によって電力を供給し、都市の生活と繁栄を支えてきた。

地方は痛みを伴いながらも、営々として、国と人々の生活を支え、頑張り続けてきたのである。 

ではなぜ地方は衰退に向かったのだろうか。高品質・高付加価値化に成功した日本の製造業は、生産の効率化と連携の必要から、企業と人が集中し、新たな産業と投資を喚起する好循環を達成した。 一方で、過疎化する地方の農林水産業は、技術革新や効率化から取り残され、人口減少とともに、時代に即した社会資本整備が遅れ、民間参入に必要な高速交通や商圏成立が困難となり、他の産業育成も進まなかった。

さらに、公共サービスを民営化し、市場にできることは市場に委ねる「官から民へ」の政治の流れによって、その維持も危うくなっている。まさに都市とは対照的な悪循環である。 

しかし地方には日本を支える重要な文化が残っている。それは、人と人との濃密な人間関係であり、支えあう絆の力である。本来、社会的共通資本であるべき教育、医療、介護、防災、道路、公共交通など、 都市との不均衡が存在する中で、生活を支えあっている。しかも、社会を俯瞰し、個々の責任と役割を果たしている。税や料金の収納率や投票率などが高いのもその表れである。

一方、都市部での人間関係は極、狭い範囲でしか成立せず、「地域社会」の概念も存在しにくい。よって、役割と責任の認識が困難となり、匿名性も相まって、規範意識や抑止力が低下する。 結果、情緒的、衝動的行動など、負の連鎖が生じ、モラルレス、犯罪の多発、さらに社会性の欠如につながる。仮に、都市においてコミュニティが再構築されれば、様々な課題は少なからず解消され、経費削減につながるだろう。 

急激な人口減少は日本の生産性や社会制度の持続可能性にとって、喫緊の課題である。これ以上、出生率の低い都市に若者が集中すれば、加速度的な減少が進む。もはや、急激な人口減少を止められるのは、 地方への若者移住しかない。豊かな自然環境や人間関係の中でこそ、バランスのとれた人材が育まれる。

このように地方が、国を支える好循環を得るためには、定住人口の増加が欠かせない。地方の人口増によって中山間の地域資源を有効に活用する創業が喚起され、公平であるべき社会資本の整備が進めば、 新たな投資が生まれ、日本全体の生産性の底上げも可能となる。 

よって、地方は広域的な連携も視野に入れ、持続的好循環を生み出す自立策を模索しなくてはならない。

しかし、移住の促進は、地方の頑張りだけでは限界がある。国による主導的かつ抜本的な政策発信によって喚起され、地方の独自性と多様性を活かした政策によって実現、定着する。官公庁や大学、 企業などの地方移転を喚起する仕組みづくりなど、国が本気度を示すべきである。 

省みれば、国を牽引する都市の繁栄に躍起になるあまり、一極集中の是正や社会的共通資本の公平性など、七割もの国土に暮らす、少数国民の自立への配慮を欠いた積年の政策が、今、 日本の様々な課題となってはいないだろうか。

一票の格差に揺れる昨今、民主主義の本質を振り返るのもまた、重要なことである。