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 国境の島に住む“隠岐人”と共に

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年10月25日

島根県隠岐の島町長 松田和久

後鳥羽上皇・後醍醐天皇両帝配流の地「隠岐群島」は、縄文5千年の太古に流れをくむ古い歴史と文化が息吹く有人離島であるが、韓国との間に領有権問題を抱える「竹島」を所管する山陰沖日本海の島々でもある。
その中の本町「隠岐の島町」は、先の臨床研修医制度の施行に端を発して、島でお産が出来なくなる等の医師不足の問題を抱えており、加えて、離島航路の存続のために全国一の高運賃を余儀なくされ、入り込み客減少により厳しさを増す観光業の低迷と公共事業の激減で極端な雇用環境の悪化に陥っている。そして、長引く魚価の低迷や漁場環境の激変から水産業は一進一退の傾向にあり、全国平均値の20~30年先を行く超高齢社会がもたらす急激な人口減少や後継者不足による教育、経済、集落環境が激変する等、島を震撼させる事案に事欠かない今日この頃である。
このような社会環境下にあって、いま私に求められる最も大切なことは、“それでも諦めない、投げ出さない隠岐人の誇りをどう醸成していくか”だと思っている。
沖合い海域は、対馬海流(暖流)・リマン海流(寒流)の混交域で、生産性の極めて高い好漁場が形成されているが、4つの有人島と180余の小島からなる隠岐群島は、その山陰沖日本海最大の漁礁群の島々であると同時に、山陰沖日本海の国境最前線・防人の島々でもある。
私が住む隠岐の島町は、かつて離島でありながら県下きっての林業先進地ともて囃され、戦後の一時期には北陸地方経由で中部・関東圏にまで隠岐産材が出回る歴史も経ている。島の85%強を占める森林面積の約6割が人工林で、当時の面影をそこに見ることが出来るが、残念ながら島の林業は昭和40年代以降斜陽化の道をたどり、人工林の大半はすでに天然林の様相を見せている。このことが最近の豪雨災害に拍車をかけ、更には大きな土砂災害への引き金となったり、島の漁礁機能を著しく低下させる原因となっている。
そのような中にある隠岐の島は、幸いなことに豊かな自然に恵まれ、昨年10月には日本ジオパークネットワーク(JGN)に登録され、いま世界ジオパークネットワーク(GGN)への登録を目指し準備を進めているところであり、一方でその豊かな森林資源を活かす木質バイオマス活用を前提とする「新エネルギービジョン」を策定し、これの具現化に向け、今春実証プラント稼動に漕ぎ着けたところである。
隠岐ならではの生態系と生い立ちをもつ特異な資源や文化、恵まれた日本海の海洋資源等をどう活かし、どう経済に繋げていくかが今後の生き残りの大きな鍵となっている。
自助努力で解決出来る案件は徹底的に地域と話し合い、一自治体だけではどうしようもない案件については、国・県と正面から対峙し積極果敢に訴えて行きたいと思っている。
国境離島・隠岐の島で私達が活き活きと生活し、取り巻く周辺海域で生産活動に取組む日々の生き様こそが、我が国の防衛を考える上で掛け替えのない抑止力に繋がっていることを大いに自負し、自主自立を目指し“隠岐人”の一人として一緒になって頑張って行きたいと考える毎日である。