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初心忘るべからず

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年4月6日

徳島県勝浦町長 中田 丑五郎

 

~あゆみ~

平成18年2月5日に町長に就任して3期目の1年が過ぎようとしている時期を迎え、様々なことが思い起こされます。

私は、昭和22年に生を受け、私の名「丑五郎」は、県下三大美林の一つと称される勝浦町立川で林業を営んでいた祖父の名前からいただきました。

平成18年に町長選に初当選して以来、3期連続無投票で町政運営に取り組んできましたが、私の父森蔵も、林業が町の主要産業として栄えていた昭和34年から勝浦町長として3期連続で務めたことを思うと、 政治の道を志したのも、父の背中を見ているうちに自然と父親の血を引き継いでいたのでしょうか。

私が町長選にはじめて立候補した平成18年1月は、まさに「平成の大合併」が声高に叫ばれている頃であり、勝浦町も近隣市との合併協議を行ってきましたが途中で破綻し、町政は混乱を極めていました。 当時、私は助役として町政運営に携わっておりましたが、町長に当選してもなお批判がよせられるなど、大変厳しい時期であったことが今でも思い起こされます。

町単独での財政再建を行う舵取り役を任された私は、職員の人件費削減をはじめ、町立保育所の民間移管による業務の効率化、借入金の減額による財政健全化など、 選択と集中による「行財政改革」に邁進しました。その結果、実質公債費比率は平成18年に23.4%と県下ワーストワンでしたが、平成25年には8.6%まで大幅に改善することができました。

今後も、引き続き行財政改革に全力で取り組むとともに、平成23年度に策定した「勝浦町総合計画」の重要施策を着実に推進してまいります。

~愛する郷土かつうら~

勝浦町は、昭和30年3月1日、横瀬町と生比奈村が合併し、誕生しました。徳島県の南東部に位置し、面積69.80平方キロメートル、緑なす四方の山々、山裾に開けた黄金色のみかん畑、 平野に広がる田園風景、そして町の中央を勝浦川の清流がゆったりと流れる自然豊かな中山間地域であります。また、開創1200年を迎えた四国八十八箇所霊場の第20番札所「鶴林寺」をはじめ、 江戸末期に始まり国の重要無形民俗文化財に指定されている阿波人形浄瑠璃「勝浦座」が活動するなど、信仰深く、郷土芸能が息づく町並みであります。

勝浦町はみかん栽培の発祥地と言われ、この恵まれた大地で育った阿波みかんは、酸味と甘みのバランスがとれており、貯蔵することで奥深い甘みを感じることができる「勝浦貯蔵みかん」として、 全国各地に出荷されております。

また、忘れがたい東日本大震災の翌日である平成23年3月12日に、県下15番目となる道の駅「ひなの里かつうら」をオープンいたしました。ここでは、勝浦の農産物が購入できる産直市場「よってネ市」が、 連日賑わうとともに、人形文化交流館では、毎年、全国に春を告げる「ビッグひな祭り」が開催され、高さ8メートルのピラミッド型ひな壇を中心に、 約3万体のひな人形が会場を彩る町の一大イベントとなっております。

この「ビッグひな祭り」は、現在、千葉県や和歌山県などにひろがりをみせており、また、来年リオデジャネイロで開催されるオリンピックに合わせ、 現地で日本の文化を伝える催しを行う計画も進んでいるところであります。今や道の駅全体が、町の“産業・文化の交流拠点”として欠かすことのできない場所になるとともに、 世界に向けた「ひな人形」の魅力発信拠点として注目されております。

~これからのまちづくり~

本年は、勝浦町が発足して60周年の記念すべき年であり、これまで先達が築き上げてきたこの勝浦町を、次の世代にしっかりと繋げていくことが大きな使命であると考えております。

国では、地方が成長する活力を取り戻し、人口減少を克服するため「地方創生」を施策の柱として掲げており、国が本腰を入れて地方創生に取り組むこの時期を逃すことなく、 人口減少対策や定住促進対策など、「勝浦町の創生」に向けた施策を積極的に講じていく必要があります。

そのためには、初心を忘れることなく、公平公正な町政運営につとめ、安全・安心で“元気なまち かつうら”の実現に向けて、これまでの先例にとらわれない斬新な発想で、 積極果敢に行政課題に挑戦してまいりたいと思います。