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旧山陽街道宿場町 矢掛町

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年7月23日

岡山県矢掛町長 山野 通彦

 

矢掛町は、岡山県の南西部に位置し、人口15,200人を擁し、面積90.62平方キロ、瀬戸内海気候に属し、温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、 災害の少ない住みやすい町です。 

歴史は古く、奈良時代に右大臣として活躍した吉備真備公ゆかりの地であり、江戸時代では旧山陽道の宿場町として人・文化・産業などの要衝として 殷賑を極め、往時の本陣・脇本陣の双翼が国の重要文化財に指定され、さらに健全な状態で旧姿を留めているのは全国でも唯一矢掛町のみ。 天璋院篤姫が江戸へ嫁ぐ際、当本陣に止宿された文献が数年前発見され、耳目を集めました。 

こうした歴史的資産が今なお現存し、深い歴史と多様な文化を湛えた重厚な町として、平成の大合併でも単独の路線を選択し、木目細やかな町づくりを推進しています。 

しかしながら、少子高齢化社会の到来により本町でも深刻な人口減少が顕著で、平成22年度には過疎地域として指定を受けた経緯があります。爾来、 この過疎指定を前向きに受け入れ、過疎債事業を積極的かつ有効的に活用し、多元的な事業を推進しています。 

私が平成18年に就任して以来、まず人口増を伴う少子化対策が、喫緊の課題と捉え、乳幼児医療費の助成や保育料の軽減、更には若者の定住を目指す 住宅団地の造成など、ソフトハード両面から対策を打ってきました。特に昨年度からは若者を対象に定住をされる方に新築助成金を120万円支給する制度を 創設したところ、多くの町外の方が町内に移住をして来られており、一定の成果は上がっています。  

産業振興対策としては、企業誘致が行政基盤の根幹である財政の観点からも、増収に繋がることから、早くからトップセールスを展開し、 リーマンショック以後の景気の停滞時期の中でも、着実に誘致を進め、安定行政への道のりを歩んでいます。 

また環境対策としては、個人住宅用の太陽光発電設備への助成を国県と共に進め、役場や文化施設並びに各学校に太陽光パネルを設置するなど、 設備の充実に努めています。加えて、電気自動車を早くから導入し、今年度は7地区ある公民館に1台ずつ三菱自動車の電気自動車ミーブを配備したところです。 このこともあり、先日三菱自動車の益子社長がわざわざ当町までお礼に来られ、地域経済の発展や町の特産品について、会談をしたところです。 

また、予防医療の充実、健康づくりによる介護予防・福祉の充実も就任当時から、積極的に推進しており、特定健診の受診率の向上が、 町民の健康維持の第1歩と捉え、推進員を委嘱し、戸別訪問により健診を訴えていきました。その結果、健診の受診率は県下でも上位で毎年推移しています。 

教育行政では、早くから電子黒板を全教室に、また生徒用のパソコンを180台購入配備し、授業で生徒全員が利用できるよう、教育環境の向上を推進しています。 加えて、1中学校7小学校の耐震化並びに大規模改修も完了しており、安全安心して教育を受けることが可能となっています。 

また昭和57年から造成を続けてきた総合運動公園も間もなく完成します。フットサル兼用のテニスコートや、子ども広場など整備を進め、 特に全国で初めて多目的グランドにLED照明を設置することにしており、話題となっています。  

しかし町づくりの基本は、協働のまちづくりです。当町でも、数々の団体や個人がボランティアで役割を担って下さっています。特に、 当町を東西に横断する一級河川である小田川の河川敷は、県の浚渫などで何年かに一度、雑木は伐採するものの、数年すると元の木阿弥となっていました。 そこで、最初の伐採は当町が県費で行い、その後の維持管理や草刈りは、町が購入した機械を活用し、地元の住民がボランティアで実施するというスタイルが、 ほぼ全域で定着し、今では以前と見違えるほどきれいな河川に生まれ変わっています。協働のまちづくりの成功例と言えます。

こうした人づくりが町づくりという観点からも、町民一人ひとりが明るく楽しく積極的に町政に関心を持ち、できることは町民自らが実行する 町づくりを目指すことで、矢掛町という町が燦然と輝く町になるものと期待しております。

再来年、平成26年(2014年)、合併60周年を迎えます。今後も「さしさにあふれ いてきで んきなまち」の実現に向け、 住民と共に更なる発展を目指し取り組んで参ります。