ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 > 健康づくりと“宝の山”

健康づくりと“宝の山”

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年6月6日

健康づくりと“宝の山”

新潟県田上町長 佐藤邦義

一昨年のNHKの大河ドラマ「天地人」は、新潟県の上越市の春日山城から福島県の会津若松城までの広範囲にわたって、上杉一族の栄枯盛衰と上杉謙信の後を継いだ上杉景勝と直江兼継の活躍を描いたドラマでした。新潟県民にとっては新潟を舞台にした久々のNHKの大河ドラマであり、直江兼継の幼名・与六の「わしはここに来とうはなかった」で有名になった雲洞庵はじめ直江兼継ゆかりの地は観光客で賑いました。

田上町の東丘陵地帯の一角を占める「護摩堂山(ごまどうやま)」は、標高274メートルのあまり高くない山でありますが、その眺望のすばらしさは今でも変わりません。現在、北西の方向に新潟県庁、ビックスワンスタジアム、晴れた日は西方向に佐渡島を望むことの出来る町内でもっとも眺望の良い場所でもあります。

南北朝時代の動乱期に既に「護摩堂山」は城砦として利用されていました。御館の乱(1580年)後、現在の新潟県央地域(三条市・加茂市・田上町)は戦場となり、上杉景勝が越後統一を完成させるためには、北蒲原の新発田重家を討滅させることが最大の課題であり、そのため、景勝の腹心の一人であった甘粕景継に護摩堂山城を支配させました。ドラマでは、その景継の役はタレントのパパイヤ鈴木さんであり、ドラマ完結後に彼は、護摩堂山の麓にある湯田上温泉のホテルのディナーショーに出演しました。

私は平成10年に町長に就任して初めての「護摩堂山あじさい祭」の開会式の挨拶で「護摩堂山は宝の山」と宣言しました。現在の護摩堂山は山頂一帯に昭和53年に鎌倉から移植された700本のあじさい園が開園され、その後も植栽が続けられ、現在では山頂に約3万株の「あじさい園」となり、毎年6月20日から1ヶ月間「護摩堂山あじさい祭」が開催されています。

以前から、山頂付近から焼米(兵糧攻めに対抗したと言われている)や財宝が埋められているという言い伝えがありました。私の「宝の山」宣言はこれとは全く関係のないものでした。一言で言えば「護摩堂山は健康づくりの山」というアピールでありました。当町では、昭和58年に田上町の総合的な健康づくり対策を推進するために「田上町健康づくり推進協議会」が設立されました。

その当時から、町の国民健康保険の医療費の削減が大きなテーマでありました。健康ブームの到来で町民誰でも出来る運動としてウォーキング、山歩きが盛んになってきていました。町としては、護摩堂山の早朝ハイキングを行事として取上げ、第3日曜日が早朝ハイキングの日となり、現在では早朝だけでなく日中も、土曜日、日曜日には町外から多くの人達が登るようになりました。町民の中には早朝と夕方2回も登る方もいるようです。頂上まで約40分の道程で、緑のトンネルが登山道になっていて、夏でも快適な山歩きになっています。

田上町は新潟市・五泉市そして加茂市に隣接しています。人口約13,000人、面積32平方キロの比較的小さな町です。国道403号とそのバイパスとJR線が並行して、西側には信濃川が流れ東側は丘陵地帯でバランスのとれた自然環境に恵まれています。町内には診療所が1ヵ所、内科医院4ヵ所、歯科医院5ヵ所と町民の健康に対する意識は高く、町としては多くの保健衛生事業を計画し、自分の健康は自分で管理するという目標を立てています。

護摩堂山は町民の健康維持に寄与していると同時に、国蝶のオオムラサキの生息地でありました。しかし、乱獲のため絶滅寸前となり、幼虫がエノキの葉を食うということで、エノキを植栽する保護活動を地元の小学校と町づくり集団の「あじさい塾」が予定しており、計画的に山の整備をしています。いつの日にかまた護摩堂山に国蝶のオオムラサキが乱舞することを夢みています。かつて真言の寺塔が約60カ寺あった修験の山で、修行僧が護摩を焚いたところから護摩堂山となった由来が田上町史に記されています。