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「小さくてもキラリと光る村」をめざして

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年11月3日

新潟県関川村 平田 大六

 

私は2001年12月、関川村長に就任させていただきました。飲料製造販売の仕事をしてましたので、行政の経験はありません。

村長になって、行政と企業のちがいを体験しました。(1)行政は予算を重視しますが、企業は決算重視で過程は自由です。(2)企業では「お言葉を返すようですが」「社長、それではダメです」等が普通で、 行政ではめったにこれがないので、リーダーは孤独になりがちです。(3)行政では毎春多くの人事異動がありますが、企業でひんぱんにこれをやったら仕事がすすみません。異動後に見てまわりますと、 はじめての仕事なのに、その職員がベテランのように住民に接していて、おどろき感心しました。

2003年春、関川村は自立を選びました。合併のつもりで協議に加わりましたが、新市のビジョンがよく見えない間に期限がせまり、私は7000人の村民を合併へとリードしてゆく自信がありませんでした。 以来、「自立だから」の合言葉で村民はがまんし、理解し、協力し、今日に至っており、感謝しています。

関川村の基幹産業は農です。本年産米の割当は4700t、910haです。温泉が5ヶ所あります。えちごせきかわ温泉郷で、民宿も含めて18軒、ひなびた宿と地元産米のゴハンなどに人気があり、 昨年は3万8000人の入り込みでした。また、平成の名水に選ばれた清流荒川や、18世紀の風情を残す米沢街道の家並み、飯豊連峰、歴史・文物・人情などが人々に喜ばれているのだと思います。

1954年、二村が一つになり関川村が発足しました。先人の方々が「村づくりは人づくり」をかかげ、村民もこれにむかって進んできました。1988年、 村の若者たちによって創造されたのが「えちごせきかわ大したもん蛇まつり」です。大蛇伝説からのヒントで、このパレードは村の象徴のひとつです。まつり創成期に、頭を使い汗を流した群像が現在、 村の中枢や地域のリーダーになっています。また、2004年から国際ボランティア学生協会(IVUSA・90大学2200人の組織) の学生が来村をつづけています。自立している小さな村を応援したいということで、 地域に入って活性化を提案したり、イベントを助けたりしてくれています。学生の提案で本年、村と協定を結びました。村長がかわっても村との関係は永遠、と学生は期待しています。

大小54の集落があり、9つの地域にわかれてそれぞれにコミュニティがあります。地域活動や防災での単位にもなっていて重要です。もし「道州制」の波をかぶっても、沈まない関川村にしておきたいからです。

面積は300k㎡あります。半分は国土で、森林や山岳地帯です。村の周囲は92㎞あります。私は道楽で山登りをしていて、この村境を踏査するのに30年かかりました。全周した村民は私一人ではないかと、 私のツマラない唯一の自慢です。私は23歳で村へUターンし、青年、消防、PTA、地域の組織へとさそわれました。このつながりが私の大切な財産になっています。

その頃私は①物の豊かさをどれだけ心の豊かさで置きかえることができるのか。②資源を商品へと展開させてゆく各過程での付加価値を、 村内にとりこむことができないか。③「関川村出身」ということで優位になれる人づくりを。などと考えていたことがありました。今日、いくらか通用するかもしれません。

半世紀前の1967年8月28日、羽越豪雨による大洪水を村民は経験しています。34名の殉難者、住民の8割が影響を受ける大災害でした。全国の方々から、救援・お見舞・激励をいただきました。 その恩義を村民は忘れないようにしています。小中学校の郷土教育に、古老たちが学校へ招かれこの話もしています。

「小さくてもキラリと光る村」をめざしています。このフレーズは一期目の選挙の時に私が考えました。光っているのは村長の頭だけではないか、という村民の苦情も私は知ってはいます。 来月12月、81歳になります。

人口6437人、面積299.61k㎡(町村長手帳資料編2014)