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 ふるさとの山を考える

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年1月31日

栃木県町村会長 茂木町長 古口達也

森林の荒廃は、思った以上に進んでいる。当然だ。山に労力をかけても、それがお金になって戻ってこないのだから、誰も山の手入れなどするわけがない。
木材価格は、もう何十年も低迷したままだ。長い年月、手塩にかけて育てた木材を売って少しばかりの利益を得ても、そのあとに植林すればほとんど手元には残らないという。林業が職業として成り立たないのだ。お金は人生のバックボーンだ。そのバックボーンがなくては、生活が成り立たない。人生設計も立たない。これでは誰も、山の手入れなどに時間もお金もかけないし、林業家も育たない。
しかし、山には、木材を供給するという事だけではなく、空気や水を供給し、土砂災害などの自然災害を防ぎ、また、山ばかりでなく川や海の生態系をも守るという大切な公的役割がある。だったら、このことにきちんとした公的報酬を支払うべきではないのか。山仕事は大変で危険も付きまとう。公的役割も担っている。それでいて、お金にならない。これじゃあ話にならない。せめて、山を守り育ててくれる人々に最低限の生活保障くらいは考えるべきだろう。
ただし、山を守るということは、単に山に人の手を入れれば良いということではない。農山村の、そこに住む人々の暮らしが守られてこそ、山も守られてゆく。山は農山村の暮らしと共に、そこに息づく文化や伝統を守っていってこそ生き続けてゆくのだ。だから、山の手入れを単に森林組合にだけ任せておけばよいという考えには与しない。農山村の暮らしと山の仕事が結びついたときに初めて山は守られてゆく。農山村政策と林業政策を合わせて考えるとともに、現場と現実に沿った政策を展開していくことが必要なのだ。
栃木県では2年前、「とちぎの元気な森づくり県民税」と呼ばれる森林環境税を導入した。私は、森林環境税という呼び名ではなく、本当は「命の源税」と呼ぶべきだと訴えている。森林がなくなれば、私たち人類は間違いなく滅亡する。空気や水や動植物や水産資源までをも守る森林は私たちの「命の源」なのだ。
現在30 の県において、このような税を導入している。しかし、本来は、国が「環境税」の創設をして全国民から徴収し、その税で森林整備と山林に携わる人々の生活保障をするべきではないかと思う。
新たな税の導入には抵抗があるのは当然だ。しかし、地球温暖化も含めて、この問題はもう待ったなしのところに来ているのだ。悠長なことは言っていられない。今こそ、本当の意味での政治主導と政治家個人の慧眼が試される時ではないか。みんなが賛成するからやるんじゃあない。たとえ多くのものが反対しても、これは必ず将来のためにやらなければならないとすれば命をかけてもやるのが本当の政治であり、本物の政治家なのだ。
また、この税は、取られるのではない。山を守り、私たちの命を守ってくれている人々に感謝を込めて、取っていただくものだ。若者の多くは、山仕事より都会に出てスーツで仕事をしたいだろう。そうした中で、山の仕事に就いてくれる人々は大切だ。その人たちに、「私たちの命の源を守ってくださっている事への少しばかりのお礼です」とお願いして貰っていただく為の税なのだ。
現在の日本の山村人口は総人口の3パーセントに過ぎない。そのわずかな人口で国土面積の5割を守っている。中山間地域を含めると、12パーセントの人口で、7割の国土を支えているのだ。
しかるに、今、「命の源」を守っているその7割の地方の自治体が、人口減少、鳥獣被害、耕作放棄、森林荒廃、果ては、限界集落問題まで飛び出して、もがき、苦しみ、喘いでいる。都市に住む人々はこの現実をもっとしっかりと認識すべきだ。認識していないから、「地方交付税があるから地方の自治体は甘えて自助努力をしない」等という乱暴で誤った意見を、真顔で得意気に述べる学者や政治家が出てくるのだ。
昨年の全国町村長大会で、「町村の応援団」として壇上に立たれた大森彌先生が最後に言った言葉が、今も私の耳にこびり付いて離れない。「地方が滅びれば、都市も滅びる」。至極、名言。