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「水」行政と取り組んで40年

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年7月16日

「水」行政と取り組んで40年

愛知県町村会長 愛知県設楽町長 横山 光明

設楽町は、愛知県の東北部に位置し、東三河地域の中央を流れる一級河川豊川の水源の町となっており、総面積は274k㎡で林野率が約90%、 人口は5,800人で65歳以上が41%を占める過疎の町であります。 

昭和30年代の旧設楽町の人口は約15,000人で、当時は産業としての木材生産や水田、畑作農業も盛んに行なわれておりましたが、昭和40年代に入って、 林業の衰退が始まるとともに多くの若者が設楽町を離れていきました。

私は、昭和46年に設楽町の職員となりましたが、最初の担当が水道施設管理担当でありました。当時の水道施設は、町の中心地域だけを 給水区域としており水道普及率は32%でありましたが、当時の施設は戦後まもなく整備した施設であり、資材も乏しく耐久性も低い材質のものが使われており、 水道管の破裂や揚程ポンプの故障などが頻繁に発生しました。当時は民間の専門業者もいませんでしたから、昼夜を問わず水道担当者2名で修理に明け暮れる 毎日でした。やがて周辺への水道施設の整備が進み始めたころ、気がつけば20年が経過しておりました。 

次に人事異動で担当となったのは「設楽ダム対策担当」でありました。このダム事業につきましては、昭和48年に国と愛知県から設楽町内の豊川に 総貯水量8千万トン(現計画9千800万トン)の多目的ダムを建設するという計画が示されましたが、当時の町民や町議会は、絶対反対の強固な姿勢で 運動を繰り広げておりました。しかし、時が過ぎ、長い時間の経過とともに、公共事業の推進による町の活性化を望む声も出てくるようになってまいりました。 

このような状況の中で執行された町長選挙によって、賛否の意思を見せない町長が誕生し、微妙な町政運営を強いられることになりましたが、 ここで私に課せられた仕事は、水没者の反対姿勢を理解しながら、ダム事業者(建設省・愛知県)との対話を進めるための地元組織を立ち上げることでありました。  

このため、昼間は水没予定地域の方が農作業をしていれば茶菓子を持参し、休憩の時間を見計らってダム本題に触れることなく世間話をしながら お互いの意思疎通の場づくりに専念しました。夜の訪問時に玄関先で「帰れ、お前には話すことなど何もない」と罵声を浴びせられることもありましたが、 根気よく対話を続け、信頼関係を築いていくことに傾注した結果、住民たちの意志によって「設楽ダム対策協議会」が立ち上げられることになりました。 このことを町長に報告したときの充実感はとても大きなものであったと、今でも覚えています。

ダム問題は、これを契機として、多くの議論や闘争を繰り返しながら、私がダム対策担当となってから19年後の平成21年2月、関係者間による 「損失補償基準の妥結協定」、「設楽ダム建設同意協定」が整うことになりました。 

この時私は副町長として立ち会いましたが、本当に長い時間に亘って苦しんできた中で生まれた事実であることを実感し、大変感慨深いものでありました。 これによって「ダム」の進むべき方向が定まったと思っていた矢先に政権交代によって全国のダム計画が再検証されるという状況になり、 法律に基づいて全ての課題を整理したダム計画の再検証に疑問を持ったところであります。 

このような状況の中で町長選挙が行なわれることになり、はからずも私がダムを争点とした選挙戦の当事者になることとなってしまいましたが、 多くの方々から推挙され当選の栄に賜りました。改めて町長として引き続きこのダム問題に向っていかなければならないと強く感じているところであります。 

 こうして過去を振り返ってみますと、私が歩んだ公職としての40年間はすべて「水」に関わるものでありましたが、これが私に課せられた道であると 自覚し、これからもダム予定地の住民の方々の幸せな生活が営めるよう、また設楽町の発展に繋げていく努力をしていかなければならないと、 決意を新たにしているところであります。