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町制60週年を迎えて

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年1月6日

岡山県町村会長 岡山県久米南町長  河島 建一

 

私が、町民の皆さんにお世話になり久米南町に勤めた昭和41年4月では、人口8,736人、世帯2,140戸であった。平成25年(昭和88年)4月には、人口5,301人、世帯2,270戸となり、3,435人減少、39.3%の減となった。 面積は78.60平方キロメートルの中山間地域で、岡山県のほぼ中央部に位置した町である。

本町は昭和29年4月、1町3村が合併して今年が町制施行60周年にあたる。

出土した弥生時代の石斧や銅剣から郷土の人の営みは遥か2千年以上も前から始まっていたことが判る。悠久の歴史があり豊かな自然と文化の薫る町である。

まず歴史的には中世の偉人である浄土宗の開祖・『法然上人』は長承2年(1133年)4月7日に本町で生まれ、その誕生まします聖地に、建久4年(1193年)、 熊谷次郎直実が建立した誕生寺は国指定重要文化財である。流れゆく歴史の中に壮美な姿で鎮座する御影堂(みえいどう)は平和な時代を温かく見守ってくれる。 さらには誕生寺に接した笛吹川へ歌碑115基を配した歌碑公園も、一服のできる癒しのある場所である。

戦後の混乱期に生まれた小さな力は、過去から現在そして未来へと。町自慢の『川柳文化』は、昭和24年にわずか4人で『弓削川柳社』が発足し、苦境の時こそユーモアあふれる川柳で心に灯りをともそうと、 『紙と鉛筆さえあれば、だれでも・どこでも・いつでも』できることもあり町中に広がった。昨年はー弓削川柳社創立65周年ー第65回西日本川柳大会が10月に開催された。 町民が誇れる地域文化である川柳を通して学校と地域が連携し、児童生徒・教職員を対象に、川柳教室や家庭内の会話でつくる親子川柳など地域の一体感を醸成している。 平成22年には国民文化祭「文芸祭川柳大会」に全国各地から870有余人が集い、町民あげて成功裏にすすめることができたことは歴史伝統と町民力にほかならないと思っている。

『日本一の川柳の町』である本町では、川柳の小径・公園に291基の句碑を配し、春の桜・つつじ・かっぱ横丁など散策を楽しむことができる。

こうした文化的な環境を享受し、町民生活の更なる向上と文化の薫るまち久米南を目指して、平成23年に久米南町文化振興条例を制定し、町民皆さんとともに連携と協働によるまちづくりを行い、 新たな文化の創造と次世代への継承を決意した。

豊かな自然に映える農山村の原風景として、日本棚田百選に2地区、ため池百選・農家民宿おかあさん百選など認定された。 第一次産業では水稲・ニューピオーネをはじめとした葡萄・ゆず・きゅうり・苺・アスパラが主体で、これらのうちから6次化したものも多数あり、商品開発も続いている。

晴れの国岡山は災害の少ない地域として本町も同様である。民間の事業者がゴルフ場を予定していた遊休地へ新たに民間投資によって大規模太陽光発電施設が建設されている。 その計画では一般家庭1万世帯分の電力を賄うもので、既にその一部が稼働している。それに先駆けて未利用となっていた公有地を有効活用して一般家庭220世帯分の太陽光発電施設が稼働している。 地球環境に優しい電気をつくる『太陽光発電のある町』である。

岡山県下の自治体15市10町2村のうち人口が一番少ない町であり、超少子高齢化の社会的な大波を受けている。財政力も脆弱であるが、 この小さな笹舟を前進させるためにこれまでにIT環境の整備・文化センター・図書館・学校施設整備・上下水道の整備・福祉の充実等に取り組んできた。特に定住人口を増やす施策が喫緊の課題である。 分譲宅地造成・若者限定の町営住宅の建設・新規就農住宅(ベースキャンプ:就農のための自信・目的を達成する数年間滞在)などに加えて、 空き家の利活用の情報提供・民間の活力を生かし障害者を含めた雇用の創出などのソフト面拡充にも努めている。しかし、今後も道州制・TPP・社会保障等々の多くの諸課題が地域住民生活に対して及ぼす、 その影響を心配している。総ての地域・全ての家庭・凡ての人々が、次世代へ引き継いで行かなくてはならないと考えている。

川柳『身を削る 何かいとわん 親心』