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基礎自治体の責任と気概

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年8月25日

三重県菰野町長 石原 正敬

 

私が人口4万人を擁する菰野町の町長に就任して早くも7年と4ヶ月余りが過ぎようとしています。全国には数10年以上務めてみえる市町村長も散見されますので、 まだまだ駆け出し町長の域を出ていないかも知れませんが、この間を振り返ると、(1)自由民主党中心から民主党中心に、 そして再び自由民主党中心にと政権交代が起こったこと、(2)金融工学的な資本主義の破綻によるいわゆる「リーマンショック」が起こり、世界的な金融恐慌が生じたこと、(3)東日本大震災が発生し、 地震や津波といった大規模な自然災害に加え、福島原子力発電所の事故が発生したことが、日本国レベルでの大きな出来事として私の印象に残っています。拙稿では、 これら印象的な3つの出来事とこれからの基礎自治体のあり方について、個人的見解を申し上げたいと思います。

まずは、政権交代については、小選挙区制度の影響もあり、「地滑り的現象」が繰り返されましたが、理想と現実が混同された空理空論が喧伝され、 結果として地に足の着いた議論が全くと言っていいほど行われませんでした。特に、財政的裏づけや総合的見地を欠いたマニフェストなるものに対する選挙における妄信は、 基礎自治体を運営する上やその選挙の際に、民意の過度な膨張を誘発し、無責任な統治が行われる一因となったことは残念なことだと感じています。 耳当たりのよいフレーズ(例えば、「減税」、「グレートリセット」など)が、安定的かつ中長期的な行政運営にとって、有害無益だということは論を俟たないと思います。

次に、「リーマンショック」については、多くの基礎自治体関係者は、金融工学的な資本主義と基礎自治体との関連性を意識することすらなかったにも関わらず、 雇用状況の急激な悪化や税収の大幅な減少など基礎自治体にも大きな影響が及ぼされ、改めて金融工学的資本主義や経済のグローバル化の脆弱性を認識する機会となりました。そもそも資本主義は、 人間の欲望と密接に関係していることから、経済発展の原動力になることを否定できませんが、過度な依存は基礎自治体の住民生活の安定性を揺るがすことを知覚しなければなりません。 そういう観点から申し上げると、多額の補助金などを用意して大企業を誘致することが、有益なことかは再考する必要があり、 まことしやかに流布されて来た「自治体間競争」なる言葉にも疑義を呈さなければならないでしょう。

最後に、東日本大震災については、未だ多くの被災自治体及びその住民の皆さんが、厳しい生活環境に身を置かれていることに改めてお見舞い申し上げます。 我が菰野町も発災直後から被災地への職員派遣を積極的に実施しており、現在も石巻市と相馬市にそれぞれ1名の職員の長期派遣を継続しています。被災地の復興状況や原子力発電所の事故などを鑑みた場合、 この未曾有の大震災にはまだまだ課題は山積していますので、結論めいたことを申し上げるのはいささか性急に過ぎるかも知れませんが、 少なくとも災害頻発国における災害対応の主体である基礎自治体の責務の再考を促されました。その中の一つに、大規模災害時における国と基礎自治体や基礎自治体同士の連携強化を再認識し、特に、 地方分権や道州制の文脈で語られた都道府県の広域連合を取り巻く議論では、その連携強化を弱め、国土保全の観点から大規模災害時に全く機能しない危険性を有していることを指摘して参りました。

以上3つの出来事を取り巻く問題は、場合によっては、基礎自治体の権能を超えたものもありますが、全く無関係なものでもありません。「社会的伸び代」の少ない厳しい時代(=人口が減少し、 経済的には低成長時代)の中、基礎自治体は中長期的な立場から「住民皆さんが当たり前の生活を当たり前に送ること」が出来るよう、時には「大衆に反逆」しながらその責任を自覚し、 気概を示すことが求められていると確信しています。