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昭和を思い温故知新

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年6月13日

昭和を思い温故知新

山口県田布施町長 長信正治

田布施町は、山口県の東部に位置し、南は穏やかな瀬戸内の海が開け、山あり、川あり気候は温暖で、冬期でも積雪はほとんどなく自然環境に恵まれています。交通面は、山陽本線の鉄道が町の中央部を通り、駅も中心部にある。道路網の陸上交通路は、町の南部海岸線を国道188号線が岩国市と周南市を繋ぎ、また、山陽自動車道の熊毛インターチェンジからも近く生活の利便性にとても優れています。

町の総面積は50.34平方キロメートルで人口は16,500人です。昭和30年の4町村合併当時とほぼ同数で推移しています。過疎や人口減少時代にあって、自然環境と居住環境の良さが住み良い町を表しているといえます。その当時の町は、第一次産業の農業が主力で、緑豊かな田園と手入れされた山林や里山は美しい景観でした。

その時代は「政治と宗教と教育の町 田布施」といわれています。

政治の町とは、昭和32年に岸信介総理大臣が誕生しました。それは町を挙げての大歓迎。昼は日の丸小旗行列、夜は提灯行列と、当時小学4年生の私は今でも鮮明に光景が目に浮かびます。(在任は35年7月迄)

また、昭和39年には佐藤栄作総理大臣が誕生しました。兄岸信介総理大臣から約4年後の、弟佐藤栄作総理大臣の誕生は、日本の国では初めてのことで、兄弟宰相に町は大歓迎。町は歓喜に包まれました。(在任は47年6月迄)

この年は、東京オリンピックが開催されました。国も高度成長の中の開催で、高校生の私は政治に強く感心を持ったものです。

宗教の町とは、神道天行居「教派神道系」と天照皇大神宮教「諸教系」の2つの宗教は、田布施町に本部を置き活発に活動されています。

神道天行居は、昭和36年より本部境内で剣道大会が開催され、県内外から500人以上の剣士が集い、優勝者に名刀が授与されることから盛大な大会でした。

天照皇大神宮教は、北村サヨ教祖(名誉町民)が全国各地への巡教によって本部に集う同志が増加し、特別臨時列車を仕立て田布施に参集する盛況。また、ハワイをはじめアメリカ各地を巡教、その後も、東南アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカ等世界36カ国にわたって巡教を続けられています。昭和39年には本部道場が竣工し、その広壮な神殿的特異な景観は教団のシンボルとなっています。

教育の町とは、昭和33年には4つの中学校が町に1つの中学校として統合。町の合併から2年で校舎、特別教室、体育館を建設し、完成しました。町の教育への思いを「教育優先の町」として、学校経営の面で、健全な心身をもち、郷土愛に富み、明朗で公正な人格を具え、自他を敬愛し、感謝の気持ちが熱く、創造性の豊かな自主的で実践力のある人間の育成を教育目標として掲げ、精進努力を重ねるその教育実践成果は環境緑化で全日本緑化コンクール中学の部で優秀校に選ばれ、文部大臣、農林大臣国土緑化推進委員会より表彰状を受けています。他に、優良校として多くの表彰も受けています。

昭和34年には、特殊教育の必要性の高まりから、社会福祉法人城南学園が設立されています。昭和37年には県立の工業高校が誘致され、町としての県立学校3校は、当時教育の町といわれる一因だと思います。

私が育った小中高校生の昭和30年代の田布施町の思い出が、これからの町づくりに必要なことは何か、急成長し繁栄してきた時代、忘れたり、置き去りにしたことはないかを考える機会を得ました。温故知新、昭和を今一度研究し、住みよい町づくりに邁進していきます。