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町民とともに日本一元気な町を目指して

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年12月8日

和歌山県九度山町長 岡本 章

 

九度山町は和歌山県の北東部に位置し、県庁所在地和歌山市に車で約1時間、大阪都市部へは電車で約1時間とアクセスも便利であり、 南は真言宗の開祖弘法大師が開いた高野山を有する高野町と接する人口約4千7百人、面積44.12k㎡の非常に小さな町です。町内には弘法大師ゆかりの慈尊院や丹生官省符神社、 高野山町石道が世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれ、また、日本一の兵と呼ばれた真田幸村公が、大坂の陣に出立するまで14年間、人生で一番長い歳月を過ごした地でもあります。 秋には日本一の品質を誇る特産品「富有柿」が京阪神を中心に好評をいただいております。

私は四人兄弟の三番目に生まれました。父の教えは「義務教育終了後は自分の力で生きていくように」。それで私は和歌山市内の企業に就職し、働きながら勉学に励み、 所属した軟式野球では県選抜メンバーに選ばれたものです。まだ幼い頃から地元を離れた私にとっては辛いとき・苦しいとき、生まれ育った九度山がまさに心のふるさと、よりどころでありました。

約8年後、社会人を経験し九度山に戻りましたが、地元の変わりように驚いたのを今でも鮮明に覚えています。当時まだ人口も多かったのですが、 元気・活気が無くなっている町の将来に危機を感じて、「生まれ育った九度山をどうにかしたい」その一念から町議会議員を経て現在の職に至っております。

さて、私が町長に就任した平成18年、町財政は厳しく市町村合併も不調に終わっており、町民全体に閉塞感が漂っていました。 私の公約は町民と膝を突き合わせ「知恵と対話によるまちづくり」を進めることでした。町内各地で懇談会を開催して町民の声を聞き、その成果として、 特産品「富有柿」をテーマとした「大収穫祭in九度山」を開催、姉妹都市長野県上田市との交流による新産業の創出として真田幸村公が伝えた信州そばの復活を目指し「そば処幸村庵」を開業。 高齢者の交通対策として民間タクシーの活用、子育て世代の定住を目指した町営住宅の建設や民間アパートの家賃補助、高齢者が元気で長生きでき、 かつ国保・介護保険の利用抑制のため介護予防教室を実施するなど様々な対策を講じて参りました。

また、私が長年暖めてきた政策として「観光を新産業に」との想いがありました。既存の観光資源に加え、商店街に2箇所の記念館を開館させるとともに、 住民ボランティアにより休憩所を運営してもらうなど官民一体となった取り組みを徐々にではありますが着実に進めております。

本年4月には道の駅「柿の郷くどやま」を観光客対策のみならず、町民の買い物難民対策、そして防災の拠点として整備致しました。 加えて平成28年のNHK大河ドラマ主人公が本町ゆかりの真田幸村公に決定しましたが、この背景には全国の真田氏ゆかりの自治体が連携し誘致活動を行ってきた努力の賜であり、 この好機を逃すことなく地域活性化に取り組んで参る所存であります。

このように2期8年をあっという間に駆け抜けて参りましたが、初心を忘れず取り組んでいるのは財政力の乏しい町だからこそ常に知恵と元気を出す事。そして町民目線を忘れない事です。 町長の熱意は必ず町民に届きます。いや必ず届くと信じています。日本全体の人口が減少する現在において町をいかに維持していくか、ほとんどの自治体が、そして首長がその問題に直面しています。 個々の自治体の問題ではなく国が本腰を入れて取り組まなければ地方はそして日本の将来は危うい状況であります。

しかしながらどのような状況であっても住民サービスの最前線である私達首長は町民に対し町の未来であったり目標を示すことで夢や希望を与える存在でなければならないと自戒しているところであります。 

今の私の目標は、「日本一元気なまちを目指す」です。大きな目標ですが、町民と一体となって知恵を出し汗をかくことが必ず将来の九度山町を形作ると信じまちづくりを進めて参ります。