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学研都市の奥座敷「茶源郷 和束」

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年6月10日

京都府和束町長 堀 忠雄

 

和束町は京都府南端に位置し、人口は現在わずか4500人余りの小さな農山村ですが、古く平安時代には奈良の興福寺の荘園となり、和豆香杣乃荘や和束荘などと呼ばれていました。 その後は江戸時代になって皇室直轄の禁裏御料地となり、特にお茶についてはその栽培の歴史は古く鎌倉時代に遡り、(平安時代から始まったとする説もあります。)現在では宇治茶の主産地として広く世界にも 発信しています。

しかし近年、町の人口は減少の一途を辿り、本町の町づくりもその環境は年々厳しく、特に農業における後継者問題はより深刻化しており、これからも宇治茶の主産地として持続可能な農山村社会の構築を 考えたとき、この問題は非常に大きな課題にもなっています。

今月もまた和束町の人口は減少しました。1年前から、いや10年前から続いています。

私たち日本人は本来「農耕民族」ではなかったのでしょうか。また「結い」の文化を大切にし、お互いが助け合いの精神により生活をしてきたのではなかったのでしょうか。今、 改めて私は社会に聞いてみたいと思います。今日の社会は大陸の強い影響を受け社会に対する価値観が多岐にわたり、また大きく変化する中で、合理的や打算的な考え、経済や利便性が優先され、 自己中心の社会になってはいないだろうか。そのことが更に、若者の農業離れや農村離れになっているとすれば、日本の将来にとって大変深刻な問題であり、私は一抹の不安さえ感じます。 「アベノミクス」の三本の矢の一つである国の成長戦略の農業施策に期待をしたいと思います。

和束町ではこれまで、宇治茶の主産地としての生業景観の茶畑や、豊かな自然に恵まれた農村空間を活かし、元気で、生きがいの持てる活力と交流の郷「茶源郷 和束」の実現を目指して、 広く住民の皆様の参加を頂き、また企業や大学とも連携しながらまちづくりを進めてきたところであります。

このように、これら農村空間は農林業だけでなく、まさに日本人の魂を育む場として生活や教育・福祉をはじめ、いわゆる温泉ではなく緑泉として療養や健康づくりの場など多面的な機能を有しています。 私たち65歳からの時代をどう生きるかを考えたとき、農村空間の機能を如何に高め、充実させていくかなど、これからの人間社会との関わりについて、より広く、深く追求していくことが非常に重要なことだと 考えます。私はかねてから、人間生活を豊かにするための研究はもちろん大切なことですが、人間が人間らしく生きるための研究も更に重要なこととして、機会ある毎に「文化学術研究都市」構想の検討と併せて 「文化学術研究農村」構想の必要性についても強く訴えてきたところでもあります。

今、正に本町が位置する相楽地区の西部地域において民間活力導入を旗印に「関西文化学術研究都市」が進められており、是非この機会にこれら成果を周辺農山村地域にも反映させ、「農」ある都市開発など 近隣の農山村の町づくりとも融合した学研農山都市の開発こそが必要ではないかと考えます。

本町では早くから豊かな自然と茶畑に囲まれた〝和束緑泉.での人生豊かな生きがいの持てるふるさと「茶源郷」を目指した町づくりを進めており、是非この機会に学研都市の奥座敷「茶源郷 和束」として 「都市」と「農山村」がお互いに融合し、補完し合える新しい「農山都市」の構築をこの相楽地域で実現できればと考えています。さらにこの地域は日本の中心に位置していることから、 今後将来に向かって日本の国が「瑞穂の国」として復活し、そして脈々と発展していくためにもその源流になれればと考えています。

私は農山村の首長として、誠に僭越ながら、農山村の発展なくして日本の発展はないと考えておりますので、是非この機会に全国各地の農山村地域のそれぞれの特色を活かした町づくりに対し、 更なるご理解とご尽力を賜れれば大変幸せに思います。