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~2011年11月11日市制施行~ いつまでもありつづけたい「里まち」野々市

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年9月12日

~2011年11月11日市制施行~いつまでもありつづけたい「里まち」野々市

石川県野々市町長 粟 貴章

野々市町は、石川県のほぼ中央、肥沃な土地と良質な地下水に恵まれた手取川扇状地の北東端にあり、北部と東部は県庁所在地である金沢市に、西部と南部は白山市に隣接しています。

面積は13.56平方㎞、昨年の国勢調査における速報集計結果では人口51,892人となり、本年11月11日には単独で市制施行を予定している町です。

歴史は古く、今から約3,500年前の縄文時代後期から晩期の大規模な集落遺跡である御経塚(おきょうづか)遺跡(国指定史跡)や、日本最古の通用貨幣「和同開珎(銀銭)」が発見された白鳳時代末の大寺院跡である末松廃寺跡(国指定史跡)が残っており、古くからこの地が豊かな自然に恵まれた豊穣の地であり、多くの人々が暮らし、住み続けてきたことを物語っております。

中世には、歌舞伎十八番「勧進帳」で知られる地元武士団の富樫氏が勢力を強め、加賀国の守護として、この野々市に館を構え、その場所を守護所として加賀国内の統治を行い、加賀一向一揆の支配となる戦国時代前半までの間、加賀の政治、経済、文化の中心として栄えました。

野々市という地名は、1312年に記されたとされる白山本宮(白山比咩神社)に伝わる古文書に、水引神人(みずひきじにん)と呼ばれる人たちが「野市」に住んでいたという記述から読み取ることができ、これが「野々市」という地名の最古の文字史料と考えられています。

また、1486年に京都「聖護院」の門跡であった「道興」が野々市に立ち寄った際に「風おくる 一村雨に 虹きえて のゝ市人は たちもをやます」と詠んでおり、当時から、人々が集う「市」として「野々市」が賑わっていた様子がうかがえます。

江戸時代には、北国街道の宿場町として栄え、現在でも喜多家(国指定重要文化財)をはじめ、由緒ある家屋が残っています。

歴史のあるわが町でありますが、先般待望久しかったうれしい出来事がありました。

これまで、当町には観光ボランティアガイドの組織がありませんでしたが、町民有志の方々が中心となって1年前から準備を進め「ののいち里まち倶楽部」が設立され、すでに精力的に活動がなされています。

近年、全国的に「里山」「里海」をキーワードに、その保全や、地域おこしの取り組みがなされていますが、「里まち」という言葉はあまり聞きなれない言葉かもしれません。

会の設立趣意書には次のように書かれています。

『――「里」は、山あいや田園地帯で、人家が集まって小集落をつくっている所、「村落」、「人里」、「ふるさと」「故郷」の意味を持っています。また、「里」という文字は「田」と「土」からつくられています。古代白鳳の甍の輝くころから、石川平野の土と水の恵みを受けながら、その中心として栄えた野々市。私たちの住んでいる野々市は、今も「里」の文字の意味そのものの情景を映し出しながら、近代的な学園都市へと発展しています。住んでよし、訪れてよし、出会いとふれあいで活気づく「里まち」野々市。私たちは、この「里まち」野々市の魅力を多くの人々に紹介していきます。――』

この「里まち」野々市に強い誇りと愛着を持ち、さらに発信しようという思いを住民の皆さんが持ち合わせているということが、私にとっては何よりうれしいことでありますし、まさに、住民協働のまちづくりが実践されていると思っております。

この11月11日には町から市として新たなスタートとなりますが、市になっても、いつまでも「里まち」野々市でありつづけたいと思っていま す。