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「元気・交流・未来へ」

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年9月24日

徳島県町村会長 徳島県東みよし町長 川原 義朗

 

東みよし町は、平成18年3月1日、旧三好町と旧三加茂町が合併して誕生しました。

人口約1万6千人、総面積122.55平方㎞のうち可住面積26.88平方㎞という典型的な中山間地域です。四国のほぼ中央部に位置し、4県の各県都まで1時間 余りといった地理的条件にあります。

町の中央を「四国三郎」吉野川が流れ、北に阿讃山脈、南には四国山地の急峻な山々が連なり、豊かな水と緑に恵まれた地域です。また、町の中心地には、 国の天然記念物に指定された樹齢千年を超す「加茂の大クス」がそびえ立ち、その威風堂々とした姿は町のシンボル的存在として住民に親しまれています。

平成12年には、徳島自動車道の開通に伴って吉野川ハイウエイオアシスを開業、スマートインターチェンジも開設され交通の便も向上し、将来に向かって 伸びゆく可能性も秘めた町でもあります。

私は、旧三加茂町時代から引き続き町政運営に携わってまいりましたが、時代は地方分権、真の地方自治が叫ばれる中、国の三位一体改革による地方交付税や 補助金の削減、社会保障費の増大、さらには長年の公共事業重視型行政による莫大な負債など、行財政改革断行が不可避な状況にありました。

東みよし町長就任直後より、行政改革推進プランの策定にとりかかり、住民、識者で構成する行政改革推進委員会の意見を踏まえ、定員管理や事業の見直しなど 緊急性をもって精力的に進めてまいりました。地方分権に即した町政運営を行うには、これまでのように国や県に依存した画一的な施策や財政運営から脱却する事が 必要であり、時代の流れを的確に読み、弾力的に対応できる職員を育てていかなければなりません。そのために「職員頑張る手引き書」を作成、経費削減の 指針を示すと共に具体的項目を指示、コスト意識の醸成を図っております。

町づくりは人づくりとよく言われますが、私は職員に対して「聞き入れ認める」をモットーに、自ら考え行動する職員には可能な限り裁量範囲を広げ 業務遂行させております。

そんな中から自らを「特命係長」と命名してはばからない職員が出現、町づくりプロジェクトチームも頑張っており、職員の意識が変わり始めたという事を 実感しています。今後はこうした職員が周囲に影響をおよぼし組織全体のスキルアップ向上に繋がればと期待しております。

少し自己紹介をさせていただきますと、私は昭和24年生まれ、10歳の時に昭和の合併で三庄村から三加茂町に。高校、大学ともに建築科を専攻。在阪の、 建設会社に就職。1年後結婚するが、50日後に父が他界し帰郷。24歳で建設業と生コン会社の社長に就任。以来、苦しみながらも高度成長期に助けられ25年間無事経営、 子供3人もそれなりに成長した。平成7年に教育委員長に就任、これが後の町長選挙出馬への要因となった。固辞しつづけたが、投票日50日前に決断し立候補。 当選はしたものの、行政においては ずぶの素人、課題山積に悪戦苦闘の上に構造改革で、就任後の2年くらいは記憶がない。町長職もすでに14年目、体力勝負と 感じながらストレス解消は孫とのひととき。

合併以降、行財政改革に精力を傾注した6年間でありましたが、国内外の諸情勢を見ますと、さらに困難な近未来が予想されます。

しかしながら、改革一辺倒では町が発展し良くなることはありません。改革の一方では、住民が元気と活力を生み出し、未来への希望が持てる行政を目指すことが必要です。

本町では、将来への基盤づくりとして、全世帯への光ファイバーの引き込み、大学4校との連携、西日本を中心にした各種スポーツの合宿、にし阿波観光圏での 体験学習、韓国陰城郡との交流事業を進めながら、その中で将来を担う人材育成を図っております。

地方分権の進展、多様化する住民要望に応えるため「元気・交流・未来へ」を基本理念に住民本位の町政を目指し、協働のまちづくりに全力を傾けてまいりたいと 考えております。